complex 2
見計らったようなタイミングで心配性の婚約者から電話がかかり、メオに居候を任せた。病院に行くと告げたのだから掛けてくるな、などとは言えず当たり障りのないことを話し、夕飯は何を食べたのかと話をすり替えた。彼は穏やかで落ち着いた性格だったが、心配には耐えられないのか焦りが窺えた。
「これから診察で、それから夕食ですの。何時に帰れるのか分かりませんわ。本当に心配には及ばない程度の傷ですから…念のため診ておこうというような…ですからどうぞ先に寝ていてくださいませ。明日もお早いのでしょう?おやすみなさいまし」
婚約者は唸り、互いに沈黙しているうちに渋々承諾した。舌打ちと同時に通話を切って溜息を吐く。遅れて診察室に入ると、メオは適当に頷き、居候は診察台の上で処置されていた。入院を言い渡され、彼岸は大きく顔を顰める。
「麻酔打って縫って終わり…とかじゃねぇのか…ないんですの?」
婚約者も必要に応じて利用する病院であることを思い出し、引き攣った笑みを浮かべた。医者は呆れた様子で急患として来るような傷だと言い、警察を呼ぶかどうかも訊ねた。彼岸は彼が盲腸であると言って聞かせた。診察台で看護士に甘えた態度を取っている少年を見ていると結局気が変わり、入院を許した。メオと病院を出る前に婚約者にメッセージを打つ。軽傷だと伝えている手前、盲腸ということにしておいた。
「悪かったな」
「…いいや。子供は…世の宝、だからな…」
メオの四輪駆動が繁華街へ向かう。
「話してなかったな。ララクとヌカが聞いたら何て言いやがるか。クリミナルシティの生き残りだとよ。双子の弟を探してるんだと。とっとと出て行ってもらわねぇとやりづれぇよ」
「…焼けた…街か…市長が…殺されたな…」
ビル群が並び、歓楽街は特に有名で夜間は鮮やかな電飾で眠らなかった。治安も悪く、犯罪が絶えなかった。汚職にまみれているとも噂が立ち、少し前に市長が殺されたことは山を隔てたこの地オウルシティにも届いていた。だが意外性はなく大した話題にはならず、ビル壁面の大型ディスプレイでもテロップで済まされる程度だった。
「仕事増やさねぇと。なんでここは保険適用されねぇんだかな。いくらになるんだか」
医師の提示した期間と1日の入院費を大まかに計算する。払えない額ではないが溜息の出る費用だった。
「…仕事が増える…ということは、世に恨みが跋扈するということか…」
なんだかな、というような目をメオにくれ、彼岸は食事処を探しはじめる。
「ガキのお守りで暫く会えねぇかも。悪ぃが奴等にも伝えておいてくれねぇか。また面白ネタを与えちまうな」
「…子供は宝…ヌカはバカだがララクは分かってくれるだろう…」
律儀なウィンカーがカチカチ鳴った。この街にウィンカーを出して曲がる親切な運転手は多くない。レストラン街とは離れていく。
「飯屋は」
「…子供がいないなら…今日は1人で済ます…帰ってやれ、旦那のところ…」
住宅街の方面の大通りへ出る。夜風が涼しい。乾いた肌を撫でていく。
「旦那じゃねぇよ」
メオは無言のまま菓子パンの袋に手を伸ばす。
「収穫は…あったのか…」
マスタードとケチャップの匂いが一瞬だけして攫われていった。
「あの銀髪の優男、覚えてっか。チビのほうな」
メオはソーセージとパンを咀嚼しながら頷いた。
「ヤツを始末した。収穫ってほどじゃねぇな」
婚約者の待つ自宅マンションが見えはじめる。肩凝りを覚えた。義兄と重なる。温和で真面目で心配性。今思えば苦手な部類の人間だった。顔も覚えていない恋人も確かそのような。若い人間の娘を嫁がせるならと忖度された。
「婚約者、旦那、恋人ってガラじゃねぇわな」
メオはビニール袋を鳴らして伸びをする彼岸を不思議そうに一瞥した。