6話 Give comfort to……
さすがにうっとうしくなってきたので「そろそろ降りてくれないか?」と促すと、彼女は若干甘えた声で「え~? もっと~!」と拒否をする。
「……おい」
「うん? なに?」
思わず顔が引きつった。
イーヴァなんて驚きすぎて呼吸が止まっているくらいだ。
なにせその声は街に来てからまたばらばらになってしまったメノウさんの声だったのだから。
ぎちぎちと錆びたブリキみたいに二人一緒に振り返ると、そこにはすごいいい笑顔でこちらを眺めるメノウさんと、その後ろに隠れながら顔を真っ赤に「うわー……うわー……」とつぶやき続けるハンガクさん。
「い、いつから、見ていた?」
「イノ君。女の子にはね、どうしても不安で押しつぶされそうな時があるの。だから、そういう時は意固地にならず素直に慰めてあげて、ね?」
その言葉が、すべてを物語っていた。
「うわぁあああっ!」
「うわぁあああっ!」
二人で絶叫。
顔を真っ赤にしながら周囲の視線を気にせず大絶叫。
――あっ、穴があったら入りたいっ!
「どう? 落ち着いた?」
「ぉ、おぅ……」
「……すまない、取り乱しすぎた」
ひとしきり叫んで、ようやく頭が冷静になってきた。そしてオレたちはいままでの行動を取り繕うかのように勤めて平静に切り返す。
だが、さっきから周囲の人たちの視線が痛い。
そしてにやにやと笑いながら空中に指を這わせるプレイヤーを見るたび、オレたちの痴態を実況してるんじゃぁないかとさえ思えて仕方がない。
――今日は、怖くてチャットウィンドウは開けないな。
「ところで、なんの用だ?」
「ちょうど見かけたから、明日からはじまるお仕事のお誘い」
そう言って彼女はアイテム欄からうす茶色をした樹皮紙を取り出し、オレたちに見せてくる。そしてその樹皮紙には真っ黒なインクで「第一次職人送迎キャラバンメンバー登録用紙」と書かれていた。
また、そこにはメノウさんとハンガクさんの名前がすでにしっかりと明記されている。
「ここからモリア大公領まで往復六日に、向こうで一日の計七日間の旅ね。一日だけだけど宿屋に泊まれるおかげで競争率すごかったんだから」
彼女は自慢げに胸を張る。
おおっ? ハンガクさんほどとは行かないがしかし、これはまた健康的な……思わずその部分を凝視してしまい、イーヴァに軽く首を絞められる。
いや、たしかに失礼なことをしている自覚はあるのだが……解せん。
「旅の間は食事として朝と夜の二回が支給されるし、向こうでの宿代は無料よ。あと、支度金として四ガルド、報酬として一人二十一ガルド。計二十五ガルド支給……なんだけど、そもそも一ガルドって多いのかしら? それとも少ないのかしら?」
「ゲーム基準でいえばはした金だな」
なにせレーション一個が一ガルド、標準的な片手武器であるサーベルの店頭価格が三百ガルド。七つ世界の中でもこの人間世界は金属鉱石の埋蔵量がとても少ない。だが、その希少性をさしいひてもはした金といえよう。
「あくまでゲーム基準だが」
「そうね、考えても詮無いことだったわ。……それで? 私たちのお誘い、受けてくれるかしら?」
「あ、アタシ風呂入りたいから参加~。イノも良いよな?」
「そうだな……ちょうどやすり代がほしかったから、参加しよう」
「やす……り?」
「この腕に付いた傷やささくれを取るためにやすりがほしいんだ」
このままではいつか禿げ上がってしまうからな。
「あー……でも、大丈夫なの? 木とはいえ腕でしょ?」
「心配ない。木の部分に神経は一切通っていないし、表面の樹皮程度なら一晩で再生する」
