21話 After a calm comes a storm
冒険者ギルドが休業宣言を出してからついに一週間が過ぎた。
そしてオレはギルドが営業を開始するというその日、朝食であるマッシュポテトをほおばりながらアイテム欄より、ヤコから預かっていたルイスの鍵を人数分取り出す。
「お前ら、食いながらでもいいから全員一本ずつ鍵を受け取れ」
「お? 鍵ってことは帰るのか?」
「ああ。ハンガクさんと合流次第だがな」
「やった! やっと帰れる!」
ランディが両の拳を天井に向かって突き上げながら喜びをあらわにする。
また、それにつられるようにみんなが笑みをこぼしはじめ、そんな年相応の感情表現にオレは思わず苦笑してしまう。
――結局、ジュウゴヤさんはついに戻ってくることはなかった。
それについてヤコに尋ねようとしたが、しかしヤコが部屋主を勤めている『ヤコのギルド目安箱』はいつの間にか消滅していた。
またぞろ腹黒いことでも考えているのか――それとも、チャットルームを消さなければならないくらいの事件が起きたのか。
そしてその場合、考えられるとしたら……ぐるりと、ランディたちを見やる。
やれやれ、問題が次から次へと。オレはゆっくりと息を吐き出す。
「んだよおっさん、やっと帰れるんだぜ? やっとパンが食えるんだぜ? うれしくないのかよ」
「ああ……」
そういえばその問題もあったな。
「まぁ、気にするな。今にわかる」
ハンガクさん、きっと嬉々として作るんだろうなぁ……黒パン粥を。
まぁ、前回はマッシュポテトとソーセージの串焼きだったからな。こいつらが知らないのも無理はないか。
「……あ、イーノさん」
「なんだ? デニー」
「特別な戦い方って、いつ教えてもらえるんだ?」
「あー……」
あれだけイーヴァに搾られたというのに、どうやらあきらめていなかったらしい。
ちらりと、隣で女子たちと談笑しながら食事を取っていたイーヴァを見やる。
「――ん? ダメだぞ?」
しかし、その視線に気付いたイーヴァはすぐさま否決する。
「イノが前に言ったとおり、お前らは逃げられる程度の力さえあればいいんだ。つーかまだ懲りてねーのか? まったく、誰に似たんだか……」
そして彼はオレに視線を返す。
「なぁ? 伊達男」
「うぐっ……い、いやだがこれはオレのせいじゃ」
「小型とはいえモンスターの群れを一瞬でなぎ払う<フレイムブレス>、さぞやかっこよかったんだろうなぁ? なぁ、どうだった? 使うよう命令した伊達男さん?」
「ぐぅっ……」
たしかにオレはチャドに<フレイムブレス>を使わせたし、いくらジャイアントスパイダーが火属性が弱点だったからとはいえ、ジャイアントスパイダーを一掃するその威力も認めよう。
そして、その威力に憧れてしまうデニーはどうしようもないくらいに男の子だ。
だが。
「……あれは、仕方なかったんだ」
オレはため息とともに言葉をつむぐ。
ヘイト管理の過程で小型モンスターに大量に囲まれてしまうのはデコイにとってどうしようもない宿命である。
しかし、オレたちはゲーム時代のころからずっとオレがかき集めたモンスターをイーヴァが一掃するという戦術をとっていたため、残念なことにオレ自身は範囲攻撃技を一切持っていなかったのだ。
――ああいや、<ワールドエンドクレイモア>は一応範囲攻撃技か。
まぁ、発動させようとすると最低二秒は無防備になるし、それに前方ぐらいしか攻撃範囲がないからこそ『ヒノキの棒』と呼ばれているのだが。
たしかに条件は厳しいが、しかしあれでも一応はデバフ付与と威力と範囲すべてが高レベルでまとまったかなり高性能な覚醒技なんだがなぁ……一応、データ的には。
さておき。
「オレだけ逃げるならまだしも、あのときチャドが<フレイムブレス>を持っていなかったらオレたちは死んでいたんだ。あの場では最適解だったと、オレは思っている」
「え!?」
「まじっ!?」
オレのその発言に、ランディやチャドが目をむいて声を上げる。
「お、おじさん……いまの本当?」
「事実だ。相手の敵愾心――自分への執着を失わせるトレントの<ヒーリングアロマ>は自分への執着だけが対象だからな」
