第43話 ガラスハウスでぽかぽか。
日常回。
出来た。
やっと出来た。
子供?
違う違う。そんなわけないじゃないか。
ていうか、誰の子供なんだよ。
やっと出来たんだ。
ガラスハウスが。
随分、時間がかかったけど、今日からやっと神豆の栽培を始められる。
長かったなあ。
でも、その分感無量だ。
出来上がったばかりのガラスハウスを見ながら、ぼくはジーンとしてしまった。
「どうですか、魔法使い様」
振り返ると、ガラス職人のジータさんが立っていた。
隣には年配の職人さんも立っている。
2人とも作業着が煤だらけだ。
ぼくはペコリと頭を下げた。
「うん。とっても綺麗ですよ。ありがとうございます」
「そういってもらえると、職人冥利に尽きるってもんだ」
ベテランの職人さんが、照れくさそうに鼻の下を擦る。
ジータさんは深々と頭を下げた。
「こちらこそありがとうございました。素材まで用意してもらって」
「いいんですよ。その分、割り引いてもらったし」
「何とか工房を続けられそうです」
「それは良かった」
ジータさんは充実した顔をぼくに向けた。
機甲蟲から複眼を採取した後の顛末を説明しておこうと思う。
あれからぼくは何度か複眼の採取をして、ジータさんのようなガラス工房に今の砂の値段よりも安く売ることにした。
結果、砂の需要量が下がり、値段も元に戻っていったそうだ。
ぼくは複眼を売ったお金でそこそこ懐を暖かくすることができ、マティスさんは大量の砂を在庫として抱えることになったというわけだ。
残念だけど、今回もぼくの勝ちみたいだね、マティスさん。
「トモアキ! 早く早く!」
「パパ! はやく!」
先にハウスの中に入ったクレリアさんが手招きしている。
その脇からガヴも顔を出していた。
「うん。今行くよ」
もう1度、ジータさんにお礼を言うとハウスの中に入った。
中はとても暖かかった。
少し強めに暖房をかけたぐらい。
最近気温が低いから、気持ちいいぐらいだ。
今日は晴天。
ぐんぐんと室温が上昇していた。
クレリアさんは早速、鍬を持つ。
ガヴの手にはザルだ。中には2人が庭先で育てた神豆が入っていた。
「今日からやるの?」
「そうだよ。予定よりも遅れたからね」
「がう゛がう゛」
クレリアさんもガヴもやる気満々だ。
「わかった。じゃあ、始めようか」
ぼくも腕をまくった。
「ふう」
ぼくは汗を拭った。
ハウスの中が暖かいのもあるけど、久しぶりに身体を動かしたから、パンツの中まで汗がびっしょりだ。
こんなに汗を掻いたのはいつ以来だろう。
ぼくは鍬を置き、振り返る。
種を植えた畝を見つめた。
庭先でやっていた時よりも、耕地は広い。
かなり腰にくる。
ぼくは自然とポンポンと叩いた。
家の裏でじゃがいもを育てていた祖父の事を思い出す。
改めて思ったけど、植物の栽培ってホント大変だ。
農家の人は偉いなって思う。
地味だし、身体に負担はかかるし、作物のことに常に気を配らなければならない。
向こうの世界では種を植えれば勝手に育つって思ってたけど、とんでもない誤解だ。
前にクレリアさんがいっていたのだけど、常に植物の声に耳を傾けること。その声はとても小さいから、声だけじゃなくて全体の変化にも気を遣うこと、と忠告を受けた。
本当にその通りだと思う。
今日うまくいった事が、明日には間違っていたりするんだ。
植物のことを、向こうの世界じゃなくて、異世界で学ぶ日が来るなんて夢にも思わなかった。
それだけでここに来た価値がある。
神豆を栽培して、また4ヶ月足らずのぼくが言うのもなんだけどね。
しかも、今から屋敷の庭でじゃなくて、本格的に農業を始めるのはこれからなんだ。
きっと、予想もしないことが起こるんだろうな。
不安もあるけど、ちょっとワクワクする。
それにぼくには家族がいるからね。
「がう゛~」
切ないガヴの声が聞こえた。
ザルに残った神豆を見ながら、涎を垂らしている。
「ガヴ、お腹空いた?」
「がう゛がう゛」
うんうん、頷く。
ぼくもそろそろお腹が空いてきたところだ。
一旦作業を止めて、お昼を食べに行こうとした瞬間、ガラスハウスに人がやってきた。
「皆様、農作業ご苦労様です。お弁当をお持ちしました」
パーヤがやってきた。
手にはお弁当箱を提げている。
グッドタイミングだ!
