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「Dromeas(ドロメアス)―走者―」(3)

「声を上げたら殺すぞ、くそガキ」


 いつの間にか後ろに回り込んでいた短髪の男が、耳元で低い声を発する。

 背中にも硬いものが当たる感触がある。正通は恐怖で身を震わせながら、無言で頷いた。


「教えてくれてありがとよ……子供が夜、出歩いちゃいけないってことがよく分かっただろう。こうして見ちゃいけないものを見ちまったりするんだからな。そのまま歩いてこの中に入れ」


 正通は無言で頷くと、ゆっくりと歩き出した。横から右腕を組み取られて拳銃を突きつけられ、身動きが取れない。


「なぁ、こいつ……」


 不意に短髪の男が正通の横顔を覗き込み、口元を歪めた。


「殺すには勿体ないな」


 唾を飲みこむ音がはっきり聞こえた。

 無言のまま震えていると、もう片方の男が顔を近づけ、鼻を鳴らした。

 

「……そうだな」


 男達は互いに顔を見合わせて笑っていたが、やがて正通の肩を押して前に進むよう促した。

 再びゲートの前に立つと、禿げ上がった男が無言で顎をしゃくり、ゲートを開けるよう促した。

 正通は震える手をゲートの取っ手にかけ、力を加えた。


「そうだ、早く開けろ」


 恐怖で頭の中は真っ白になっていた。取っ手に力を入れて足を踏ん張り、ゲートを少しずつ開く。

 しかし、正通は少しだけゲートの隙間を広げると何かを思い出し、急に動きを止めた。


 ――待てよ。この中には――。

「おい、どうした?」

 ――そうか。こいつらの目的はあの二人――!


「何やってるんだ、早く開けろ!」

 ――ダメだ。ダメだ、開けちゃいけない!


 正通はその場を動かず、ゲートの内側を覗き込んだ。


「てめえ、何を……」


 禿げ上がった男が言い終わる前に正通は叫んだ。


「こいつら、銃を持ってる! 早く逃げてぇぇっ!」


「……このガキィ!」


 短髪の男が正通の口を抑え、首を締め上げる。


「んぐぅっっっ!」


 物凄い力に、一瞬で意識が飛んでしまいそうになる。


「おい! 中でやれ!」


 禿げ上がった男に制止され、短髪の男は面白くなさそうに首から手を離した。

 首を圧迫された苦しみから辛うじて解放され、激しくせき込む。


「面倒かけやがって、このガキが!」


 短髪の男がもう一度正通の口を抑え、腹に鋭い突きを入れる。全身を襲う脱力感の後に、内臓がぐしゃぐしゃになるような痛みが走った。

 正通がその場にうずくまると、禿げ上がった男がゲートを開けた。車一台分の隙間を開けると、短髪の男に目配せする。


 短髪の男は正通の身体を担ぎ上げると、そのままゲートの中へ無造作に放り込んだ。


「うあっ……!」


 背中から全身に伝わる、激しい衝撃。痛みのあまり、ろくに身動きも取れず悶え苦しむことしかできない。

 やがて、ゲートから二台のハイエースが入ってくるのが視界に入った。

 敷地内に侵入したハイエースの中から、減音器サプレッサー付きの拳銃や短機関銃サブマシンガンで武装した十数人の男達が現れる。

 黒ずくめの服装にボディーアーマーを装着し、ナイトビジョン・ゴーグルを装備した、映画やニュースで見る特殊部隊のような物々しい姿だった。

 男達はゲートを閉めると、素早く散開してゆく。

 その内の一人と、あの禿げ上がった男の会話が聞こえた。


「あのガキはどうします?」

「殺せ!」


 短いやり取りの後で、拳銃を手にした男がこちらへ駆けて来るのが見える。

 迫り来る男の姿を、正通は呆然と見ていた。


 ――僕、死んじゃうのか。短い人生だったな。あの二人は無事に逃げられたかな……。


 生命の危険が迫る中で、正通は自分よりも他人の心配をしていた。

 やがて、男が銃口をこちらに向けるのと同時に、一発の銃声が鳴り響いた――。


「……あれ……?」


 身体が動く。どこも痛くない。

 銃口を向けていた男はこちらを見下ろしたまま、地面へ倒れ込んだ。

 何が起きたのか分からずにいると、他の男達が異変に気付き、こちらへ向かって来た。


「向こうも銃を持ってるぞ! あっちだ!」


 その声を合図に、武装した男達が全員こちらへ向かって来た。


 ――逃げないと……!


 一度は死を免れたことによって、ようやく死への恐怖が沸き起こる。まだ背中の痛みが残る身体を引きずり、這うようにしてその場を離れようとした。

 なんとか身体を起こして、走り出そうとした時、再び銃声が聞こえた。


「うわっ!」


 反射的に地面へ伏せると、続いて銃声が轟く。

 三発の銃声――そして、人の倒れる音、押し殺したような悲鳴が聞こえた。


 ――なんだ、一体?

