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冥界の王  作者: 久土久
2、夢の中
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命懸けの愚行


「シルヴィア……貴様まで、何をしておる」


 問いかけたのはレーヴではなくゲートルリヒだ。シルヴィアの行動は明らかにカノンに同調している。信じていた部下に立て続けに裏切られて、今にも逃げ出したいに違いない。それなのに逃げず向き合おうというのだから彼のことをレーヴはいくらか見直さねばならない。

 シルヴィアはレーヴに蹴り飛ばされた姿勢から、ゆっくりと立ち上がった。その顔にはカノンとは異なりことさらに険しい。彼女はレゴラドが落とした銃を拾い上げた。彼女には扱えぬはずのその銃が、彼女の手の中で段々と部位を回転させていた。その様をまた信じられないとゲートルリヒは眼を剥いた。


「団長はお下がりを。そうすれば危害は加えません。貴方には」


 シルヴィアの視線はレーヴにのみ注がれている。腹にはレイピアが刺さったまま、前後に敵に挟まれたこの状況は非常にまずかった。刀身の太い剣でなかったことが不幸中の幸いではあるが、深手には違いない。いくら傷の治りが早くとも限度というものがある。内臓を貫通した傷を治すのは一朝一夕でできることではない。

 カノンが空に向かって銃を撃ち放った。レーヴは咄嗟に口を抑えた。銃から放たれたのは紫色の毒々しい煙だ。ゲートルリヒの傍で控えていた兵は知らずにそれを吸い込み、一人また一人と倒れていった。ゲートルリヒもまた倒れたところで煙が晴れた。レーヴはちらと視線を倒れた彼らに向けた。息はしている様子から、先ほどの煙が眠り薬の一種だと分かる。


「どういうつもりだ……アンタ、何を思ってこいつに手を貸している」


 この場で唯一全ての理由を知っているカノンがこれ以上ないほどに愉悦に塗れた笑みを浮かべていた。彼女は悠然とシルヴィアの傍らへと移り彼女の腰に腕を絡めた。


「あら陛下、お分かりになりませんか」

「お前に聞いてない」

「聞かれずとも、答えてさしあげましょう。ふふ、あの深ぁい穴の底でお話しましたでしょう? シルヴィアの御家は古い呪術の家だと」

「聞いたが……まさか」

「そう、私を召喚したのはシルヴィアです。この身体は彼女の妹のもの」

「自分の身内を生贄に差し出したのか」

「おかげで貴方の壊した冥界の残骸からこちらに這い上がってこれました。彼女には感謝してもしきれません。だからお礼に力を与えた……ついでに少しだけ私の手伝いをしてもらってね」

「なぜそんなことを……亡者の召喚など、この平和なご時世に何のために」

「貴方にはお分かりになられないでしょうね、呪術師殿」


 身内だというならば、穴の底でシルヴィアの出自に驚いてみせたのは演技だったのだ。いや、カノンの表情は全てそもそも演技であった。

 シルヴィアは出会った時と変わらぬ生真面目な顔の上に、僅かに悲哀を浮かべた。眉を下げて苦笑に似た笑みを浮かべる。笑う相手はレーヴのように見えて、彼女自身のようでもあった。


「こんな時代でも自身の在り処を見失わない貴方には、代々と受け継いできたものを失う者の気持ちなど、分かる筈もない」


 シルヴィアは纏わりつくカノンに構うことなくトリガーを引いた。光球が銃口より瞬時に放たれる。レーヴは傷口から流れ続ける血を指に乗せて宙に放った。飛び散った血が炎の蛇に成り代わり光球へと絡みついた。光球は速度を落として本来の進行方向からそれる。シルヴィアが連射を続けても全て片端から逸れさせていった。


「器用な……ならばこれならいかがです」


 シルヴィアが銃の魔法陣を組み替える。火花が銃口からあふれ出した。これはあの時に見た炎の前触れだ。たちまち銃口から巨大な火の玉が生じる。レーヴのいる場所にまで熱が伝わって来た。眼球が乾ききりそうなほどの灼熱が揺れていた。


