3話 Are you kidding?
「――もうやめなさい!」
メノウが放つ大きく鋭い声と同時、視界に赤以外の色が戻り、オレはようやくミノタウロスがすでに事切れていたことに気が付いた。
また、いつの間にか全裸になっていることから、オレは気が付かぬうちに<グロウアップ>を使用していたようだ。
「すまない。助かった」
「いいえ……私だってあなたの気持ちはわかるから」
「……すまない」
相棒が死んだ。
そして仇も討った。
だけど――この気は晴れない。
その事実に、オレは歯を食いしばる。
「とりあえず、服を着なさい。<グロウアップ>を使うってことは、あるんでしょう?」
「……ああ」
血と打撃によってぼろぼろになった樹木の腕をゆるゆると動かし、空中を二回クリック。
アイテム欄から、安いという理由だけで複数購入していた黒色のローブを取り出す。
――こんな安物で喪に服すとか、バカか?
デザイン重視で高い服を買っていたイーヴァを思い出す。
もしかしたら彼は、先見の明があったのかもしれない。
ただ、それが祟って、彼は死んでしまったのだが。
口の中に鉄錆の味が広がる。
「着替えた?」
「……ああ」
「ちょうど人数分、アリアドネーの糸があるから、それで王都まで戻るわよ?」
「……ああ」
「――っ! しゃんとしろ! それでも男かっ!」
「だまれっ! 貴様に、なにがわかる!」
あいつは、オレの唯一無二の相棒で、オレがこのゲームをはじめたばかりのころからの付き合いで、オレはあいつのピュア構成を活かすためにトレントを選んで、だというのに。
だと、いうのに……!
「だったらここで死ぬ? 冗談じゃない! そんな後味が悪くなるようなこと、絶対にさせない!」
彼女は、イーヴァが残したアイテムを――アリアドネーの糸をずんむと掴む。
「だいたい男なら! 惚れた女の分まで生きようとか! 思わないのか!」
そして的外れな怒声を張り上げながら、オレに向かって遺品を突きつける。
「……いや、イーヴァは、その、男、なん、だが……」
「へっ?」
その光景があまりにも滑稽で、それでいてあの幼女と恋人同士になるとか絶対にありえない言葉にいままで抱いていた怒りが全て霧散する。
――むしろ、対外的にアレと恋人に見えていたことが問題だな。
怒りが消えたことで生まれた余裕で、オレはそんな阿呆なことを考える。
……もしかすると、これは、あいつ最後の言葉なのかもしれない。
ふたたび、あの小憎たらしい笑顔が脳裏をよぎる。
そいつの唇は「冷静になれよ、相棒」と動いていた。
「……ふぅ」
我ながらアホらしい発想だ。
だいたいイーヴァはそんなことはいわない。
あいつは「伊達男プレイの次は復讐鬼プレイとか……ないわー」とか言うはずだ。
うん、あいつなら絶対言うな。
「ねぇよ」
なんとなく突っ込み。
「え?」
「遺品は、貰っていいか?」
「え? ええ……」
ゆるりと立ち上がり、巨木の周りに散らばったクレッセントの侵食率を微上昇させるレーションや、イーヴァがよく街中で着ていた白いワンピース、麦藁帽子などを拾い上げてはアイテム欄に放り込んでいく。
「というか、無駄にファッション装備が多いな」
いつも思っていたが、防御力皆無の装備で着飾って何が楽しいのか。
本人は「ゲームの中でまで野郎のケツ追っかけるとか、ないわ」とか言っていたが、しかしせめて戦闘中くらいは鎧を着ていろと言いたかった。
そうすれば、こんなことにもならなかったのに。
「――じゃあ、帰るか」
「ええ」
そしてオレたちは、アリアドネーの糸を使う。
視界が揺れ、エレベーターのような、一瞬の浮遊感が、身体を包み込んだ。
北門に到着すると、毛布でその白い肌のほとんどを覆い隠し、綺麗な金髪に太陽の光を反射させたイーヴァがあの小憎たらしい笑顔を浮かべ、片手を挙げて出迎えてくれた。
だがそこに、クレッセントの特徴である淡く輝く髪の面影は、ない。
「いよぅ、イノ! 遅い帰りだったな!」
「<ワールドエンド――」
「まてまて! アタシ今怪我人だから! 怪我人なんだからな!?」
そんなあんまりにもあんまりな出来事に、ついつい思わずオレ最強の攻撃覚醒技を放とうとしてしまうのは、たぶんきっと仕方のないことだろう。
むしろ<グロウアップ>後にすかさずマウントポジションをとり、そのままフルボッコにしようとしなかったオレの慈悲深さに感謝してほしい。