「走れ!」


 暗闇の中から突然現れた男が正通の身体を抱え込み、走り出した。その手には一挺の拳銃があった。


「急げ、腰を低くしろ!」


 それは武井だった。

 背後からは「逃がすな!」という声と共に、銃声を伴った無数の銃弾が襲う。

 サプレッサーの効果で音は抑えられているものの、爆竹のような発射音が恐怖を煽る。加えて、頭上で何発もの銃弾が空を切る音が聞こえる。

 冷たい汗が背筋を伝うのが分かった。


「隠れてろ! 警察は呼ぶな。呼んでも来ない!」


 武井は正通を積み上げられた鉄骨の陰へ押しやり、地面に転がって射撃を加えた。

 武井の放つ銃弾は、まるで吸い込まれるように標的に命中する。

 短い悲鳴を上げて倒れた標的は――再び動くことはなかった。

 武井はナイトビジョン・ゴーグルなど持っていない。手にしている拳銃――トカレフにも暗視スコープなどはついていない。

 射殺された男達はいずれも首や脇などの、防御されていない急所を撃ち抜かれていた。


「A班、前へ! B班の援護に回れ! たった一人の相手に何をしている!」


 敵の指揮官が指示を下し、二手に分かれていた部隊が一列横隊を組む。

しかし、その間にも一発の銃声が轟き、一人の兵士が倒れた。


「全員、伏せろォォ!」


 指揮官の放った号令は悲鳴のようだった。

 正通は鉄骨の陰から武井の戦いぶりを見守っていた。

 武井は余計な動きを一切せず、一発撃つごとに場所を替え、正確に敵を狙い撃った。

 いつしか敵からの反撃はなくなり……現場には不気味な静寂が訪れた。


 トカレフ――かつて日本中に悪名を轟かせた当時、『銃弾が前に飛ばない』といった粗悪さでも広く知られた拳銃。

 しかし、武井が手にしているそれは中国製の粗悪なコピー品や廃銃の再利用品ではない。

 旧ソ連の工場で製造されたものの中でも特に精度の高い部品を組み合わせて作られた、極めて命中精度に優れたものだった。

 とはいえ、装弾数や安全性にオプションの充実度――それらにおいてトカレフを上回る自動拳銃は数え切れないほど存在する。

 しかし、武井はそれらを必要としなかった。

 撃たれる前に敵を射殺し、敵の数が装弾数より多ければ素早く弾倉交換マグチェンジをして撃てばいい――武井にはそれが可能だった。

 武井に言わせれば、高性能を謳った拳銃は『高性能というより便利なだけ』の代物でしかなかった。


「駄目だ、全滅するぞ! 這って後退しろ!」


 ボディーアーマーに身を固め、サブマシンガンで武装した男達が、這いつくばって後退している――拳銃一挺しか持っていない一人の男を倒すことができずに。


「なんてこった……!」


 陰では『ハゲ山』と呼ばれている頭の禿げ上がった男――景山かげやま

 ゲートの近くに止めたハイエースの陰から様子を見ていた彼は、目の前で起きたあまりの出来事に呆然としていた。

 自動車泥棒にしては妙だと思っていた。いつものように相棒の芝田しばたとカモを見つけて、車に乗せようと駐車場まで連れて来たら急に車が発進した。

 まるで、自分達が現れるのを待っていたかのように……。

 連れて来た高校生達は適当に誤魔化して解放し、万が一に備えて傭兵を集めた。

 GPSで車の場所をすぐに特定して駆けつけたが、万が一に備えた結果がこれだった。

 一個分隊――十二人の兵士の内、既に半分がやられた。

 それでも、あのレクサスだけは取り返さなければならない。

 車内に積まれている物が誰かの手に渡れば、その先には破滅が待っている。


「どうすんだ、景山? やべえぞ!」


 短髪の男――芝田が憔悴しきった顔で助けを求めた。


「落ち着け、バカ! とにかく車を取り返すんだ!」


 景山は芝田を一喝する。


「……どうやって? 下手に動きゃ殺されるぞ!」


 芝田が陰からそっとナイトビジョン・スコープで様子を窺う。

 兵士達がゆっくりと這って後退していた。そのうちの一人が指揮官に悲鳴にも似た声で話しかける。


「軍曹、これ以上は無理ですよ……本部に連絡して増援を要請しましょう!」

「無駄だ! 今夜は俺達以外、殆どの人員が他の現場に行ってるのを忘れたか?」


 部下の提案を軍曹が一蹴した。


「じゃあ……この場から撤退しましょう。あの連中にここまでする義理、ないでしょう?」

「くっ……トヤマ。だからお前はいつまで経っても兵卒なんだ。ただ戦場にいるだけの人間は兵士でもなんでもない。戦場で戦い、勝利してこそ兵士なんだ。それに、契約違反で勝手に戻ればどうなる? 裏の世界でも居場所が無くなれば……俺達は野垂れ死ぬだけだ」


 軍曹に強い口調で諭され、トヤマは顔をしかめて唇を噛んだ。


「しかし……もう六人もやられているのに……」

「違う……違うだろうが。『六人もやられているのに』じゃない。『六人もやられたからには』だ! 戦友達の仇を討て。必ずあの野郎を殺すんだ。後退してチャンスを待て。動きを見せたところで一斉射撃を加えて圧倒するんだ。こちらには六挺のMP5がある。火力で負けることは……まずない」

