7話 Turn down
太陽が中天の座より降り、一週間という長期遠征依頼の最初の一日もあと少しという時間で終わろうとしている。
――正直最初はイーヴァの意見に便乗するような形だったが、しかし結果的にはこの依頼を選んで正解だったな。
この世界にきて二日。オレはこの七つ世界のことについて、そして自分の身体のことについて、今回のこの依頼を通していくつか新しいことを知った。
一つ目は、この身体になってからすべてのプレイヤーの身体能力が驚異的なまでに強化されたということだろう。
メノウさんはどう見ても重そうな全身鎧を着込み、さらに右手にはハルバードを担いでいるというのに息ひとつ乱れることもなく、むしろそのハルバードを移動中の手慰みに弄んでいる。
オレの知識が正しければカーバイトとは炭化物のことなのだが、しかしこのカーバイト、広義的にはいわゆる超硬質合金を含んでいる。そして超硬質合金といえばドリルの刃や草刈機のチップソーに代表される切削工具の材料なのだ。
彼女が着ている鎧がそのカーバイトなら重くないわけがない。なにせオレの中指ほどの長さしかなかったドリルがあれだけ重かったのだから。
だというのにそれを半日以上着込んでいたメノウさんは一切の疲労を感じていないらしい。むしろ元気一杯に「ごはんまだー?」と貸し出された木製皿を木のさじでもってかんかん鳴らしていた。
彼女は貸し出し時に言われた「壊したら弁償」という言葉をすっかり忘れているらしい。いや、二つとも百サンドくらいで買えるのだが。
なお、こんな情報は知りたくもなかったのだが、彼女は野外炊飯がどうのこうのではなく本気で料理ができないそうだ。曰く休日ですら朝昼晩と弁当を買って食べていたらしい。
その脇でくすくすと苦笑いを浮かべながらなべをかき混ぜてるハンガクさんを見習え社会人。
「皆さん、もう少し待ってくださいね? 今日は黒パンと干し肉のお粥です」
「……それ、美味しいの?」
「さぁ? 私もこれの配給時に初めて作り方を聞いたのでなんとも言えません」
たしか中世ファンタジーではおなじみの料理だな。
粥っぽいのは見た目だけであり、ほとんどの作品では貧しい平民が主食にするような食べ物だから栄養はさておき旨くはないはずだ。
今のうちに食えるだけましという覚悟だけはしておこう――さておき。
この七つ世界、ゲーム当時はほとんどの戦闘をプレイヤーがこなしていたためにそういうイメージはまるっきりなかったのだが、この世界の住人は意外と戦闘能力が高い。
むしろ工業機械という言葉がない分肉体労働者の環境は苛烈の一言であり、肉体はオレたち地球人よりも強靭だ。
いや、オレたちは身体を異種族の身体や能力で強制的に強化しているわけだから、それに迫る身体能力を素で持っているという時点で驚愕するしかないだろう。
本気で、この世界の王族はオレたちを輜重部隊として利用するためだけに召喚したらしい。
――まぁ、それに驕ってああなったら世話はないのだが。
先日のクーデターを起こした貴族の顔を思い出し、ため息。
ともあれ、先の理由からこの世界の人間は全体的に能力が高い。が、さすがにこの世界のすべての人間がオレたち並に戦えるというわけではないらしい。そもそも肉体労働従事者でもなければオレたちに迫る身体能力は身につかない。
そのため王都と各主要都市とをつなぐ街道では護衛を専門的に扱う傭兵業がもっとも盛んのようだ。オレたちのキャラバンにはいないが。
だが街道では皮鎧と棍棒で身を固めた屈強な男たちが荷駄車を護衛する姿が散見されるし、このあたりには見当たらないが街道から少し外れたところには点々と狼の死体やモンスターの骸が気分の悪くなるような臭いを放ちながら転がっている。
その死体のどれもが一部欠損しているのは、それを倒した傭兵たちが素材として利用するために剥ぎ取ったからか。
いや、それよりもよくこんな状況で疫病が発生しないものだ。もしかしてこの森の中には死体を主食にするデッドミートでも住み着いているのだろうか?