「オレの苦悩とか悲しみとか、あとお前が引き寄せた牛相手に消費した侵食率とか、ホントそういうのもろもろ含めて返せ、阿呆が」
「うん、牛を引き寄せたのは謝るわ。マジごめん。だが思い出せ、この世界は意外と阿呆だ。つーか、そうやって北門に来たプレイヤーもいるし、チャットルームも建ってんぞ? 見てなかったのか?」
「アホかっ!」
オレは今日何度目かになるその言葉を天に向かって叫ぶ。
――ゲーム設定上では死亡直後、プレイヤーたちは細胞レベルでの反射行動により、その身を侵食しているすべての保有種族因子や体力のほとんどを用いて強引に身体を修復、そして『世界渡り』を発動させている、らしい。
これによりプレイヤーは一応のこと安全圏までテレポート……『死に戻り』することが可能ということになっている。
が、本来ならばアリアドネーの糸やその他触媒を用いて発動させるべきこの能力を強引に発動させるわけで、当然ながらいくつかペナルティが存在している。
ひとつ、テレポートできるのは『自分の身体だけ』。
ふたつ、テレポート直後、すべての侵食率をゼロに、体力は一だけになる。
みっつ、テレポート直前の侵食率が三十未満の場合、HP回復不可で時間経過以外では解除不可能な『重症デバフ』が付与される。
つまり彼は今現在、重症デバフ効果中――いや、これは現実ゆえに本当に重症状態なのだろう。
侵食率が三も残っていたこともさいわいした。なにせゲームでは侵食率ゼロでも転移できるが、しかし設定上ではそのことに関して言及されていないのだから。
――念のため、侵食率だけはゼロにしないようにしよう。そう固く心に誓う。
「いやほんと、すげー激痛走ったと思ったらいきなり素っ裸で北門前にテレポートとかびっくりしたね。思わず叫んじまったわ。それに、見た目大丈夫っぽそうだけどさ、身体がすっげーみしみしいってんのよ。あと緊張の糸が切れたせいか、すげー腹減った」
イノ、アタシのレーションとか拾ってきてくれた? そして彼はあの小憎たらしい笑顔を浮かべる。
本来なら無事を喜ぶべきだが、しかし、無性にいらっとした。
「<ワールドエンド――」
「だからやめろって!」
[jump a scene]
どうやらテントの配給が始まったようだ。すでにパーティの代表やソロプレイヤーたちが北門前に理路整然と列を成す。
もちろんオレもその列に並び、北門支給口から今晩の宿となるテントを借り受ける。
幸いにして支給されたテントは地球のものとよく似ており、テント中央に支柱を立て円錐状に設営するタイプのものだった。
またウィンドウを開いてチャットルームを確認すると、すでに『【でも分類上は】ワンポールテントの建て方【天幕なの……】』という部屋が建っていた。
ただ、床部分に相当する布はないため、眠るときはミノ虫みたいに毛布に包まる必要があるだろう。
――うん、確かに分類上は天幕だな。
「ではイーヴァ、設営は任せた」
「……お前、月のもの真っ最中の女にやらせるとかドSだな?」
侵食率回復のためレーションをかじっていたイーヴァは、オレのあまりな物言いにレーションを口端からこぼしつつも顔を引きつらせる。
「それには同意する。が、こんな不器用な腕では、な……木槌代わりにはなるだろうが」
「ああ……いや、なんだ。その……ごめん」
「なに、気にすることはない。半分はジョークだ。できる範囲で手伝うさ」
言いながら先ほどのチャットルームへと入室、そのまま自分より後に来た人への説明に便乗して建て方を確認する。
「ふむ……このタイプのテントは、まず布を広げて周囲を杭で固定するらしい」
「うへぇ、重労働」
まあ、二人で使用するにはちょっとでかいからな。
横になるだけなら六人分くらいの広さがあるだろうか? また立体的に裁断されているからそこそこの重量もある。
確かにこれは、今の彼にはちょっとしんどいかもしれない
「そういやさー、あのアーマードの姐さんと鬼人の娘は?」
「さぁな。アリアドネーの糸の帰還ポイントがずれていた。おかげであれっきりだよ」
「ふぅん――あ、木槌。イノの出番だぞ?」
「<グロウ――」
「バカ、冗談だよ。公衆の面前で露出プレイはやめろって」
「先に露出プレイした男がなにを」
「うっせ」
オレは拳をぎゅっと握りこみ、杭の頭を叩く。
かぁーんと、木と木がぶつかり合う小気味良い音が響く。
――ふむ?