「待ってました!」
「がう゛~」
ガヴはザルを放置して、猛然とダッシュした。
弁当箱を持つ、パーヤに飛びつく。
「こら! ダメです。皆さんと食べるんですから」
「がう゛~」
パーヤに怒られ、ガヴはぺたりと耳を倒す。
ぼくは軽く笑った。
クレリアさんに振り返る。
「昼食にしようか。クレリアさん」
「うん」
彼女もまた鍬を置いた。
外に出ると涼しかった。
ひんやりとした空気が火照った身体を冷ましていく。
「っくし」
くしゃみをしたのはガヴだった。
鼻水を垂らす。
「薄着のままだと風邪を引きますよ。ご主人様も」
パーやはそっとガヴに上着を掛けてあげる。
ぼくも忠告通り上着を羽織った。
「べんとー。べんとー」
ガヴはリズムに乗せながら、「べんとー」を連呼する。
よっぽどお腹が空いていたらしい。
しかし、ぼくには少しトラウマがあった。
パーヤは弁当箱の前で固まるぼくを見つめる。
「どうしました? トモアキ様」
「え? ううん? なんでもないよ」
「大丈夫ですよ。今日は豆ご飯じゃないですから」
見破られていた。
弁当箱を見ると、どうしてもダンジョンで見た豆ご飯弁当を思い出してしまう。
あれは結構ショックだった。
「それとも、あっちの方がお好みですか?」
「うーん。出来れば、豆ご飯はもういいかな」
ぼくは遠慮気味に答えた。
「はやく。たべる。パパ」
「うん。そうだね。いただきます」
「いただきます」
「いっただきま~す」
「いちゃちゃきます!」
木の弁当箱をパカリと開いた。
お。
サンドウィッチだ。
瑞々しい葉野菜に、肉厚たっぷりのハムが挟まれている。
他にも玉子サンドや果物を薄く切ったフルーツサンドもあって、バラエティに富んでいた。
ぼくはハムサンドを摘む。
かぶりついた。
噛んだ瞬間、ハムから肉汁が溢れ出る。
口の中をまったりと包み、程良い塩辛さが舌を刺激した。
葉野菜もいい。
しゃきしゃきとした歯ごたえが、頭の奥まで響くようだ。
美味しい。
そして幸せ。
自然と顔がほころぶ。
「ご満足いただけましたか? ご主人様」
「うん。すごく美味しいよ、パーヤ」
「良かったですわ。実は今朝は、また北からお野菜が届けられまして」
「また村の人から」
「はい。どうしてもご主人様に新鮮なうちに食べてほしくて、わざわざ早馬を使って届けてくださったのです」
そうか。
それでこんなに新鮮なんだ。
ぼくは一気に食べきる。
よく咀嚼した。
村の人に感謝をするように。
改めて食べると、パンもうまい。
もちもちで、下手をすれば剣呑ともいえる葉野菜の食感を上手く和らげてくれている。
甘みもあって、ハムの塩辛さとうまくマッチしていた。
「パンはパーヤが?」
「はい。今朝、焼きました。如何ですか?」
「おいしいよ。食材とあってるし。今度は玉子を頂こうかな」
「はい。どうぞ」
パーヤは箱ごとぼくに差し出す。
玉子サンドも美味しかった。
玉子の甘みと酢の酸味。さらに胡椒との相性が絶妙だ。
さすがパーヤ。
ロダイルさんに鍛えられたことはあるね。
ガヴは「がう゛がう゛」とサンドウィッチに食いついていた。
口元には、玉子がついている。
「ガヴ! 落ち着いて。誰も取ったりしないから。あんまり早食いだと太っちゃうよ」
「けほけほ」
いきなり咳を始めたのは、クレリアさんだった。
手を伸ばそうとしたサンドウィッチから、一旦手を離す。
「どうしたの、クレリアさん?」
「べ、別に……。なんでもないわ」
足元の弁当箱を見る。
クレリアさんの分のサンドウィッチがすでに半分しか残っていなかった。
早い。
ガヴと一緒で、お腹が空いてたんだろうね。
「大丈夫。クレリアさんは綺麗だよ」
「え? いや、そのぅ……。なによ、急に」
耳まで真っ赤になる。
上目遣いで、ぼくを見つめた。
「だから、ちゃんと食べて。15歳は成長期なんだから」
「ほ、ホント? あたし、まだ成長するかな?」
「するよ。きっと……」
「パーヤみたいになる?」
パーヤの胸の辺りを指さした。
うーん。
それはどうだろうなあ。