おかげで一切の感触を味わうことはできなくなってしまったが。まぁ、仕方がない。すでにクレッセントと同じ不利な効果だと割り切った。
あとは指がうまく動かないのもそうだが……昨日よりは若干滑らかに動くのを自覚できているため、これは慣れの問題だろう。
「そんじゃ、アタシがイノの分まで代筆しよう」
「ああ、頼む」
「おっけー、じゃぁインクのあるギルドに行き……いえ、その前に」
メノウさんがにやりと、下世話な表情でこちらを見つめてくる。
「むふふ! 二人はいつまでそんな格好でいるのかにゃー? いやーおねーさんうらやましーなー妬けちゃうなー? ねー、がくちゃん?」
突然声をかけられたハンガクさんは、しかしさっきから顔を赤くしっぱなしで一言もしゃべっていない。
「は?」
「え?」
その二人の変な態度にオレたちは同時に顔を見合わせ……ようやく気づいて再び絶叫。
――イーヴァが、まだ、オレの背におぶさっていたままだった。
[jump a scene]
ギルド登録とキャラバンメンバー申請から一晩たち、翌朝。
その日もまた、オレは硬い地面の感触と朝焼けのまぶしさで目を覚ます。
「いよぅ、ねぼすけ。ようやく起きたか」
そして昨日の焼き直しがごとく、イーヴァは朝食であるレーションをかじりながら胡坐をかき、空中に指を這わせていた。
「お前は早いな? ……いてっ」
また、髪の毛が抜ける。
――いい加減、本当にやすりがほしいな。
「なぁに阿呆なことやってるんだよ。まったく……それより、部屋が立ってるぜ? 第一次職人送迎キャラバンっていうやつだ」
「ああ。わかった」
オレは指で空中を二回叩く。
とたんにウィンドウが目の前に広がり、その中からチャットルームリストを見る。
リストは今日も盛況で『【トイレと】ないなら作ろう【公衆浴場】』とか『【歯茎が】歯ブラシがない……だと?【むずむず】』、『【旦那様】良妻狐の目安箱【募集中】』などなど、新しいチャットルームが続々と立てられている。
しかも『【男×元男】もう、振り返らない……!【女×元女】』という部屋が新しく建てられてしまったあたり、この世界にどっぷりと身を沈めてしまった者もいるようだ。
しかしこれは……割りきりが早すぎるというべきか、おめでとうというべきか。
でも告白成功とか一言も書いてないんだよな……うん、そっとしておこう。
生暖かい視線を件の部屋に送りつつ、オレはイーヴァが言っていた『【関係者以外】第一次職人送迎キャラバン【立入禁止】』へと入室する。
チャット内では仕事の内容やら何時ごろにどこに集合するかの最終確認が行われていた。
「……なぁ、イーヴァ。この世界って時計、あるのか?」
「なんでも中央広場に日時計があるらしい」
「えっ? この世界、もしかして江戸時代みたいな不定時法なのか……?」
「らしいぞ?」
「うわぁ」
不定時法とは江戸時代のように日の出から日の入りまでの昼と、日の入りから日の出までの夜とにわけ、さらにそれを等分することで表す時刻制のことだ。
また日の出と日の入りが個々の感覚に任されているため、人によっては三十分以上の時間のずれが生じてしまったりする。
一応それを防ぐために時計の管理者が鐘を突いたりして周囲に時刻を教えるのだが……今まで鳴っていなかったよなぁ……。
「なんてめんどくさい……今は何時だ?」
「ん~と……明けの一時らしい」
なるほど。出発はたしか明けの六時だったはずだから、十二等分する西洋式で正解だろう。
とすると……だいたい正午ぐらいに出発?
三日掛かるといっておきながらずいぶんとゆったり過ぎやしないか?