「追加攻撃が発動するかと思えば、そうでもないみたいだな」
「ん? ……ああ、そうか。イノはライカンスロープもとってたな」
すべてのライカンスロープには共通して<ドッグファイト>という名前の常時覚醒技が存在する。
そしてこれはゲーム上ではディレイに関係なく右手と左手で通常攻撃を二回おこなう覚醒技だ。
そう、おこなう。通常、これは強制なのだ。この覚醒技はたとえ空振りでも発動し、ダメージを受ける以外にキャンセルの方法はない。
だというのに、今度は一回こっきり。
オレは思わず立ち上がり、誰もいない空を拳で殴る。
――発動は、しない。
「ふむ……イーヴァ、殴らせてくれるか?」
「やだよ! っていうかなんでアタシなんだよ!」
「なんとなく」
「このドSめっ!」
「ねぇよ」
しかし、スキル発動にはなんらかの条件があると見ていいだろう。
空中を二回クリック。かなり多くなってきたチャットルームリストをスライドさせ、なにか情報が上がっていないか調べる。
――『【性転換した相棒に】オレたち、もうだめかもしれない……【一目惚れ】』
突然視界に飛び込んできたそのチャットルームからそっと視線を逸らし、顔を手で覆う。
……まだ半日も経ってないのにお前ら早すぎだろう。なぁ、お前ら。
と、いうか、だ。オレたちということはこの短時間で増えたのか。
ため息。
ふとイーヴァを見る。
腰まで届く長い髪はさらさらのストレート。
パーツ単体だけなら凛々しく整っているのに、やや幼い顔つきがその凛々しさを甘く崩していて。
しかし、それなのに大人じみた妖艶さが入り混じったなんともいえない雰囲気があって、しかもそれが月光のようなライムイエローの淡い輝きとあいまって幻想的で。
特に唇なんて、こいつの本当の性別を知っているオレでもどきりとするくらいとても綺麗な桜色をしていて。
彼は「なんだよ」と形のいい眉を寄せる。
……だけど、うん。その部分を見れば見るほど、ないな。そう確信する。
オレを一目惚れさせるなら、せめてあと三つほどサイズアップしてから来いと言いたい。
「いや、なんでもない」
「ったく……設営が終わったらアタシは休むからな? これでもかーなーりーしんどいんだ、今日は絶対にテントからでないぞ」
ああ、そういえば月のものが始まってたな。
それに重症状態にもなっているからかなりつらいだろう。
……。
「なぁ、イーヴァ」
「なんだよ」
「常在覚醒技さえ取らなければ見た目は変わらないんだ。二種混合に転向しないか?」
せめて一パーセントか二パーセント。そう思い、オレはそれを進言する。
「……考えとく」
「本当に頼むぞ?」
「わかってるよ。アタシだって二度も三度も死ぬのはゴメンなんだしさ」
「ああ、オレもゴメンだね」
「そっか……なぁ、イノ」
「なんだ?」
「木槌」
「……」
さっきのシリアスな雰囲気を返せ。声を大にして言いたかったが、しかし、イーヴァは重症状態であるがゆえに、オレはその言葉をぐっと飲み込んで杭を叩く。
かぁーん、と、小気味良い音が夕暮れの空に響いた。
[jump a scene]
太陽が山向こうにその姿の半分以上を隠し始めていた。
北門には死に戻りやアリアドネーの糸によってほとんどのプレイヤーが揃い、チャットルームリストでは『推定行方不明者情報交換所』というルームが建つ。
――まだ、全員ではないのかもしれない、のか。
オレもチャットルームに入室し、サイズを調整して視界端に常駐させておく。
ログは「友人が転移直前〇〇に狩りに行ったまま、まだ北門に着ていない」という情報が速い速度で流れていく。