難しいかも……。
パーヤの胸はまだ成長期みたいだし。
だけど、クレリアさんは何か自分の中で結論付けてしまったらしい。
サンドウィッチを見つめ、ふんと鼻息を漏らした。
「食べるわ! あたし!!」
サンドウィッチをまたパクパクと食べ始める。
よく噛もうね。
「ご主人様、お茶はいかがですか?」
パーヤは水筒からお茶を注ぐ。
持ってきた小さなコップをぼくに差し出した。
ありがたく受け取る。
ちょっと温いけど、今は熱々よりもこれぐらいのが丁度良い。
疲れた五臓六腑に染み渡るようだ。
程良い疲れと、最高の食材、そしてぼくを囲む幸せそうな家族。
ああ。いいな。
こういうの……。
こういうスローライフがやりたかったんだ、ぼくは。
来て良かった。
ハイミルドに。
はは……。
なんか毎回同じ事を言っているような気がする。
でも、特に思うよ、最近は。
こうしてぼくたちは昼食を終えた。
弁当を持ってきてくれたパーヤは一旦屋敷に戻る。
屋敷のことが片づいたら、農作業を手伝ってくれるらしい。
1時間ほど、休憩した後、作業を始める。
すると、眠たくなってきた。
おいしいものを食べた後だからかな。
それにハウスの中が暖かいのが、また眠気を誘う。
「ガヴ、豆を……」
「がう゛ー。がう゛ー」
振り返る。
ガヴは畝の間に挟まるように寝息を立てて寝ていた。
涎を垂らし、実に気持ちよさそうだ。
起こそうと思ったけど、なんか悪いような気がした。
それに……。ぼくも眠い。
「ふわ」
と欠伸をする。
ちょっとだけ寝ようかな。
ガヴを抱き、瞼を閉じると、一気に微睡みに落ちていった。
★
「トモアキ、そっちは終わった?」
クレリアは近づいてくる。
畝の間に挟まるようにして眠るトモアキとガヴを見つけた。
まるで本物の親子みたいに寄り添い、眠っていた。
本来なら「こらー」と怒るところなのだが、あまりに気持ち良さそうにしているので、起こすに起こせない。
それに……。
「ふわ」
急に眠気が襲ってきた。
「あたしも寝よ」
畑の上に寝っ転がる。
よく耕した土はふわふわで極上のベッドのようだ。
トモアキに足を絡め、密着すた。
瞼を閉じる。
一気に闇の中に落ちていった。
★
屋敷での用事を終え、パーヤはガラスハウスにやってくる。
「ご主人様、お待たせしました。遅蒔きながら、このパーヤもお手伝いさせていただきます」
入口をくぐりながら、メイド服の袖をめくる。
鼻息を荒くし、ハウスの奥へ行くと、3人が川の字に寝ていた。
一瞬、何かあったのかと慌てたが、どうやら寝ているらしい。
とても気持ち良さそうだ。
パーヤは顔を綻ばせる。
自然と――。
「ふわ」
欠伸が出てきた。
「わたしも寝ようかしら」
トモアキの背中に胸を密着させる。
瞼を閉じると、夢の中へと落ちていった。
★
夕方。
暮れなずむ空を背にして、ガラスハウスに現れたのは、ロダイルだった。
手には酒が握られている。
今日がガラスハウスの完成日と聞いて、祝いにやってきたのだ。
「こりゃすげぇ……」
自分が用意した耕地に、ずでんと立っているガラスの家にまず驚く。
話には聞いていたが、本当にガラスで出来ていた。
1枚1枚申し分ない出来だ。
素材の良さもあるだろうが、いい職人に作ってもらったのだろう。
入口の方へ回る。
ガラスの扉を開けると、耕された耕地と、そこで眠っている4人の家族を見つけた。
目の前に立つ。
ロダイルは頭を撫でつけた。
どうしようか、考える。
さすがに起こすのも忍びない。
実に気持ちよさそうに寝ていたからだ。
そして、何より全員がトモアキに寄り添い、幸福を噛みしめていた。
「本物の家族だな、お前ら」
「ふがっ……」
寝言なのか。鼾なのか。
わからなかったが、トモアキが返事する。
口元から涎が垂れていた。
「幸せそうな顔をしやがって」
珍しくロダイルは笑う。
酒をその場に置くと、外套を翻してその場を後にするのだった。
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