表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
劣等生私論  作者: 劣等生
1/1

アルジェリアテロ事件被害者の実名報道について

初めまして。劣等生です。今回のアルジェリアテロ事件の被害者の実名報道に際して疑問に思うところがあったため調べてまとめてみました。拙い文章ですが最後まで読んでいただければ幸いです。

 先日アルジェリアで起こった人質事件の被害者達の実名が報道されるという事態がありました。今回はこの事態を「表現の自由」から考えて行きたいと思います。

 まず、「表現の自由」とは何かを説明します。表現の自由とは、日本国憲法第21条に記載されている基本的人権の一つです。集会、結社及び言論、出版等の表現の自由を保障し、検閲を禁止する条項です。マスコミの主張する「報道の自由」は「表現の自由」によって保障されており、本来、個人情報保護法等で規制されるべきことも、マスコミの報道に限っては特権的に許されます。

 以上のことを踏まえれば、朝日新聞や毎日新聞、テレビ各社の実名報道は正しいように見えます。しかし、中学生で習うことですが、「自由」には「責任」が伴います。

※今回は「表現の自由」からくる「報道の自由」「取材の自由」を考察します。内容が似通っており、内容が前後することがあるので必要に応じて読み返してもらえれば幸いです。 今回の事態で問題になる観点は、先述の「表現の自由」から発して大きく2つに別れます。「報道の自由」と「取材の自由」です。 まず、「報道の自由」についてですが、先述したように、これは日本の「最高法規」である日本国憲法で保障されているものであり、犯し難い権利です。マスコミの主張する「実名報道の正当性」もこれが根拠となっています。しかし、これは断じて「マスコミの報道ならどんな情報でも垂れ流していい」ということではありません。

 「表現の自由」が争点になった事件として「チャタレー事件」と言うものがあります。その事件の要点は「表現の自由はいかなる場合も制限されないか」です。結果として最高裁の判決では次のように判断されました。

「憲法の保障する各種の基本的人権は、憲法第12条、第13条の規定からしてその濫用が禁止され、公共の福祉の制限の下にたつものである」

 この判例によって「公共の福祉」を理由に表現の自由が制限されることが明らかになりました。

 ここから分かるようにマスコミの言う「表現の自由で保障されているから大丈夫」という論は必ずしも成り立つものではありません。ただ、今回は実名報道された人物が故人であるため、個人情報保護法では保護されず(「個人情報」が保護されるのは生きている者の権利であるため)、また、プライバシーの権利もあくまで本人が能動的に主張すべきものであるため、「報道の自由」のにおいてはマスコミの実名報道は間違ってはいないと言えるように見えます。

 しかし、「プライバシーの権利」は当然ながら遺族の方々にもあり、その中には「家族構成」も含まれます。さらに細かく言えば、「プライバシーの権利」の法的要件は「1.公開された内容が、私生活上の事実らしく受け取られること」「2.一般人の感覚からして、公開されたくないこと」「3.一般の人々にまだ知られてなく、公開されることにより、実際に不快に感じること」です。今回の事態はネット上の情報が事実なら「遺族は実名の公表を拒否した」ので、2、3の要件を満たしており、1の要件も報道の際に趣味等を流していたことからも「事実らしく」受け取れます。

 以上のことから、今回の事態は、「報道の自由」に関しては黒ではないものの、かなりグレーなゾーンと言えるでしょう。本来ならテレビ局などはこうした「プライバシーの権利」と「報道の自由」をすり合わせながら、「個人のプライバシーを犯してまで実名報道をすることが公共の福祉に利するのか」を考えるべきでしょう。


 余談ですが「ご遺族は実名を伏せての報道を希望しましたが、私共は事件の重大さ、また、亡くなった方の名誉のため実名で報道させていただきます」とか言ったキャスターのテレビ局はプライバシーの権利の要件の2を無視しているのでより黒に近いグレーと言えます。 次に、「取材の自由」についてですが、なんとこれ、実は憲法によって保障されていません。より、正確に言えば「表現の自由」から派生して保障を受けているが、「人格の尊厳を著しく蹂躙した取材行為は違法である(外務省公電漏洩事件における最高裁の見解)」として、「取材の仕方次第では表現の自由云々以前に違法だ」と認識されているのです。

 先程の「報道の自由」は「表現の自由」そのものに関わる事例のため、白黒つけにくいものでしたが、「取材の自由」では今回の事態を引き起こしたマスコミの取材方法次第では確実に違法と言えます。

 ネットの情報を信じるならば、「遺族は実名公表を拒否」「政府・日揮は遺族の私生活に配慮して公表を控えた」と言うことに対して、「実名報道を行なった」「遺族の親族にまで押し掛けて取材をした」マスコミがあるそうですね。

 これは、「実名を出さないでくれ」と主張している遺族の「人格」を無視したことになるのではないでしょうか。また、「押し掛け取材」も「実名を出さないで欲しい」と主張した遺族に対して「情報の公開を強要している」ともとれるかもしれません。

 以上のことから、筆者は「取材の自由」に関してはほぼ黒と断言してもいいのではないかと考えます。

【まとめ】

 「報道の自由」は「表現の自由」により保障されたマスコミの特権ですが、「プライバシーの権利」との均衡を考えなければならず、法的には問題無くとも倫理的に問題があると言えます。

 また、「取材の自由」は「報道の自由」よりも、制限がかかりやすく、人格の尊厳を著しく害する場合には違法となります。

 マスコミ各社には「報道の自由」の意義を考え直てもらうとともに、遺族の方々は弁護士等と相談しながら今回の取材行為の違法性について検討していただきたいです。

 以上、劣等生の私論でした。

 最後に亡くなった方々のご冥福と遺族の方々のご健勝をお祈りいたします。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。


ここまで読んでくださった方々には再度お礼を申し上げます。

ありがとうございました。

今回は「表現の自由」が争点でした。

これはマスコミに限らず「プライバシーの権利」や「個人情報保護」の観点との衝突が避けられません。

それをさも「報道して当たり前」と言っているマスコミに違和感を覚えこの記事を書かせてもらいました。


【補足】

注意してもらいたいのが「実名報道」も「公共の福祉」に反しないなら「表現の自由(報道の自由)」から認められるので、犯罪者の名前が公表されることと今回の事態を混同されないようお願いします。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