おかげでデコイ役のほかに殿まで上手くなってしまったのだが……まあ、さすがにトレントアーマードという鉄板二種混合構成にはかなわない……いや、これは蛇足か。
「はっきり言って見殺しにしたほうが楽だったかも知れん」
そのほうが自分たちが大失敗を犯したことをはっきりと理解できるし、アイテムの散乱に対してはオレが回収すれば良い。
それにデニーは覚醒技を再取得させることも出来るし、一石二鳥、いや三鳥だ。
……まぁ、さすがにトラウマになったら悪いからそんなことはしないが。
だが『死に戻り』の概念をまだ知らないランディら男たちは顔を真っ青にしながら涙目でオレを見つめてくる。
「こ、今度は……助けてくれないのか?」
「いや、助けるぞ? 助けられるのであればな」
逆に、助けられないなら助けないという意味でもある。
「そ、そっか! よかった!」
しかしランディたちはそんなことまで頭が回らなかったようで、ぱぁっと表情を明るくする。
「……この伊達男め」
ただ唯一、イーヴァだけが、そんなことをぼそっとつぶやいた。
[jump a scene]
その後、一時間かそこらで合流したハンガクさんと共にルイスの鍵を使って王都北区の中央広場へと飛ぶ。
中央広場から見渡した北区はすでに一週間前とは趣を異にしており、広場を囲うように仮設住宅がずらずらと、そして区画ごとにナンバリングされ理路整然と並んでいる。
「なんだこれ!? すげえ!」
一週間で家が建つとは夢にも思わなかったらしい。ランディたちはしきりにあたりを見渡し、建て終わった小屋じみた家や地ならし中の空き地を見ては「おお!」とか「うわっ!」などと興奮気味な声を上げる。
しかし、それよりも目を引くのはオレたちの目の前に立てられたこのばかでかい建物だろう。
「たぶん一ヶ月かけて溜め込んだ部材を急ピッチで組み立てただけなんだろうが、それにしたってこれは……やれやれ、よほど大工を酷使したな?」
それほどまでにその建物――ギルド本部は周囲の建物よりも目を引いた。
また、そのギルド本部の入り口付近には、文字が読めぬものたちのためにぶら下げられたギルドの紋章がぷらぷらと風に揺れていた。
「――いや、おい、まて」
だが、そのギルドの紋章を見たイーヴァが顔を引きつらせる。
「オレの記憶が正しければ、あれは……バイオハザードマークに似ているな」
「えっ!?」
そしてオレの発言を受けて、ようやくハンガクさんが気付いたのか驚いたような声を上げる。
「いや、あれ、まるっきりそのまんまじゃん……自虐すぎるだろ」
イーヴァがため息と共に顔に手を当てる。
いや、まぁ、オレたちは遺伝子組み換えというか、遺伝子操作じみたことをしているからな。
それにあれは国際的に定められた法定標識である故、表示するのはある意味では間違っていない。
「だがこうも見事だとこう叫びたくなるな」
「遺伝子操作かよ! か?」
「今となっては笑えませんね、それ……」
ハンガクさんが半笑い状態となり、オレもそれにつられて空笑いを浮かべる。
そして、この話題についてこれないのはランディたち七人だけ……まぁ、身内話だからしかたない。
「さて、イーヴァ、ハンガクさん」
「ん?」
「はい?」
オレはゆるりと振り返り、二人の顔を交互に見る。
「久しぶりに帰ってきたんだ、こいつら連れて東区で買い物してきてくれないか? 昼飯はできれば豪華にしたい」
「あー、いいですねぇ」
「んー……アタシも久しぶりにサンドイッチ食べたいから良いけど、イノは?」
「ギルドに途中経過の報告を、な?」
「……ああ、なるほど」
オレのその一言でなにかを察したらしいイーヴァは納得したかのようにうなずく。
「なぁ、イノ」
「うん?」
「アタシがいないからって、ナンパはダメだぞ?」
「ねぇよ」
「はいはい、いちおー信じとくぜー? 相棒」
そして彼はあの小憎たらしい笑みを浮かべながらはたはたと手を振り、ハンガクさんたちを連れて東区のほうへと足を向けた。
「やれやれ……」
最近、イーヴァがずいぶんと意地悪くなったのは気のせいだろうか?