「同じ火ならば、より威力の強いもので打ち消せるでしょう」


 シルヴィアがトリガーを引くのと同時に、炎の塊がレーヴに迫った。レーヴは蛇を放つをやめてその場から飛び退いた。無理に動いたせいで腹に刺さったままの剣が揺れる。剣で塞がっていた傷口が抉られて痛みが増す。レーヴは剣を抜かないまま刀身を折った。火の蛇が刃となってレイピアを折っていた。


「くっ……」


 ここに来て血を流しすぎていた。貧血を起こして視界が霞む。曇った景色の中でシルヴィアが二発目の炎球を作り出すのが見えた。シルヴィアの傍らでカノンが彼女の銃へと魔力を注いでいた。二人分の魔力で炎の大きさが倍になる。


「疾く、お命下さいませ陛下。そして今度こそ我らの悲願を果たしましょう」

「断る! 何度でも言ってやろう。俺はっ、妖精とっ、いちゃこらして長生きしたいんだよ!」


 シルヴィアの魔言銃が再び炎の塊を放ってきた。レーヴは今度は逃げることなく、真正面から立ち向かう。着ていた狼の毛皮を脱ぐと、勢いよく炎に向かって投げ捨てた。


「かみ砕け、災禍の狼!」


 レーヴが命じた途端、狼の毛皮が豹変する。空洞だった眼窩に目玉が現れ、薄っぺらな皮に肉が盛り上がる。巨大な狼が炎に向かって姿を現し、一呑みで炎を食べてしまった。


「……往生際の悪い事を」


 狼はレーヴのすぐ傍に侍って牙を剥いた。迎え撃つシルヴィアは両手に魔言銃を構えていた。銃を撃つためのロスタイムを限りなくゼロに近づけている。彼女の目が弾に魔力を込める度に怪しげに光を放つ。

 亡者の光だ。レーヴはその光をよく知っている。紫と黒の中間の仄暗い光が強く輝いていた。


「シルヴィアさん……あんた、家を再興するためにこいつを召喚したのか」


 シルヴィアは答えない。ぐっと歯を噛みしめて言葉を堪えているようだ。だがレーヴはそんな彼女の気持ちなど知ったところではない。非難したければ非難をする。そこに遠慮など一切ない。


「先達として一つ言ってやろう。こいつらに頼ったところで良い事なんぞ何にもない。俺自身がそうだったんだ、そしてあんたが例外とも思えない」

「先達? ……どういうことです」

「そのままの意味だ。かつて俺もまたこいつらをこの世に喚び出した。だが、こいつらの根本には生きた人間を利用しようって魂胆しかない。何をどうしようと俺達とは相入れない存在なんだよ」


 シルヴィアとの会話へ割って入るように、カノンが銃を放ってきた。まるで余計なことを言うなと言わんばかりである。


「お労しや、陛下。まるでご自身が人間のようなおっしゃり様。なんと憐れな。私がその妄執からお救い致しましょう」

「大きなお世話だ。もうこれ以上、俺のことはほっといてくれっ!」


 シルヴィアの炎球もカノンの光球も狼が全て丸のみしていく。だが、いくつかは狼をすり抜けてレーヴへと向かう。レーヴはそれらを走って避ける。走る度に開いた傷口から血が滴り落ちる。

 走り続けていくうちに息も切れてきた。段々と足がもつれていく。不意に足へ石が引っ掛かり転げてしまった。


「カノン、二手に分かれましょう。私は背後から」

「ええ、そうね」


 女二人が頷き合いシルヴィアがレーヴの背後に回った。背後を取られまいとレーヴも立ち上がり再び走ろうと動くが、レーヴが立ち上がるよりもシルヴィアの足のほうが速かった。