……ああ、死闘の末にようやく倒した大型モンスターを、乱入してきたそいつにまるまる食べられてしまったことを思い出した。
なんで食事前に思い出すかな? あらゆる死体を粘土のようにこねて作られたかのような、そいつのグロテスクなディティールを思い出して口元をへの字に曲げる。
「はーい、皆さんできましたよー? お皿だしてくださーい」
……なんという、タイミング。
一言で言えば、あまり旨くなかった。
いや、わざわざ作ってくれたハンガクさんには悪いが今後二度とこういうことが起こり得ぬよう、ここははっきりと言い表そう。
すごく、まずかった。
そもそも見た目が『べちゃっとした色黒のおから』の時点で若干食欲がうせる。
次に――というかこれが誰もが見落としていた主な原因なのだが、干し肉の保存料として使われている大量の塩がパン粥をおそろしく塩辛い味にしていた。
最終的に全員が全員、レーションで味を中和しながらなんとか食べきった。
「これ、絶対に主食じゃなくて酒のツマミだよな。こう、イカの塩辛的な」
とは水を飲んで渇きを潤すイーヴァの意見。
「うーん、たぶん干し肉を多めに入れたせいだと思うんだよね。あと、料理のベースが肉体労働者向けの若干濃い味付けだったことも関わってると思う。ハンガク君はどう思う?」
「私もそう思います。でもまさか干し肉がこんなにしょっぱいだなんて……」
レオンさんとハンガクさんはそれぞれの意見を述べ合う。
この辺は栄養学的な知識や保存技術に恵まれた現代人と、保存料が塩ぐらいしかないこの七つ世界との意識の差なのかもしれない。
まぁ、普通に現代に生きてきた人間なら干し肉と聞いてもビーフジャーキーを思い浮かべるだけで、ここまで塩辛いとかは想定の埒外だろう。
「それよりも皆さん、味見もせず申し訳ありませんでした」
ハンガクさんは申し訳なさそうに頭を垂れる。
そしてメノウさんはまた慰めてやれとでもいわんばかりにオレの脇を肘でつついてくる。
が、それよりもまずこの社会人は一切の料理ができないことを恥じるべきだと思う。独り身男性のオレですらパスタくらいは作れるんだから。
[jump a scene]
当たり前のことだが、キャラバンというだけあって今回の依頼を受けたプレイヤーは大人数であり、その数は三十人にのぼる。
無論それだけの大所帯を維持させる荷物だ、使用されている荷車は馬の一頭引きが二台もあり、その馬を手繰る御者らの分も含めて行きと帰りの食料と毛布、そして雨具や薪がたっぷりと積み込まれていた。
……まぁ、それだけなら別に良い。彼らはオレたちに好意を持って接してくれているし、仕事に勤勉なため護衛任務も気持ちよく行える。
だが、やはり領主に会うにはそれなりの立場がいるらしい。今回は彼らのほかに王からの親書を預かっている若い貴族が一人同行していた。
そしてそいつはこの任務がよほど不満なのだろう。荷物と一緒に荷車に乗ったっきり降りても来ないし、休憩中は御者たちを小間使いのように扱っていた。
王都の貴族はこんなのばっかかとため息が漏れてしまう。
いや、クーデターに加担しなかっただけこいつは良心的なのかもしれない。
「……なぁ、イノ」
「なんだ?」
「座る場所、交換してくんね? あの貴族、出発してからずうっとアタシのケツにいやらしい視線を投げてくるんだ」
時刻は七時か八時、薪や油代を気にする人なら寝てしまうだろうこの時間。しかしいつくるかもわからないモンスターの襲撃は精神に多大なストレスを与えるようで、不寝番がいるこの状況でも眠るものは少ない。
たぶん、あの貴族もそうなのだろう。