イーヴァたちが東区へと向かっていくのを見届け、オレはそのまま冒険者ギルドの門戸をくぐる。
「おっと! 申し訳ありません、冒険者ギルドは現在営業準備――あら?」
突然入ってきたオレに対して、なぜかギルド内にいた馬が驚きながら立ち止まり、次いで頭上から騎手の声が振ってくる。
不思議に思いながら上を見上げると、まず目に飛び込んできたのは視界いっぱいに広がる豊満なるバストと、その谷間からのぞく、きめ細かな肌をした額だった。
おおっ!? と思わずガッツポーズをとり、しかしすかさず冷静になって数歩後ろに下がる。
「……ああ、やっぱり。イノさんではありませんか」
そこにいたのは、馬のライカンスロープとなった騎士然としたギルド職員だった。
「もう、いきなり死角に入ってこないでくださいまし。危うく踏み潰すところでしたわ」
そして彼女は少量の書類を小脇に抱えながらくすくすと笑う。
ただ。
「申し訳ない、どこかで?」
オレは、その金髪縦ロールの麗しき姫騎士とは一切面識がなかった。
「いいえ。ですがうちの色ボケが常に話題にしてますもの。もう顔も名前も覚えてしまいましたわ」
――ああ、アイツのせいか。思わずため息が漏れる。
「申し遅れました。わたくし、ギルド<モチヅキ>所属にして、冒険者ギルド職員のエレオノールと申します。どうぞ気楽にエレン、とお呼びになってくださいませ」
エレオノールと名乗った彼女はそのまま細かく足踏みをするように後退、次いでオレが話しやすいようにとその場に座り込む。
とはいえ、下半身が馬になったライカンスロープはそれだけで身長が二メートルを優に超える。たとえ座ったとしても立っているオレよりも頭ひとつかふたつ、身長が低くなる程度だった。
「さて、イノさん。本日は当冒険者ギルドにどのような御用件ですの? ただ、今ちょうど事務所の整理を行っていますので精算業務すらできないのですが……」
「いや、あの七人のことで、な」
「七人……ああ、なるほど……では少々お待ちを。うちの色ボケは今、来客中ですので」
「来客中?」
前に彼女自身が言っていた皮職人ギルド辺りだろうか?
「ええ、腹黒タヌ――こほん。ディタムス王ですわ」
「おい!?」
前々から思っていたが、フットワーク軽すぎだろう!?
「というかそういう情報ばらしていいのか!?」
「かまいませんわ。こうやって時折ディタムス王が来訪することで『わたくしたち渡り人は貴族より下ではない』ということを暗に示している……らしいですわ」
よくわかりませんけど。彼女は最後にそう締めくくる。
「……ああ、つまり、そうすることでオレたちにたしかな威光を与えているわけか」
「さぁ? わたくし政治は疎いのでわかりかねますわ」
それを言うならオレもなんだが……。
「ですが、これだけははっきりといえます。うちの色ボケがディタムス王と組んでまたぞろなにかたくらんでいるようですわね」
「それはまた……不安しかないな」
「まぁ、なんとかなりますわ。たしかにうちの色ボケは純情で、夢見がちで、惚れっぽくて、三日坊主で、それでいてバイで、色狂いで、戦闘狂で、謀略家で、お腹の中は真っ黒けで、果てはわたくしたち身内から『色ボケ』とかいわれてしまうような残念な女性です」
ですが……と、彼女は真面目な表情で続ける。
「それでもわたくしたちをまとめられる程度には優秀ですし、あれで面倒見も良くて義理にも厚いんですの。それにあの色ボケ、この世界にきてからはずいぶんと一途になりましたわ」
――ああ、あのときジュウゴヤさんが言った「三日後にはすっぱり忘れてる」という言葉は一応は事実だったのか。
ただ、彼女もまた、オレたちと同じように性格が変わってしまったというだけで。
「アイツも愛されているな」
「ええ、もちろん愛してますわ。ただし、友人として、ですが――まぁ、かわりにどこのチョロインだと言いたくなるくらいにチョロくなってしまいましたけど」
「ああ、それには閉口したよ……」
なんであれだけで惚れるかな? エレンさんはヤコのことをチョロインというが、しかし、あれはもはやチョロインの皮を被った別のなにかではないだろうか?