「随分と手こずらせてくれたけれど」

「もう、これでおしまいですよ、陛下」


 二人同時に銃口へ炎球を作り上げた。レーヴの額に脂汗が浮かぶ。狼も蛇もこの同時攻撃の前には意味を為さない。逃げ場は完全に断たれた。悪あがきに蛇を飛ばすが、炎の勢いに呑まれて消えてしまうだろう。炎の陽炎より向こうでカノンが今度こそ勝利を確信し笑みを深めた。シルヴィアは油断せぬまま、レーヴの最後を見届けようと目を細めた。

 二人が銃のトリガーを引いた。炎による挟撃がレーヴへと迫る。


「……なにっ?」


 レーヴが炎の直撃を受ける寸前で彼の背中を掴んで投げ飛ばす者があった。レーヴは投げられた勢いのまま無様にごろごろと地面を転がった。レーヴを投げ飛ばした者は、彼自身もすぐ回避行動に打って出ていた。しかし炎の速度は彼よりも早かった。彼の腕は炎に呑まれ、その勢いにより燃え上がるより先に、捥げた。


「ぐ、あああああああああっ!」


 噴き出す血の上から燃え移った火が彼の肌を焼いた。シルヴィアは目を見開いた。彼女の上役であるゲートルリヒが、どういうつもりかレーヴを庇い自らの腕を失っていた。彼女の撃ち出した炎によって。


「団長……っ何故!?」


 シルヴィアははっとして銃の魔法陣を組み替えた。このままではゲートルリヒは出血多量な上に炎に巻かれて焼け死んでしまう。彼女は空に向かって水球を打ち上げた。水の球は空で弾けて雨粒となりゲートルリヒに着火した炎を消した。シルヴィアのその様を見て半死半生のゲートルリヒが笑いを零した。


「何をしておるか、シルヴィア」

「それはこちらのセリフです。どうして? 眠っていらしたのではないのですか」

「さようなもの、フリに決まっておろう。機を見て動いてやろうと構えておったが……ままならぬものだ」


 苦痛にゲートルリヒの顔が歪んだ。みるみるうちに顔が青ざめ震え始めている。歯を鳴らさぬようにしているのか単に痛みを堪えているのか、そうして食いしばった歯が唇を食いちぎって血を滲ませていた。

 だが彼はシルヴィアを目に捉えたまま逸らさなかった。ゲートルリヒの目に射すくめられてシルヴィアの動きが止まる。


「シルヴィア、貴様の事情はよく知らぬ。だが、そなたが何やら邪道に逸れておることだけは分かる」

「あ、ああ……、い、いいえ、そんなことは」

「何かを為す上で道理を外れてはならん。それは近道に見えるだけで、実際は遠ざかっておるにすぎん」

「いいえっ、いいえ、力さえあれば、力が手に入ればどうにでもなりますっ、私も、貴方もっ」

「もうよいシルヴィア、その銃を下ろせ。此度のことは吾輩の不徳の致すところだ。そうであろう?」


 体温の急低下により青ざめるゲートルリヒと同じぐらいシルヴィアの顔が青ざめていく。そんな彼女を脇で見ていたカノンが咎めた。


「どうしたの、シルヴィア。早く邪魔な要素は排除なさい」

「なっ、カノン、貴女こそ何を」

「元々、私の存在を知られた以上は生かす理由もない。我々の計画に邪魔な者は皆消えてもらう」


 カノンの物言いに絶句しているシルヴィアを笑う声があった。レーヴである。レーヴは彼自身も無事ではないというのに、痛がりながら腹を捩れさせて彼女を嘲笑った。


「ほーら、言ったでしょう。こいつと組んでもろくなことがないと」


 レーヴの言葉に反応を示したのはカノンである。カノンは二度三度とレーヴを仕留め損ないすこぶる機嫌が悪かった。だが今度こそと銃口を彼に向ける。幸いにも、レーヴは未だ立てないままである。カノンはゆっくりと彼との間合いを詰めていった。


「一つだけ分からないことがあります」


 カノンは焦る様子を見せなかった。彼女のしなやかな腕が優雅に持ち上がり銃口をレーヴに定める。リロードを開始した魔法陣が徐々に回転数を上げていく。

 