だからといって女性の尻を凝視する理由にはならないが。
「まぁ、今のところお前が一番人間に近いプレイヤーで、一番可愛いからな」
今のイーヴァはその淡く輝く髪を隠すため、新しく買ったつばひろの帽子を深々とかぶり、髪をすべて帽子内へと納めている。
服装もいつものようにワンピースとサンダルだし、つばのせいでその耳も見えづらいため普通の人間にしか見えないのだろう。
だがオレはこんな格好をこんなところでしていることに違和感を抱けと言いたい。どう見ても街中をふらりと出歩くような服装だろうに。
「あら、惚気?」
「ねぇよ」
「ねぇよ」
「でも息はぴったりよ? ……でもまぁ、嘗め回すように見られるのはちょっと嫌ね」
「たしかに……」
「おい、二人ともなんでオレを見る」
「イノさん被害者の会です」
ハンガクさんが胸元を隠すように巫女服の衿を正す。
まさか……イーヴァくらいにしか見破られていなかったあの完璧で完全なチラ見がばれていた、だと?
「ははぁ。さてはイノ君、女性の胸を見てたね? だめだよ? 男のチラ見は乙女のガン見と大差ないんだから。見るなら恋人か、それとも同性かにしておきなよ」
「レオンさんまで!? お前はどっちの味方なんだ!」
「あえて言わせてもらえば、僕のメンタリティはいまだに女性側だよ?」
「くぅっ! わかってはいるがこの裏切られた感はなんだ!」
「いや、そーゆー脱線いいから。はやく場所交換してくんね? イノ」
月は中天に座し、しかしながらこの世界の天文学なんてものを理解しているわけがないオレは頭を空っぽにしてそれをぼんやりと眺める。
この世界も地球と同じように夜は冷え込むようで、オレの今の暖は目の前で赤々と燃える焚き火と、オレのひざを枕にぐーすか眠り始めたイーヴァの体温ぐらい。
よほど疲れていたのか、彼の口の端からだらだらと流れ出るよだれがひざに落ちて気持ち悪い。
かといって起こすわけにも行かず、ため息。
メノウさんやハンガクさんがさっさと眠ってくれてホント助かった。こんな格好のところを彼女たちに見られでもしたらなにを言われるかわかったものじゃない。
「静かな夜だね」
今しがたトイレに立っていたレオンさんが戻ってきて、オレにそう語りかける。
「それに、月が綺麗だ……おっと、告白じゃないからね? いくら同じパンツを分け合った仲でも、ね?」
「事実だが、字面がひどいな」
「そうだね。ところで――イノ君はこの世界についてどう思う?」
「どう?」
「うん。些細なことなんだけど、チャットリストを見るたびに思うんだ。みんな前向きすぎるって」
たしかに。普通は元の世界に戻りたいとか考える人間がいてもおかしくはない。
現在確認されている召喚された人数はたしか、今朝の時点で百七十三名。これは冒険者ギルドの公式発表であるし今虚偽情報を発表する利点はないため確かだろう。
また、常駐させていたチャットによると二日後に有志プレイヤーによる周辺地域の大規模な捜索隊が指揮されるらしい。
対象者はまだ死に戻りも未経験で、アリアドネーの糸を使用しない、ないしは使用できない状況に陥っているプレイヤーだ。
――人数はまだまだ増える可能性はある。が、すでに百七十名もいるのに誰一人元の世界を恋しいと思う人がいない気がする。
少なくともオレはチャットにそういう部屋が建ったところを見たことがない。
「……そう言われればオレもそうだな」
はたと気づく。
恋しいとか、帰りたいとか、改めて言われれば一切考えなかった。むしろこの世界でどう生き残ろうかと考えてばかりだ。
いや、まだ三日しかたっていない。もしかしたらゆっくりと頭を冷やして考える時間が足りないのかもしれない。