「なぁ、イーヴァ」
「うん?」
「明けの六時っていうのは、いわゆる正午あたりの時間で良いのか?」
「あー……ちょっとまって」
イーヴァがせわしなく空中を叩く。
そして彼が空中を叩くたび、チャット内に新しい書き込みが増えていく。
内容は、当然オレが彼に投げかけた質問。
「……ん、ほぼ合ってるっぽいな」
「なるほど、午前中に必要な食料や野営具を荷車に積み込むのか」
彼と一緒にチャットを覗き込み、疑問が解消されたことに安堵。
プレイヤーに持たせないのは『もしも』を考えてのことなのだろう。
「安心したら腹が減ってきた」
言うが早いか、そのままアイテム欄からレーションをひとつ取り出して、オレはリスみたいにかじり始めた。
「へぇ? ちょっとだけかわいい食べ方だな」
「うっせ。指がまだ上手く動かないんだよ」
目を細めながら天を仰いで太陽の位置を確認。夜明けとともに目を覚ましたおかげか正午までにはまだまだ時間があるようだった。
そこでオレはイーヴァと二人で中央広場を突っ切り、ゲームでは区を分ける門が締め切られていて入れなかった東区のほうへと足を運ぶ。
区境の城門を潜り抜けると、耳に飛び込んでくるのはがやがやという朝の喧騒。
東区は早朝だというのに人で溢れ返り、むしろコカトリス襲撃のおかげで生活圏が濃縮され活気付いたという印象を受ける。
また、そこに暮らす人々の髪は若者のこげ茶色と初老の灰色が主流であり、顔の彫りも深い。稀にきれいな金髪や赤髪がいる程度か。
ただ、先日の貴族といい街を歩く人たちと言い、プレイヤーと比べれば全体的に野暮ったい――言い方は悪いがモブじみた印象を受けてしまう。
「やはり、プレイヤー並みの顔はそうそういないか」
「おいおい、キャラメイクがある時点で比較すんなよ。……あと胸ばっか見んな。みっともない」
「……なぜわかった」
「普通わかるわ」
ああ、せっかくの目の保養が……普段はまな板しか見ていないんだからこれくらいは許してほしい。
それにばれないよう、顔に出ないよう、至極さりげなく見ていたはずなのに……もしや体が女性になったから直観力も女性並になった、というオチだろうか?
しかたなく視線を建造物のほうへと移す。
町並みは中世という雰囲気ではあるが、しかし建物はどれも二階から三階立ての木造建築。
また、まるで判で押したかのような建物ばかりだし、入り口が大きな建物も見当たらないので二×四工法で建てられているのかもしれない。
「なんだか地震一発で更地になりそうだな」
なお、半ば本気で言っている。
それはオレの中の中世のイメージに二階建て以上の木造建築がないせいだろうか?
「せっかく北区以外にも行けるようになったのにそれはどうよ? ……が、そうだな。たぶん木材が有り余っているくせにレンガや石材はないんだろう」
「なるほど」
たしかに足元は土を硬く踏み固めただけのようだし、ゲーム中では『鉄鉱石の納品』とか『粘土や石材の納品』というクエストもあった。
そういえばいちいち他の世界に粘土や石を取りに行くのが面倒で、オレは他のクエストのついでにそれらを採取して、ある程度溜まったら納品するというのを繰り返していたな。
この世界は七つ世界の中では二番目か三番目に木が多く、木材や燃料には事欠かないことだろう。
かわりに鉱物資源は下から二番目だが。
さておき。
「――お? 串焼き! しかもでっかい!」
ふわりと風に乗って運ばれてくる肉の香ばしい香りが、じゅわぁーっと音を上げる揚げ物が、ことことと湯気を立てる粥が、最近レーションしか口にしていなかったオレたちの食欲を誘う。
そしてそれを口の中へと盛大にかきこむ赤銅色の男やあかぎれのある女たちの姿を見ればいやでもぐぅ、と腹がなる。
東区大通りはどうやら労働者向けの屋台街になっているようだった。
いいなー、とか、うまそー、とか言いながら顔をとろけさせているイーヴァをよそにオレは屋台をじっと観察。
三十……サンドってなんだ?
