猛毒 4
標的のいる土地は話のとおり荒廃していた。都市部からは遠く離れ、電波も届かない。小さな村から数時間歩いた先の城へ着く頃には電源を切り忘れた端末はバッテリー切れを起こしていた。王子というだけの立場にいる者がいそうな場所ではなく、大きく破損した城内を歩く。この地に着いた頃からどこにも光はなかったが、城だけは最低限の照明が点いていた。誰ひとりとして気配はない。習慣的に殺していた足音を故意に立ててみても出てくる影もなかった。まるで世界にアレイド独り、取り残されている。滅国の王子はまだ上階にも入らないほどの謁見の間にいた。きらきらと輝く黄金の空間だった。彼は訪問者に臆することなく、固そうな座具から立ち上がる。薄暗い金髪で、カールした毛先が軽快に揺れた。顔色は悪く、瞳孔が開き切っている。最初に口を開いたのは彼だった。無邪気にアレイドへ笑いかける。
「もてなす物がなくて申し訳ない。義妹が美味しいりんごを置いていってくれたのだが…それでも構わないだろうか?」
王子は徐にアレイドへ背を向ける。歩くことも厄介といった具合に痩せている。
「命をもらいに来ました」
王子は座具の裏に回り、前屈みになる。空間に決して大きくはないアレイドの声が反響した。
「今剥こう。話はそれから聞くとしよう。向かい合って、目と目を見て話したい」
足腰を痛めた老人と見紛うほどのシルエットで、王子はナイフと毒々しい果物を乗せたバスケットを提げていた。外観から腐敗は見当たらないが、依頼人の話からすると随分と時間が経っているはずだ。
「必要ありません。何か言い遺すことはありますか」
「…私は私の運命と、其方の良心を信じる。さぁ、今椅子を用意するからもう少し待っていてほしい」
ゆったりした足取りで王子は煌びやかな座具から離れていく。アレイドは銃を向けた。
「動かないでください」
王子はのそのそと歩きながら掌を見せ、制止を求めた。
「撃ちます」
「信じている」
銃口が爆発する。黄金の壁に穴が空き、蜘蛛の巣を描いた。
「信じている。私は其方の良心を」
王子は動じず、まだ椅子を持ってくるつもりらしかった。アレイドは照準を合わせる。引金に掛かった指に力が入ったが、同時に脇から入ってきた衝撃に、まったく違った方向の壁に穴が空く。アレイドは床へ倒され、振り返りながら胸元のナイフを抜く。白いタンクトップの少年が威嚇しながらそこにいた。
「もうひとつ、椅子が必要のようだ」
呑気な語調で王子は言った。白いタンクトップの少年は後転しながらアレイドと距離をとる。
「誰です」
アレイドは訊ねた。深い紫色の髪にヘアピンが光っていたが、白いタンクトップから伸びる小麦色の肌と華奢ながらもよくついている筋肉にはアンバランスだった。
「アンタに用はない。そっちの王子に用がある」
まだ少し高さの残る声は少年をさらに若くみせる。
「私もです」
ナイフを構えながら標的が少年へと変わる。だが妙に呑気な王子からも意識を逸らせなかった。
「じゃあ、まずはアンタを片す」
左手が光る。親指以外の4指に連なった指輪が嵌っている。ナックルダスターだ。爪先で軽快に飛び跳ね、吊り気味の大きな目がアレイドに集中している。
「残念です」
ナイフを手の甲へ投げるように回し、逆手に握り変える。間合いを詰めながら睨み合う。少年は王子の立てる物音が耳障りらしく、その度に眉が動く。食器の音に彼は気を取られた。その隙をアレイドは見逃さず、姿勢を低くし脇腹にナイフを入れる。暴れるようにして少年は躱した。感触はあったが深くはない。呻き声が聞こえ、白いタンクトップが破れていた。遅れて赤く染まっていく。
「怪我をしたのかい。おいで。すぐに手当てをしないと。其方の運命を信じている」
脇腹を押さえて座り込んだ少年に王子はやっと慌てた様子をみせた。アレイドは銃口を怪我人に駆け寄ろうとする標的に定める。急いでいてもその足取りは重い。
「待ちなさい。この者の傷を塞がなければ。包帯か消毒液はあるだろうか?」
少年の手の上から王子は血の気の失せた手を重ねる。赤みが広がっていく。
「他人の血は触らないことです」
少年は銃口を睨んだ。引金に再び指を掛ける。鮮やかな赤い物が放り投げられ、銃に当たった。弾丸は少年の傍の金髪を掠める。何本か毛が散った。
「帰るぞ、紫鴉。バカたれが」
黒い髪を揺らし、背の高い女が謁見の間に入った。見覚えのある女だったがアレイドは思い出せなかった。
「王子殺せっていう馬鹿女の2倍、出してくれるだろうよ、嫁さんがな」
女は転がるハイヒールを拾い上げ、片手のハイヒールも落とすと順に裸足を突っ込んだ。
「婚約者がそのガキ気に入ってんだよ。傷物にされちゃ困る」
「関係ありません」
「関係ねぇけど、分かってねぇな」
女の呆れた声をよそにアレイドは王子へ鉛玉を撃ち込んだ。