「みんなこの世界に馴染みすぎてる、それを考えると背筋がぞぞぞってならないかい? まるで、頭のなかの誰かが僕たちを良いように動かしているような……」
「……お前がオカルト好きなのは理解した。が、やめておけ。精神衛生上よくないぞ?」
「ははっ! 僕もそう思う。まあ、もうひとつの可能性としては、みんな本当の自分に戻りたくないか――ううん、情けない自分に戻りたくないか、だね」
だって、今の身体はみんなの理想の姿で、強くて、美人で、可愛いんだもの。
彼女はそんな言葉をにやりと笑みを浮かべて言い放つ。
「やめてくれ。その顔で言われると舌なめずりしているようにしか聞こえない」
「……ばれたかい?」
「女がいやらしい視線に敏感だというなら、男は貞操の危機に敏感なんだよ」
「へぇ、初耳だね。ところでイノ君――君は、BLに興味はあるかい?」
「ねぇよ」
「ふふっ。安心して? 僕もない」
「……それは、安心できるのか?」
お前、さっきから「メンタリティは女性側」と称してるじゃないか。
「さぁ? でもまぁ、君と僕は同じパンツを分け合った中だ。僕はこれでも君を同性の友と思ってるんだぜ? だからこんなバカ話をしてるんじゃないか」
「メンタリティが女性のせいなのか、それとも男と女の間で揺れ動いているせいなのかはわからん。だが男は、少なくとも男のオレはそんな背筋の凍るような話をバカ話とは言わん」
「なるほど、ひとつ勉強になったな。じゃぁ、男にとって本当のバカ話ってなんだい?」
「メンタリティが女のヤツに話すわけがないだろう?」
「ははっ! なるほどそういう話か。それは道理だ!」
彼女はオレのその言葉だけで納得したのかけらけらと笑う。
「ちなみに僕は」
「おいバカやめろ、それ以上しゃべるな」
[jump a scene]
それからの道中は特に問題もなく、順調に進んだおかげで出発から三日目の正午にはモリア大公領へと入領することができた。
強いて事件を上げるとすれば、二日目の朝にハンガクさんがまた料理を失敗して、こんどは白湯みたいなパン粥ができてしまったということか。
――七つ世界に召喚されてから五日目、やはりベッドで眠れない、風呂に入れない、朝も昼も晩もパン粥かレーションだけというストレスは疲労という形で確実にオレたちの身体を蝕んでいるらしい。
「べっどー!」
だから、昔は社会の規律を守る側の人間であったはずのイーヴァがまるで子供みたいにベッドへダイブしたのは、まぁ、仕方のないことなのかもしれない。
イーヴァをいやらしい目で見ていたらしい貴族は城門を潜り抜けるや「道中ご苦労」とだけ残して門番の詰め所へと歩いていき、肩の荷が下りたオレたちは御者らの案内で今日明日と泊まる宿へとチェックインしていた。
宿の部屋割りは本当なら同性同士で固めるのだろうが、オレの相棒であるという理由と、イーヴァの同意を得たことからオレとイーヴァは一緒の部屋にしてもらった。
そのときメノウさんが「あらあら?」と笑っていたので、さすがに今回ばかりは無言で殴っておいた。
――<ドッグファイト>が発動した左右の最速コンビネーションだったはずのに、すべて左腕の小盾で弾かれてしまったが。
さすがまがりなりにもミノタウロスの攻撃をスキルなしで捌ききった女。さすがというべきかいわざるべきか……無駄に疲れてもうひとつのベッドに腰を落とす。
尻の下からはばふっ、と柔らかな音ともに木のきしむ音や枯れ草を押しつぶす音がなる。
気になってシーツをめくり上げると、その下の木枠の中にはわらがこれでもかと積み込まれているだけだった。
「ああ、そうか。易く使えるほどスプリングがないのか」