屋台の胴体にかけられたその値札のなかにゲームにはなかった通貨単位を見つけてしまい、食欲よりも好奇心が勝る。
ガルドが正規通貨だったゲーム基準を元に考えるなら、それはセントのような補助通貨だろう。
レーションがコンビニの海苔巻きくらいの大きさしかないのに1ガルドだったから、たぶんサンドは百分の一位の単位だと思われる。
すると――一ガルドのレーションを百円と仮定して、三十円。
串焼きがそれくらいの価格なら、四ガルドは腹ごしらえにちょうど良い金額になるな。
……串焼きよりも高いビスケットとか、侵食率をあげる作用があることを差し引いても複雑な気分になってしまうが。
「……うし! もったいないけどレーション飽きた! 買う!」
が、そんな考察を一切していないらしいイーヴァはレーションと同じく串一本一ガルドと思っているようだ。
アイテム欄から「えいっ!」と取り出した一ガルド銀貨をそのちいさな手に握り締め、意を決して屋台に突撃。
そしてそのまま屋台のおっさんと一言二言話をし――なにも買わずに戻ってきた!?
「イノ~、釣り銭が足りないから無理って言われた~……うう、アタシの串焼き~……」
「お、おう……」
彼の言葉に顔が引きつる。
釣り銭がたりない、ってことは、だ。
薄利多売であろう三十サンドの串焼きを扱っているにも関わらず、それでも貨幣が足りないというわけで。
いやむしろガルドでの支払いそのものを考慮に入れていない可能性があるわけで。
「レーションが高すぎるのか、それとも、物価が安すぎるのか……」
いやいやそれよりも。
「なるほど確かに、これは支度金だ」
つまりこれで必要な雑貨を買って来いというわけか。
たった四ガルド――ゲームでははした金だったそれが思わぬ大金だったことを知り、オレは思わず天を仰いだ。
小市民的発想だが、できるだけ、大通りを歩こう。
それから二時間。
太陽はまだまだ傾いており、中天に来るまで約二時間、といったところか。
待ち合わせ場所は北区の中央広場。そしてここからそこまで、およそ徒歩三十分。
「あ、これかわいいな」
イーヴァは飛び込んだ雑貨屋で野営に使う食器類を物色中。
オレの手にはまだ会計を済ませていない二人分の食器やらなべやらの、山。
そしてオレたちのアイテム欄にはすでにあると便利そうな毛布やランタン、替えの衣類に水の入った水袋などが購入され、ぶち込まれていた。
あれからたった二時間、されど二時間。そして残り時間も約二時間。
うっかりため息が漏れてしまう。
いや、もともとネットゲームを趣味とするオレだ。アウトドアなんて学校の行事でしかやったことがないから助かるといえば助かる。の、だが……彼のこのバイタリティの高さはなんだ、一体どこから沸いて出ている?
――買い物は、昨日銀貨を貰ったあとすぐにすべきだった。
そうすれば日暮れの時間もあるし「飯の時間だ」だとか「明日も早いぞ?」という言葉でムリヤリ切り上げることもできたのに。
むしろ普通の食材とか食器類を買って久々にレーション以外の食べ物を口に入れることもできたかもしれなかった。
後悔、先にたたず。ああ、失敗した。
「見ろよイノ、このコップ。花柄が彫られてるぜ?」
「……なぁ、男としてその趣味は良いのか?」
「ちっちっちっ。いいか、イノ。かわいい物好きと男は両立するんだぜ?」
「そ、そうか」
ところで、髪を耳の後ろにかき上げるしぐさとか、歩き方が若干内股になってきたとか、元同性なのに裸を見られると羞恥心を抱くとか、そういう無意識のしぐさがだんだんと女性っぽくなってきたのに彼は気づいているのだろうか?