「落ち着いたら、探索隊が結成されるかもしれないな」
それまで全員戻ってくるか、生き延びていてくれるといいのだが……ため息。
そんな憂鬱な気分を晴らすように、オレは周囲を見渡す。
テントはクレッセントの淡い輝きに誘われたモンスターたちが街中へ襲撃しないようにするために城門から離れたところに設営されており、また、多少のズレはあるものの整然と並んでいた。
さすが日本人、とでも言えばいいのか。それはまるで被災地の仮設住宅をほうふつとさせる。
太陽はすでに半分以上隠れ、地面を赤暗く照らしている。
だというのにまるで街灯があるみたいに明るいのは髪をライムイエローに淡く輝かせるクレッセントが多いせいだろう。
「クレッセントの髪も、極稀には良い仕事をするな」
「だろ? アタシを崇めてもいいんだぞ?」
入り口をめくり上げたテントのその奥で、イーヴァは毛布に包まりながらも小憎たらしい笑みをこぼす。
「いいぞ? だから今晩は頭から毛布を被って寝てくれ。御神体は隠すものだ」
「うへぇ。この毛布、毛布って名前のくせにくっそ重いんだぞ……? しかも蒸れるし」
「ガマンしてくれ」
苦笑。
しかし、たしかにこの世界の毛布は重い。オレが知っている毛布の倍くらいは厚さがある。たぶん、この世界ではこれ自体を掛け布団代わりにするのだろう。
蒸れるということは、風を通さないために密度を上げているのだろうか? まあ、ともかく紡績技術が未熟だからという理由だけではないだろう。
テント配給時、門番の鎧の隙間からちらりと覗いた貫頭衣に似た薄いシャツを思い出し、そんな些細な考察をゆっくりと頭にめぐらせる。
「――あ、いたいた!」
唐突に声がかかったのはそのときだ。
後ろを振り返る。そこには片手を挙げたメノウさんと、その後ろに隠れるように付いてくる鬼人の彼女の姿が見えた。
二人とも先ほどの装備とはまたうって変わって露出の多いデザイン装備を着ていた。
特にメノウさんのほうはアーマードの特徴が顕現しているため、布切れを胸に巻いて縛っただけというフェチズムあふれるチューブトップ。
また、彼女ののど下には逆鱗が、まるでネックレスかなにかのように翡翠色の光沢を放っていた。
――ふむ。彼女は無火力重装甲と高火力紙装甲のクロスか。可もなく不可もなく、だな。
「メノウさんか。さっきぶりだな」
「そうね。中央広場じゃなくて北門に飛んじゃったからびっくりしたけど……彼も無事みたいで良かったわ」
どうやらある程度のことはチャットで調べてきたようだ。なにごとかとテントの奥からのそのそと這い出てきたイーヴァを見てもなんの動揺も見せない。
「あの! 私、主にめのちゃんとコンビ組んで狩りしてるハンガクっていいます! あの時はありがとうございました!」
「はん……五十パーセントオフ?」
イーヴァがそんな失礼な発言をする。
な、殴りたい……っ!
「あ、あはは……よく言われます。一応坂道のほうのハンガクなんですけどね? ……自分の県ですらマイナーな武将ですけど」
ハンガクというプレイヤーは苦笑いを浮かべて頬をかく。その手首にはシュシュみたいな羽毛が生えていた。
あの時はわからなかったが、その特徴が現れるのはライカンスロープの鷹だけだ。
彼女は確か、矢を大量に持たなければならない弓使いのはずだったのだが……重量制限のある鷹とか、こちらはまたずいぶんとちぐはぐな構成だな。
いや、鷹には羽毛が投擲武器になる常在覚醒技があるし、鬼人の覚醒技で火力を補えるから無くはないか。
――そんな戦力考察はともかく。
でかい!