軍隊ではさすがにいなかったが、オレたちとすれ違った傭兵はたしかに木製の棍棒で武装していたな。人間世界の鉱石資源の希少さを思い出して一人納得する。
このわらは麦のものだろうか? どちらにしろオレたちの朝夕の食事に黒パンを支給でき、宿屋のベッドにわらを敷き詰めるほどの量を生産しているということは城壁の内か、それとも外に大規模な麦畑があるのだろう。
でもなければたかだか百七十名程度のプレイヤーだけでこの世界の食料供給を支えられるはずがない。
現王が新しいプレイヤーを召喚したという話も聞かないため、プレイヤーの人数はほぼこれで確定なのだろう。いや、召喚にはなんらかの条件が必要であるという可能性も否定できないが、しかし、
「この世界の農家は軍人なみに強そうだな」
木製農具片手に「あちょー!」と叫びながら無双する農家を幻視してしまい、ほおが緩む。
「そんなのどーでもいー、アタシ寝るー、おやすみー……」
だがイーヴァはよっぽど疲れていたのだろう。
出発前はあれだけ「宿についたら風呂はいるー」と意気込んでいたというのに、宿に着くや否やベッドに飛び込んで、彼はそのまま安らかな寝息をたてはじめてしまった。
もしかしたら彼が夜明けよりも早く起きていたのは身体が変わったせいではなく、床が固いせいでぐっすりと眠れなかったためなのかもしれない。
膝枕をしてやったあの時はいつもより起きるのが遅かったし、可能性は高い。
「なんとかしてやりたいが……」
空中を二回叩いてウィンドウを展開。
そのなかのチャットリストでは街の復旧度合いを表すかのように『【学生】急募:建築関係者【応募可】』『【配給メシが】コックと栄養士、集まれー【まずい】』『【対象は】ギルド公営病院、職員募集の告知【医療関係者】』の文字が躍っている。
復興開始からまだ二日くらいしか経っておらず、ましてやこの短期間で快適な住居は望むべくもない。
国が宿を確保すれば……とも浅学な思考で考えなくもないが、百名以上の移民が突然領土に沸いて出て、それだけの部屋数を確保するのは難しいのかもしれない。
「あの幼女狐の手腕に期待だな」
まあ、相手は海千山千の政治家、地球での彼女の職業がなんだったのかは知らないが、あまり期待はできないだろう。
ああ、頭が重い。オレもかなりキてるらしい。
「……寝るか」
この宿にはオレたちプレイヤーか、あとはあの御者たちくらいしかいない。
だが用心するに越したことはないだろう。立ち上がり、部屋の鍵――というか、かんぬきをかけた。
がんがんがん! というドアをノックする音で目を覚ます。
「イノ君、僕だ! 一大事だ!」
「――どうした!?」
レオンさんの切羽詰った声に一発で意識が覚醒。跳ね起きてかんぬきをはずす。
オレがかんぬきをはずすや否や扉がばたん! と間髪おかずに開けられ、レオンが泣きそうな顔でオレの胸に飛び込んできた。
「どうしよう! 僕、恥ずかしくてお風呂にいけない!」
「おい」
いや、レオンさんは身体は男でも心は女性。しかも十年以上男と付き合ったことがないとも言っていたので男の身体に免疫がないのだろう。
――が、それはしょっちゅうトイレにたっていた彼女が言うべきセリフではない。
「あれだけトイレに立っていたんだ。男の身体にはいい加減慣れただろう?」
「もちろん! 見るのは最高さ!」
「離れろ」
「やだね! どうせ君のこと、僕が離れた瞬間に鍵をかけるんだ。絶対に放さないよ!」
そのままぎゅーっとオレの身体を締め上げ、さらには顔をオレの胸板にうずめてくる。
突然肋骨がみしっ! と嫌な音を奏で、顔からさぁっと血の気が引いた。