いや、心と体が違う性別だと精神を病むことがあると聞いたことがあるし、案外これは精神の防衛反応なのかもしれない。
……自分から言い出すまで、そっとしておいてやろう。
「でさー、猫と花柄、どっちがいいと思う?」
その二つの木製コップを突き出し、彼は真剣に尋ねてくる。
「猫にしたらどうだ?」
「えー? 猫ー? う~ん……花柄のほうがよくね?」
じゃぁ聞くなよ。
この理不尽さ、妹を思い出すな……懐かしい記憶に、オレは苦笑いを浮かべた。
[jump a scene]
「とぉ~ちゃく!」
買い物地獄はどうにか五時間で終わってくれた。
北区の中央広場に到着すると、イーヴァは口に咥えていたあの串焼きの串を名残惜しそうにアイテム欄へと放り込む。
「いや捨てろよ」
「え? やだ。誰かが拾って咥えはじめたら気持ち悪いじゃん」
そんなヤツ、いないと思うが……。
「それとも、もしかしてお前がほしかったのか?」
「ねぇよ」
だれがそんな変態行為をするか。
にたにたと小憎たらしい笑みを浮かべるイーヴァに対して短く突っ込み。
「ぶひゃひゃ! だよな!」
……やれやれ、平常運転で気楽なことだ。
笑う彼を横目にオレは、昨日はあまりにも人が多すぎてできなかったアレの確認をはじめる。
予想通りというかなんというか。中央広場は直にコカトリスの被害を直に受けたせいでよくアリアドネーの糸の先を結ばれるアレ――通称『アリアドネーの木』が、中ほどからへし折れ端々が炭化してしまっていた。
……本当に、北門前まででも転移できたこと自体が奇跡だな。
空中を二回叩いてアイテム欄を表示、そこからアリアドネーの糸を取り出す。
「うん?」
「ようやく余裕ができたからな。念のために登録しなおしだ」
「あー、アリアドネーの木がぽっきりいってるもんな。……ホント、この状態でよく飛べたもんだ」
「まったくだ」
本当にあれは魂でもあったんじゃないかとさえ思えるくらいの奇跡だった。
オレは糸の端を器用に動かない指のかわりに口でついばみ、つーっと伸ばす。
「あ、イノ。そんなことするくらいならアタシがやってやるよ」
「そうか? 頼む」
イーヴァはすでに糸を結び終えたらしい。自分のアリアドネーの糸をアイテム欄に戻し、オレからそれを受け取る。
「……いつもすまんな」
「気にすんな。かわりにアタシは、お前を盾にしちまうんだから、さ」
声色が若干固い。
やはり、ミノタウロスに殺されたのがまだ心に引っかかっているのか。
「ホント尊敬するよ。近接職ってやつは……イノ、ホント、ありがと。あと、卑怯な男で、ごめんな?」
「……デレ期か?」
「ねぇよ」
「だよな」
たったそれだけのやり取りで気が晴れたのか、イーヴァはオレにつられてくつくつと笑いはじめる。
「あらあら、二人ともラブラブね?」
「<拘束の――」
「<ワールドエンド――」
「うん、冗談だから問答無用でバインドとヒノキの棒はやめて?」
どうやらまた、メノウさんたちはオレたちの会話を途中から聞いていたらしい。黒い鎧を着込んだ完全防備であるにもかかわらず、メノウさんは両手を上げて降伏の意を示す。
ハンガクさんはもうそういうキャラなのか、顔をうっとりととろけさせ「らぶらぶいいなー……」とかのたまっている。
「はーい、がくちゃんも戻ってこようねー?」
「――はっ」
やれやれ、個性的な二人だな。
「それで? 二人とも何してたの?」
「昨日できなかったアリアドネーの糸の再登録だ」
「あー、昨日は混んでたもんねー」
「そっちは?」
「がくちゃんが気になることがあるって言うもんだから、朝から北門前で身体を動かしてたの」
「やっぱり弓がちょっとだけ使いづらくなってました……」
ああ、たしかに弓を――特に鬼人装備である和弓をちゃんと射るには技術がいると聞いたことがあったな。
よっぽど気に病んでいるのだろう、ハンガクさんがすこしばかり小さく見えた。
「うう……せっかく矢をスムーズに出せるようになったのにまだ足手まとい……」
「一応、覚醒技を使っての狙撃や常時覚醒技での攻撃はできるみたいだから、そこまで気にするなって言ってるんだけどね?」
メノウさんは肩をすくめる。
なるほど。彼女は彼女で年相応、か。……はて、妹が気落ちしたときはどうしてたか。
ああ、そうだ。
彼女の頭にぽん、と手を載せる。
「……え?」
無言で静かに腕を動かしながら、ぽかんとする彼女に薄く、やわらかく笑いかける。
こういうときは、ただ頭をなでてやるだけでも良いのだ。
人と触れ合うということは、それだけで心が安らぐ。
それにオレの妹はだいたいこうしてやると「ガキ扱いすんじゃねぇよクソ兄貴」とブチギレはじめて元気にオレをどつき――あれ? あいつがこれで普通に元気になったのは十歳くらいまでだったか?