「ふふっ……でも、イノさんは幸せですわ。そんな一途な良妻賢母に運良く見初められたのですから」
そしてくすくすと、エレンさんはやさしい笑みを浮かべた。
「……なぁ」
「はい?」
「最後のそれ、いくらで頼まれた?」
「ハハッ、マサカソンナ。ソンナゲセワナジジツハアリマセンワ」
それならオレの目を見ながら言おうか。エレンさん?
[jump a scene]
入り口で待っているのも大変でしょう、ということで、オレはエレンさんの勧めで入り口そばの待合所にてディタムス王が帰るのをじっと待つ。
待合所はまるで病院のようにいくつもの長椅子が設けられており、長椅子は長時間座っていても尻が痛くならないようにと、動物の毛皮を重ねて作ったクッションが張り付けられていた。
そしてたぶん、このふんだんに使われている毛皮のクッションは、市場に皮が溢れ、相対的に革製品の価値が下がってしまった皮や皮職人への対策なのだろう。
ギルドの待合所でこれだ。この調子だとこれに似た対策がまだあるのかもしれない。
そんなことを考えていると、二階から身なりの整った中年男性が簡素な騎士鎧を着た男たちを連れて降りてくる。
――あれが、ディタムス王か。
みたところ三十、いや四十代前だろうか? 背筋はしゃんと伸び、体型維持は完璧。また、その立ち振る舞いはまさしく王にふさわしい堂々たるもの……なのだが、しかしやはりよる年波には勝てぬのか、ややくたびれた見た目をしている。
そしてそれはまさに、どこにでもいそうなサラリーマン然としたおっさんだった。
いや、たとえ王族であろうとも、人は人。まるで物語の中の人物みたいに見目麗しい紳士や、見るからに威厳ある老王なんて、そんなのはめったにない……はず。
――そんなことを考えていると、オレの視線に気がついたディタムス王が不意にオレのほうに顔を向け……。
軽くではあるが、頭をさげ、一礼を、した。
「――っ!?」
そのあまりにも想像の埒外な行動にオレは一瞬呼吸を忘れる。
「では、戻ろうか」
「はい」
しかしディタムス王はそんなオレの驚愕になど一切関心を向けず、お付の騎士たちに一言。そのまま悠然とギルドを出て行ってしまった。
――オレには政治はわからない。
だが、それでも――いや、いくらなんでも、一国の王が、オレのような一般人にああも簡単に頭を下げる理由がないことくらいは知っている。
そして、いくらなんでも、魔力の有無で差別が起こり、貴族が警察と軍事を担うようなこの七つ世界の王が、こうもたやすく頭を下げるのはあまりにも理に適っていない。
「……は、は……なる、ほど……」
ヤコやエレンさんが腹黒タヌキと罵るわけだ。予想外に大きく引きつる顔を誰にも見られたくなくて、オレは顔を片手で隠す。
――あれはたぶん、程度の差こそあれ、それが効果的というのであれば、醜聞も汚名も気にしないタイプだ。
そしてあれは、オレたちの『頭を下げる』という意味をほぼ確実に理解している。
で、なければ、オレたちに対し、頭を下げて挨拶――会釈などするわけがない。
ましてや、あれほどフットワーク軽くオレたちに会いに来るわけがない。
「ああ、あれはたしかに、相手にしたくはない、な」
情報に長け、相手の負い目や弱みを突き、醜聞も汚名も気にしない王――いや、将。
もしかしたら、オレたちプレイヤーをこれ以上召喚しようとともしないのは『二百人程度ならばもし戦争になっても勝てるから』なのかも知れない。
「あ~る~じ~さ~ま~っ!」
「<カースソウル>!」
――不意に、背後から響く澄んだ声。
オレはそのネガティブな思考を中断、それに対して振り向きざまに覚醒技を放つ。