どうやら彼女の種族であるドラゴンハーフは大型両手武器を片手で扱えるだけあって、その膂力は通常よりもさらに強化されているらしい。
ただ、まさかここまではっきりと違うとは思っても見なかったが。
「わかったわかった! 中に入れてやるから離れてくれ!」
「……本当かい?」
「嘘をついてどうする!」
むしろこのまま絞め殺されるよりはましだ。
「……わかった」
ようやく納得してくれたのか、レオンさんは不承不承拘束を解いた。
肋骨、折れてやしないだろうな? 自然回復で治るといいんだが……最悪<ルートリカバリー>を使うか、イーヴァから<治癒のルーン>を飛ばしてもらおう。
「ふぅ……。約束だ。入れ」
「うん、お邪魔します」
レオンさんと一緒に部屋の奥のほうへと移動し、オレはベッドに腰掛ける。
また、この部屋は本当に眠るためだけの部屋なので椅子がない。そのためオレはレオンさんにとなりに腰掛けるよう促した。
そのときの彼女の顔がすこし紅潮しているのに気づいたが、見なかったフリをする。
――なお、これだけの騒ぎを起こしたのにイーヴァは「これかわいー、うぇひひ……」なんぞと寝言をつぶやいていた。
これはよっぽど疲れていたと見るべきか、それとも大物だと見るべきか判断に困る。
さておき。
「僕、男の人の部屋に入るのは初めてなのに、君の横に座れとか、イノ君は大胆だね。しかも隣のベッドにイーヴァ君……なんだかいけない事をしている気分だよ」
「そういう戯言はいい」
「そうかい? じゃあさっさと本題に移ろう。……イノ君、僕、他の人から裸を見られたくないんだけどどうすればいいと思う?」
「知るか」
「ひどいなぁ……男にもあるんじゃないのかい? こう、裏技的なものが」
「だったら部屋に鍵をかけて、硬く絞ったタオルで身体を拭いたらどうだ?」
「せっかく僕が真面目な話をしている途中で冗談はやめてほしいなぁ」
彼女は口を尖らせる。
「いや実際オレもレポートの期日が迫ってるときによくやった。使ったのはウェットティッシュだったが」
「……イノ君、お風呂に入らないと綺麗にならないよ? あと、レポートはこつこつやらなきゃダメじゃないか」
「うぐっ……」
正論だけにぐうの音も出なかった。
「大体それじゃぁ髪の毛が洗えないじゃないか」
「それなら水道――ああいや、水道はなかったな」
そのことをすっかり失念していた。
一応地球では古代ローマの時点で上下水道を作れるだけの技術があったので、作れない事もないのだろう。が、しかし、この世界はたしか井戸から水を――
「――まて、この世界の風呂は、本当に風呂か?」
「え? 宿屋の女将さんもうちはお風呂があるのが自慢だっていってたよ?」
「ちがう。本当に湯船なのかと聞いたんだ」
「……あ」
彼女もようやくそのことに思い至ったらしい。
「そうか……サウナ風呂の可能性もあるのか……」
なにせ井戸から水をくみ上げて使うのだ、むしろサウナである可能性のほうが高い。
オレ的にはサウナは嫌いではない……が、湯船に浸かる習慣が頭に染み付いているせいか風呂に入った気にはならないだろう。
オレですらこれだ。ましてや湯船を楽しみにしていた女性、その落胆振りは尋常ではないはずだ。
「……まぁ、入らないよりはマシか」
「だったら身体に布を巻いて入るといい。羞恥心がいくらか薄れるし、サウナだったら誰もとがめまい」
「そうするよ。……ねぇ」
「なんだ?」
「一緒に入るかい? 体中、隅々まで洗ってあげるよ?」
「男の裸を嬉々として見るヤツと一緒に入りたいと思うか? さっさと風呂に行って、垢と一緒にその煩悩も落として来い」