……どうしよう?
「え、えっと……」
「だ、大丈夫だ……お前なら、すぐに上手くなる」
ちょっと居心地が悪くなって、オレは彼女が元気付きそうな言葉を吐きながら顔を逸らす。
――ん? ちょっとまて? よくよく考えれば気落ちした女性を慰めるだなんて伊達男プレイの典型じゃないか!
ヤバイ、なにこれすごく恥ずかしい!
「あら? あらあらあらー? イーヴァ君、お宅の旦那さん、嫁の目の前で堂々と浮気していますわよ?」
「<噴出の――」
「ごめんなさい、謝るから吹き飛ばそうとしないで?」
メノウさん、お前はさっぱり懲りないな?
「あ、あの……さっきから髪がささくれにひっかっかって痛いんですが……」
……オレも、朝からさっぱり懲りないな。
時間は三十分くらい経っただろうか? 情報交換を兼ねた雑談に花を咲かせていると、不意にイーヴァが「わりぃ、ちょっとまっててくれ」と広場の真ん中の方へ駆け出した。
トイレにしては中央広場の真ん中に走るわけがなく、オレたち三人は小首をかしげる。
しかし、その疑問はすぐに氷解した。
「あら? あらあらあら?」
メノウさんの瞳がらんらんと輝き始める。
「わー……かっこいー……」
ある意味全身整形であるにもかかわらず、ハンガクさんの視線はイーヴァが走っていった先――金髪の美少年に釘付けだ。
彼は薄幸の王子様という形容が良く似合う線の細い容姿をしており、かっこいい女性というか、かわいい男の子というか、そんな中性的な雰囲気がある。
そして彼は、その綺麗な顔に穏やかな笑みを浮かべでイーヴァと談笑を開始する。
「あらやだ。旦那さんがなかなか相手をしてくれないから、奥様が浮気してますわ」
「<ワールドエンド――」
「ごめんなさい、だからヒノキの棒は勘弁して?」
ほんとこいつは懲りないな。
「でもイーヴァ君が男の子をナンパするなんて、ちょっとおかしいわよね?」
「ああ、まぁ……」
あいつ男だしなぁ……いやまさかとうとう心まで女に……?
人の精神は少なからず身体の影響を、環境の影響を受けている。
そして人は、精神と肉体が食い違うと強いストレスを感じてしまう生き物だ。
だがまだ三日目――されどもう三日目。
今後どうやって彼と接してやればいいのかと真剣に悩んでいると、イーヴァはその男を連れてこっちへとやってきた。
「あら? 修羅場? 修羅場?」
「娯楽に飢えているのはわかる。が、少しは懲りろ。な?」
「はーい」
そしてちろりと舌を出す。
畜生、わざとか。
「わりぃ、待たせた!」
「五分も経ってないはずだが?」
「阿呆、定型文だっつーの。――あー、この毒草系主人公その一がイノ。んでそっちのアーマード姐さんがメノウさん、鬼人少女はその相棒のハンガクさん」
イーヴァのぞんざいな紹介が終わり、しかし彼がつれてきた美少年はそれに気分を害した様子もなく、柔らかい笑顔を崩さずに一礼。
「はじめまして。レオンです」
少年くらいに見えたが、声は若干低い。ちょうど声変わりがはじまったくらいだろうか?