するとすぐさまギルドの床から「おぉおおお……」という怨嗟の声と共に三体の怨霊が這い出てきて、オレに飛びつこうとしたヤコをがっしりと床につなぎとめる。
「きゃん!」
結果、ヤコは顔面から床にたたきつけられることになった。
それにしてもずいぶんとかわいらしい声である。
……元女であるはずのレオンとは大違いだな。いや、あれもまた、自分の身体に引っ張られているのかもしれない。
さておき。
「元気そうだな?」
「……く、くふ……くふふ……。主様も、ツンデレ具合に磨きがかかっておるようでなによりじゃ……」
ヤコはそう震える声で笑い、<カースソウル>の怨霊を蹴り飛ばしながらゆるゆると立ち上がる。
その鼻からは血がどろどろと流れ出ていた。
そして、彼女がいつも着ている藍色の小紋が、自身の鼻血でどす黒く変色していく。
「いや、その……やっておいてすまないが……大丈夫か?」
「うむ、儂には<ワイルドソウル>があるからの。放置しておいても十秒で止まるわ。それに」
「……それに?」
「まさかの主様手ずからのお仕置き! ご褒美じゃ!」
「そ、そうか……」
素晴らしく良い笑顔でサムズアップ。
そんな思わぬ反応に顔が引きつる。
彼女のほおが赤いのは、顔をしたたかに打ちつけたせいだと思い込みたい。
「まぁ、主様が気に病んでいるのであればこう、儂を強く抱きしめながら、頭をそっとなでなでしてくれるだけで十分じゃよ? ――ああ、それと、なでなでしながら顔や着物に付いた血を優しく拭き取り、耳元で甘い言葉をささやくというオプションもつけてくりゃれ」
「……大丈夫そうだな。頭以外は」
というかどこの風俗店、いや、ホストだ。
オレはまだ未成年だぞ。
「くふふ! やはり主様はツンデレじゃ! じゃがそのツンデレ具合にきゅんきゅんきて……こほん。さて、主様や、斯様な場所になんの用じゃ? ――はっ! もしや儂が恋しくなって!?」
「ねぇよ」
「……左様か」
オレのその一言にヤコは見るからに落胆、だが、次の瞬間にはその口元がゆるりと吊りあがる。
「まぁよい。それならばそれで、儂が二十六年の間に研鑽したオ、ト、ナ、の手練手管で以ってじっくりゆっくりねっとりぬっぷりと篭絡するだけじゃ。それに儂は、伊達に二十六年も主様に操を立てておらんしの。待つのは得意じゃ、くふふ」
そうやって彼女は口元に袖口をあて、くすくすと子供っぽく笑う。
――そしてふと、オレは、ひとつの事実に気付いてしまう。
「なぁ、二十六年も研鑽してるのに二十六年も操を立ててたってことはお前、もしかしてただの耳年増」
「あーあー! 聞こえなーい!」
オレがそのことを指摘すると、彼女は頭の上の狐耳を器用に伏せ、さらには元の人間の耳をも手で覆ってその事実を拒絶する。
――なんだか少しだけ、ヤコが可愛く見えてしまった。
[jump a scene]
オレは二階にある応接室へと通され、背の低いテーブルを挟んでヤコと対面する。
「ずいぶんと金がかかっているな」
オレは体が沈みこむほど柔らかなソファーに腰掛けて、それに対する皮肉を言う。
「細かい事情は省くが、あの腹黒タヌキに話を持ちかけて公共事業にしてもらっての。おかげでただ建物を建てるだけでは済まなくなったんじゃ」
ヤコが空中に指を這わせてアイテム欄を操作し、そこから木製のカップと陶器製のティーポットを取り出す。
「まぁ、浮浪者問題と雇用問題はどの世界どの時代でも大問題、というわけじゃ……ああ、主様や、冷たい麦茶でよいかの? というか、今すぐ出せるのは麦茶しかないんじゃが」
「ん? ああ」
「すまんの」
苦笑いを浮かべながら、彼女はオレの前に差し出したカップに麦茶を注ぐ。