「はい、軍曹……!」


 軍曹は早まる鼓動を必死に抑えながら、可能な限り冷静を振る舞って指示を下した。戦闘服の中は汗でぐっしょりと濡れていた。


 ナイトビジョン・ゴーグルにボディーアーマー。ヘックラー&コッホMP5A5サブマシンガン、ベレッタM92FS自動拳銃。その装備はアウトローが持つ装備としては贅沢に過ぎる。

 兵士達のいずれも、ある者は海外の戦場で、ある者は地下世界で修羅場をくぐって来た強者達だった。

 それが……たった一人の男を相手に六人もの死者を出し、這いつくばって怯えていた。


「一体……何者なんだ? あいつは……!」


 芝田は誰に尋ねるでもなく問いかけると、ベレッタの安全装置を解除し、武井のいる暗闇の中に視界を移した。

 建設中のビルが月明かりを背負い、その下はナイトビジョンでなければ見えなかった。


「うっ……?お、おい?」


 芝田は我が目を疑った。


「どうした、芝田?」

「あいつ……イカレたか?」


 それぞれのナイトビジョンの視界の中に、ゆらりと立ち上がる人影が見えた。


「あ、あの人……何考えてるんだ?」


 物陰で様子を見ていた正通が思わず言葉を発した。

 武井は土に汚れた服を手で二、三度叩くと、敵に向けて大きく手を振った。


「なッ、なにッ……バカにしやがって! 撃て、撃てぇ!」


 武井の挑発に激昂した軍曹が号令をかけると、嵐のような銃撃が武井を襲った。


「……無駄だよ」


 武井はにやりと笑うと、ゆっくりと歩き始めた。

 超音速で飛来する九ミリ・パラベラム弾が武井の頬を、肩を、全身をかすめる。

 しかし、一発として武井の身体に傷を負わせることはできない。

 無数の銃弾が武井の身体を通り越して、背後に立つ鉄製の外壁にけたたましい音を立てて突き刺さった。


「一体、どうなってるんだ……何で当たらないんだ!」


 武井は銃弾を避けるような動きは一切見せていない。それは銃弾が意思を持って武井を避けて飛んで行くようだった。

 外れた銃弾が外壁に空けた無数の穴は、まるで縁日のカタヌキのように見事な人型を描き出していた。

 MP5の発射速度は毎分八百発に達する。それぞれのマガジンは瞬く間に空になり、兵士達はマグチェンジをして尚も撃ち続けた。

 しかし、その銃弾のいずれもが武井の身体を避けるように飛んで行く。

 正通はいつの間にか物陰から身を乗り出して目の前の光景に見入っていた。


「サーチライトだ。目を眩ませろ!」


 兵士全員がナイトビジョン・ゴーグルを外し、トヤマが武井にサーチライトの光を浴びせた。

一千メートル先まで照射可能な、強力なサーチライト。まともに浴びればしばらくは何も見えなくなるほどの強い光を発することができる。

 兵士達はその眩い光に、思わず顔をしかめた。

 立ち止まった武井の姿がサーチライトに照らし出される。ナイトビジョン越しではなく、肉眼に直接映し出された亡霊のような彼の姿に、その場にいた全員が戦慄を覚えた。


「うっ……撃て!」


 兵士達が身体を起こして射撃を再開しようとした時だった。

 一発の銃声が鳴り響き――それと同時に短い叫びを発し、一人の兵士が倒れた。


「な、何だ?」

「くそっ、どこだ!」


 トヤマが手当たり次第に周囲を照らす。その他の兵士達もMP5に装着したフラッシュライトで周囲を照らし、警戒した。


「ここだよ!」


 頭上からの声に反応し、トヤマは素早くサーチライトの光を向けた――!


「あ……白……」


 視界いっぱいに映ったのは目にも眩しい純白のパンティと、すらりとした脚。それが、彼が最後に見たものとなった。


「ごめんね」


 空から現れた乱入者はトヤマの肩を両足で踏みつけ、そのまま頭部を左右から挟み込んで身体を回転させた。

 まるで、フィギュアスケートの演技のような美しい動きだった。


「グェッ……!」


 トヤマは自らの首の骨が折れる音を聞いた。そして、乱入者の足がその身体から離れると、そのまま地面に倒れた。

 うつ伏せに倒れているのに、その顔は夜空を見上げていた。

 地面に落ちたサーチライトの光がビルを照らす。ネットに反射した光に人影が照らし出された。

光を背に受けてスカートを翻しながら舞い降りたのは、拳銃を手にした一人の少女だった。


「女……の子……か?」


 兵士の一人が緊迫感に満ちた声で間抜けな台詞を口にした。

 陰から様子を見ていた景山と芝田は、あまりに場違いなキャストの登場に絶句した。


「……神岡陽子……!」


 正通は呆然としながら、その名を口にした。

 現れたのは、あの三流アイドル――神岡陽子だった。

 陽子は舞台照明のような複数のライトに照らされ、美しい黒髪を風になびかせながら兵士達を見下ろしていた。

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