「アタシが死に戻りしたとき、こう、ばっと毛布をな? こいつがかけてくれたんだよ」
ああ、そういう関係か。
「……イノ君、恋人が取られてなくて安心した?」
「ねぇよ」
こそりと耳打ちするメノウさんに、オレは口をへの字にして返答。
ほんと、なんでこの人はこうもオレたちを恋人同士にしたがるんだか……ため息。
「レオンさん、その節は相棒が大変お世話になりました」
「あれっ? 私と最初に会ったときとまるっきり態度が違う!」
「それはめのちゃんの自業自得だと思うよ……?」
「ぎゃふんっ!」
オレ、ぎゃふんっていう人はじめてみた……。
もしかしてメノウさん、実年齢はかなり高い……?
いや、よそう。藪をつついて蛇どころか竜までだすこともあるまい。
「でさ、イノ」
「なんだ?」
「さっき話してたらさ、レオンさんがちょいと相談に乗ってほしいことがあるんだってさ」
「オレに?」
なんだろう?
すぐ思いつくとすれば、彼はイーヴァと同じく性転換してしまったプレイヤーで、男の身体についての相談に乗ってほしいということだが……それなら元男であるイーヴァに尋ねれば済む話だ。
だからか、オレは彼の相談についてぱっと思いつかないでいた。
「ごめんね? すぐ済むから、ちょっと二人っきりで話せないかな?」
「あ、ああ……」
その穏やかな瞳の奥に、なにか得体の知れない鬼気迫る思いを感じ取り、オレは反射的にうなずいた。
「それじゃぁイーヴァさん。ちょっとイノ君を借りるね?」
「おぅ。……ああ、アタシの相棒だから、取るなよ?」
「ははっ! それはわからないなぁ?」
「そういう会話はいらん。勘弁してくれ」
ほらほらほら! お前らがそんなことをいったからメノウさんがすごい目を輝かせ始めたじゃないか!
もうどうしてくれるんだよ本当に……!
[jump a scene]
「イノ君、非常に申し訳ないんだけど――」
三人から若干離れたところ、レオンさんはオレの肩に手を回し、顔を寄せてひそひそと言葉をつむぐ。
「――君のパンツを、譲ってくれないか?」
「……は?」
その言葉は、非常に、予想外のもので、オレの頭の中が、一瞬で、真っ白になる。
「いや! やましいことは一切ないし一切しない! それは僕の名前と誇りにかけて誓おう!」
レオンさんが慌てて取り繕う。
「ただ、その……僕は元女性で、どちらかといえばメンタリティはまだ女性側で……その、今朝うっかり男性特有らしい生理現象という理由からパンツを汚してしまって……でも、なんだ、その……十年以上男性と付き合ったことのない僕からすれば、男のパンツを買うことにはその……ね? 君もわかるだろう! 異性のパンツを買う、この妙なハードルの高さが!」
……ああ、なるほど。
これはたしかにあのメンバーの中じゃぁオレにしかできない相談だ。
なにせ、今必要なのは男物のパンツなのだから。
「いや! 恩に着せて無理難題を投げかけていることはわかってる! だが、その、ノ、ノーパンは……こう、落ち着かなくて……もう、我慢の限界なんだ!」
レオンさんの目じりに涙が溜まり、ほおが真っ赤に染まる。
「わかったわかった。わかったからその顔でオレに泣きつくな」
彼――いや、彼女の容姿が中性的過ぎて、まるで本当に女性を虐めているような、そんな鬱々とした気分になってくる。
「とりあえず、新品を二枚、渡しておこう」
ホント、イーヴァの言うとおりに予備のパンツを買っておいてよかった。
――あの串焼きに比べれば、結構、いやかなり、高かったが。
「ありがとう! 恩に着るよ!」
そして彼女は嬉々として、オレがアイテム欄から出したふんどしっぽい下着を受け取る。
「お礼としてミスキャンパスにも選ばれた美少女の僕からほっぺにチューをしてあげよう!」
「いらんわ!」
今は男だろう! これ以上メノウさんを喜ばせるようなネタを作るなっ!