「何故、終始本来の力を使わないのです? もしやと思いますが、あの絶大な御力を失ってしまったのですか?」

「使わないんじゃない、使えないだけだ」

「まあ、それはそれは」


 カノンが引き鉄にそえた指に力をこめかけた。その寸前でレーヴが片手を上げて彼女の動きを止める。


「勘違いするなよ。使おうと思えば使える」

「……ならば何故使わないのですか。死地に至って御力を振るわないなど、愚かにもほどがあります」

「そうだな。だがそれがお前らの企みでもあるんだろ。あの強い力で、この世に災厄をもたらしたいわけだ」


 レーヴの周囲の気配が僅かにだが変わった。彼の周囲を火の玉が浮遊し始める。だが、火の色が横穴で見せたものと異なる。紫と黒の中間の色。火の玉ばかりではなく、レーヴの目も薄っすらと光りを放った。カノンのそれよりも一層暗く黒い輝きがそこにはあった。


「俺が死ねば万々歳、死なずとも冥府の住人が増えればそれでよし……ヘレの考えそうなことだ」

「ならばいかがなさいますか。このまま御力を使わず私に殺されるか、御力を使い生きたままこの世を新たな地獄に変えるか、お好きなほうをお選び下さい」

「どちらも選ばねぇよ」

「と、おっしゃいますと?」

「理由は二つ。一つは単にお前がアホなこと。もう一つにお前が人間の編み出した呪術レベルで倒せる程度の雑魚だってことだな」

「な、なんだと……っ!?」


 カノンは憤ったわけではない。彼女はただ瞠目していた。今しがたまで確かに浮かび上がっていたレーヴの紫の光が消えうせてしまっていた。彼女の目的は彼を殺せずともその光の先の力を引き出すことにあった。今一歩で達成できる筈だった力が消え失せてしまっていた。

 レーヴは傷口から血を一滴指に乗せた。そのまま血の雫を地面に落とす。彼の血が地面に触れるのと同時に、周囲が一面赤く輝いた。


「さっき突き飛ばされた場所でちょうどアガリだ。……血を用いる呪術師が血みどろで走り回っていたら、血による包囲陣を警戒すべきだったな?」


 気が付けば地面には赤い文様が描かれていた。丸く簡易な図形はちょうどカノンを中心としている。文様は徐々に彼女に向かって縮んでいく。模様が縮む度に彼女へある変化をもたらした。彼女の皮膚に縮んだ分の模様が流れ込んでいくのである。彼女の皮膚に模様が浮かぶ度に、カノンの顔が苦悶の形に歪められた。


「お、おおおおっ、ああ、ぐ、ああああああああああああ」


 彼女の目から血が滴り落ちる。他者には見て取れぬが、彼女の体の中で静脈と動脈の流れが逆転し、壮絶な痛みが襲い掛かっていた。

 苦痛に悶える彼女の姿を眺めながら、レーヴは何故か苦いものを噛みしめる顔をしていた。


「お前も馬鹿だな。……盗んだものとはいえ、もう返せないんだ。どうせなら開き直って生を謳歌すりゃいいものを、くだらないことに命をかけやがって」


 レーヴの言葉にカノンがきつく眦を釣り上げて睨みつけた。彼女は歯を食いしばり、喉奥から怨嗟の声を絞り出す。


「貴方がそれを言うのか。我らの悲願、我らの宿願っ! この世に満ちるという我らの願い、その全てを無にした貴方がっ!」

「それを恨むことなんざお前らに許されちゃいない。そもそも人様の器を望むことが間違いなんだ」


 カノンの絶叫が一面に響いた。血の文様が全て余すことなく彼女の体に集う。文様が寄り集まるにつれて、彼女の肉体が醜く変形し潰れひしゃげていく。次第に小さく丸く縮まっていく。模様が集い赤い光を一際強く放った時、レーヴは指先を彼女に向けた。


「もう戻れ地の底へ。冥界の奥底で二度と目覚めるな」


レーヴは迷わず、向けた指先で一線を描いた。

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