ティーポットの注ぎ口から砕けた氷のかけらがいくつか、じゃらりと流れ出て、見るからに冷たそうだ。
「冷え冷えじゃ。さ、ぐいっとやってくりゃれ」
「ああ――いやまて、冷え冷え? 氷?」
「うむ、そうじゃが……それがどうかしたのかえ?」
「どうかもなにも! なんで氷があるんだ!」
そう、この世界に製氷機、ましてや電化製品など存在しない。
あまりにも自然に「冷え冷え」とか氷のかけらが出てきたものだからうっかり見逃すところだった。
「……理科系のオタクって、怖いの」
「……は?」
「彼奴ら、少々の予算と土地をあてがっただけで笑いながら意味不明な単語を発しはじめるんじゃもん……たった二週間で試作型の製氷機が海底遺跡の風車小屋に組み上げられたとき、儂はそのあまりの早さに戦慄したわ」
「そ、そうか……」
げに恐ろしきは知識と技術を持った阿呆の俗欲パワーか。
「まぁ、早すぎるなどと責めることもできんし、しっかと予算内。しかもこれまで氷は魔法が使えるものに安くない代金を払って作ってもらうしかなかった故、長い目で見れば逆に予算削減に貢献しておる……ここまでくると嬉しさを通り越して逆に小憎たらしいわ」
そしてヤコは、口元を袖で隠しながらくつくつと笑う。
「さて、雑談はこの程度にして――主様や、もう一度聞くが此度は斯様なところまでなんの用かえ? 儂としては、愛の告白なんかが嬉しいの」
「デニーが、デッドミートの覚醒技<ファジーテンタクルス>をある程度制御した」
「――え?」
オレの一言に、ヤコの表情がぴしっと固まる。
「ちょっと、待ってくりゃれ? 主様、今、なんと?」
「デニーが、デッドミートの覚醒技である<ファジーテンタクルス>をある程度制御したんだ……まぁ、出し入れできる、という程度ではあるがな」
「え? え? ちょっと、ちょっと待ってくりゃれ! デッドミートの覚醒技が、システム的に存在しておるのか!?」
「ああ。自己申告だが男子は全員取得していることを確認した。また、この覚醒技はパッシブに分類されているらしい、デニーの持つ<ワイルドソウル>で再生した」
そして、次に<ファジーテンタクルス>が再生するとしたら、デニーと同じライカンスロープであり、<ワイルドソウル>を持つ、クロエ。
ヤコが天井を仰ぐ。
「……いや、そうか、なるほど通りで名前が……」
そのままぶつぶつと頭の中を整理するかのようにぶつぶつとつぶやき、数秒、真面目な表情でオレをまっすぐと見据えて、言う。
「このことを知っている者は?」
「ここまで詳しいのはオレだけだ。ある程度知っているのはイーヴァと、そしてあの七人。……ああ、もしあのときジュウゴヤさんが聞き耳を立てていたとしたら、彼もある程度は知っているはずなんだが」
「そのような報告、寡聞にして存じぬわ」
「そうか。――ついでに聞いておくが、ジュウゴヤさんは?」
「申し訳ないが彼奴には今別件を頼んでおる故、ここ三日ほど帰ってきておらぬ」
「そうか、それなら仕方ない」
「……内容は聞かぬのかえ?」
「聞いても良いが、今それを聞いても意味がないだろう?」
「それもそうじゃな。すまぬ、今の言葉は忘れてくりゃれ」
「わかった……今はクロエの<ファジーテンタクルス>が再生したときを考えて、コントロール方法を教えるデニーと、暴走した場合にクロエを鎮圧するイーヴァをそばにつけている。全員いっぺんに暴走しない限り大丈夫だろう」
「そうかえ、ならそうならぬよう祈るのみじゃな。……ところで主様や」
「なんだ?」
「主様は、触手プレイ、好きかの?」
「――は?」
がらんっ、と、室温でティーポットの中の氷が、崩れた。