その折れてしまいそうなほど華奢な体と、彼女が動くたびに暴れまわるわがままな一部分のアンバランスさに思わずガッツポーズ。
すぐさまイーヴァから殴られた。
自分は失礼なことを言っておきながら……解せん。
メノウさんはそんなオレたちをくすくすと笑いながら眺めている。
「あえてもう一度言う、違うからな?」
「ふふっ。わかってるわ」
「……まぁ、いい。それでどうしたんだ?」
「ただのお礼よ? ましてや命、社会人として当然よね?」
「あぁ……」
そう言われればたしかにそうだ。自分だって来年には社会人で、そういうことには十分注意していたはずなのに……そんな思考すらすっぽりと抜け落ちていた。
「どうもこの身体になってからそういう思考が抜け落ちていけないな」
「そうね。がくちゃんもコンプレックスが消えたおかげで最近さっぱり愚痴を」
「わーっ! わーっ!」
ハンガクさんが顔を真っ赤にして声を張り上げる。
そうか、願いは、叶ったのか。思わずほっこりしてしまう。
「うーっ! うーっ!」
「ふふっ、ごめんね? がくちゃん。――ところで、そろそろ自己紹介してくれないかしら?」
「……ああ、そういえばしていなかったな。イノだ。言っておくが、オレは元から男だぞ?」
「アタシはイーヴァ。これでも元男だから、そこんところ気ぃ遣ってくれるとありがたいかな?」
「ええ、二人ともよろしく。改めて、私はメノウ。今も昔ももちろん女だから、わからないことがあったら遠慮なく聞いて頂戴」
「おお! すげぇ助かる! ……けど、元男相手に恥ずかしくないの? それ」
「今は女じゃん。っていうかさ、仮にあなたが私との会話で欲情したとしましょう。でもそれで私に実害、ある?」
「うぐっ……。いや、そりゃたしかにそうだけどさー……でもなー……でもさー……」
やはりまだ男だった時の常識が邪魔をするのか、イーヴァは自分の中のなにかと葛藤するかのようにぶつくさとつぶやきはじめた。
太陽が完全に落ち、遠くでは野犬かなにかの遠吠えが聞こえる。
そしてテントが張られた北門前はというと、まばらに焚かれた焚き火とクレッセントの淡い光だけが光源となっていた。
――しかし、そんな時間になっても次期王がすると公言した炊き出しは一向に始まらない。
「まぁ、それでもいいんだけどなー?」
「ほとんどのプレイヤーは普通、大量にレーションを持ち歩くからな」
もちろんそれは戦闘後に侵食率を回復させるためだ。現に素手と覚醒技で戦うオレのアイテム欄は大半がレーションである。
薄暗いテントの中、イーヴァの淡く輝く髪だけをたよりにオレたちはライカンスロープの侵食率を上昇させるレーションにかじりつく。
そう、彼はついさきほどピュア構成からクロス構成に転向することを決意したのだった。
「ん、きたきた」
そして彼は空中に指を這わせ、目の前にポップアップしてきたと思われるスキル取得ウィンドウを操作する。
イーヴァがライカンスロープのなにを取得するのか、それは彼の操作するウィンドウが一切見えないオレにはわからない。
だが、ライカンスロープにはオレの山羊や狐のようにデバフ系任意覚醒技があるため、遠距離から攻撃するクレッセントとの相性は良いだろう。
たぶんそれかな? とオレはあたりをつけていると――彼の耳が突然、光の粒子のエフェクトを溢れさせながらにゅぅっと尖って上に伸び、しかし自重で横方向へと垂れ下がる。
それはどうみても、
「猫耳――いや虎、か?」
「ええっと、鏡はっと……おおー! ちょっと大きいかな? とか思ったけど全然いけるな! 白の短毛だからなにげにエルフっぽくね? あーでもやっぱりケモ娘っぽいな!」
彼はアイテム欄から鏡をとりだし、そこに映った自分の姿に耳をぴこぴこ動かしながら興奮する。
「いや、お前バカか」
なんで魔術師型が近接格闘型の覚醒技を取る。
しかし、イーヴァは呆れ顔でもってオレのその言葉をさえぎった。
「阿呆はお前だ。犬と猫は隠密型ってのを忘れんな」
「――ああ、なるほど。不意打ちされたのがよっぽどのトラウマか」
「当たり前だ!」
ライカンスロープ、虎。
こいつは<アンブッシュ>という、敵愾心上昇値を半減する常時覚醒技を所持している。
彼はそれを取得したのだろう。
しかし問題は――
「だが、クレッセントの淡く輝く髪のヘイト上昇値は最低値じゃなかったか? 通常挑発と同じで」
――どんなにがんばっても、敵愾心上昇値は決してゼロにはならないということと、淡く輝く髪は常時挑発し続ける特徴であるということか。
「うぐっ……」
オレのツッコミにイーヴァは言葉を詰まらせる。
だが、実はクレッセントは固定砲台と言われるだけあって瞬間的な火力と敵愾心上昇値は驚くほど高い。そのため彼の選択は間違いではなかったりする。
まぁ、鉄板、といわれるほど強力な組み合わせではないので微妙ではあるのだが。
「もしもーし。イノ君、イーヴァ君、いる?」
テントの外からメノウさんの声。
「ああ、いるぞ。どうした?」
「いやぁ、私たちのテント真っ暗でさ。イーヴァ君のお世話になろうかと思ってね」
「ふむ?」
ちらりと、イーヴァをみる。
「ん? ……ああ、アタシはかまわねーよ」
「だ、そうだ。今開ける」
オレは蝶結びされた紐の端を引っ張って、夜風が入らないよう締め切っていた入り口を開けてやる。
「ホント? えへへ。じゃ、お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します……っ!」
ハンガクさんが緊張した声を上げたのは、たぶんこんな狭いテントの中に男が二人もいるからだろう。
片方の身体は、女だが。
「むさくるしいところで悪いがゆっくりして行ってくれ」
「ええ。そうさせてもらうわ。――あ、それともお邪魔だったかしら?」
「そんなことはないが……なぜ?」
「ほら、最近は『相棒が性転換で~』っていう類のチャットが流行ってるみたいだし、それに――イーヴァ君、昼は普通だったのに今は猫耳じゃない? だからこれから『お楽しみ』だったのかなぁって」
「ねぇよ」
「ねぇよ」
オレとイーヴァはほぼ同時に、まったく同じ言葉で否定する。
というかアレ、流行っていたのか……いくらチャットがID管理でキャラクター名は出ないとはいえ、いつかばれるんじゃないかと思わなくもない。
「ふふ、息はぴったりね」
「うっせ」
「うっせ」
オレたちは再び、まったく同じ言葉を、ほぼ同時に吐き出した。
[jump a scene]
毛布に包まりながら情報収集のためにチャットウィンドウを開いていると、がしゃんがしゃんと金属がぶつかり合う音が城門側から響き渡る。
「め、めのちゃん! 今のなに!?」
うちのテントで真っ先に反応したのはリスみたいに身体を小さくしながらレーションをかじっていたハンガクさん。
「さぁ? どっかのアーマードじゃない?」
「で、でも数が……!」
そのハンガクさんの変な慌てようにオレはなにもない空中を二回クリックしてウィンドウを消し去り、毛布を脱ぐ。
「見てこよう」
「いいの?」
「ああ。よくよく考えればここはフィールドだ、もしかするとモンスターが近くに出てきたのかもしれない」
それに気づいたアーマードのプレイヤーが何人か外に出たと考えればつじつまがあう。
「それならアタシも」
「今日はもう出ないとか言ってたやつがか?」
「阿呆、電気もないのにどうやって暗闇を見渡すんだよ。アタシの髪だってないよりはマシだろ?」
「……なるほど、道理だ」
「うわぁ、事実だけど傷つくなぁ」
そんなことを言う割に、彼の顔には小憎たらしい笑みが張り付いていた。
――ああ、しっくり来る。
まだ半日もたっていないのにオレはそんなことを思い、ついつい口はしがつりあがってしまう。
「……薄い本が厚くなるわね」
「ねぇよ」
「ねぇよ」
……メノウさんをテントに入れたのは間違いだっただろうか?
テントの外に出たとたん、外の思わぬ明るさに目を細めてしまう。
また、虫や野獣の鳴き声くらいしか響いてこない夜空なのに、耳に届くのは徐々に大きくなる多数の金属音。
――これは、異常事態だな。
ちらりと常駐させているチャットルームを見やる。
『召喚されたプレイヤーの意見交換広場』ではすさまじい速度でログが流れ、情報が次々と集まっていた。
その早い流れを必死に目で追いながら、状況を確認。
――ある一文が見えた瞬間、背筋が冷える。
「イーヴァ! メノウ! ハンガク! 緊急事態だ!」
怒声。
その声に呼応するかのように周囲のテント利用者も「すわ何事か」と飛び出してくる。
「王都軍が、オレたちに向かって侵攻しはじめた!」
[Chat Room's LOG]
『このチャット見ているやつ、全員傾注』
『王都軍、次期王を拘束してクーデター開始』
『城壁の中から聞こえる声から察するに、王都内では同じ王都軍同士で戦闘中の模様』
『こちらに来たクーデター軍は今アーマードの人たちが城門で足止めしているけど』
『ここももうすぐ戦場になりそうだ』
『だからみんな、心して聞いてくれ』
『オレたちは今、歴史の先に進むか、昔に逆戻りするかの岐路に立たs』