現実2『一輪挿しの花瓶』
睡眠不足を押してでも登校したのは、単純に出席日数を保持するためだったのだが教室に入り席に着こうとした途端に、馬鹿らしくなる。
窓際の最後方――僕の机の上の悪趣味な行為。
置いてあるのは一輪挿しの花瓶。そこに刺さっている仏花。
たしか菊の花だよなこれ。
いつものことなので気にせずに椅子に座ると、くそ重たい肩掛け鞄を外して床に置いてから、窓際へどける。
そこにはいくつもの花瓶がちょっとしたコレクションみたいに並んでいる。左から横一列において言っているのだが端にあるものは枯れ始めている。ひいふうみい。結構たまったな。
これをやってきた奴が誰なのかはわかっている。
学校にくるとこいつの相手をしなくてはいけないので、すこしだけ気が滅入った。
まあ他に話し相手もいないのであまり文句は言えないのだけれども。
「やあしかばねくん」
「おはよう葬儀屋」
「どうも御愁傷様です」
彼女は、いつものように場違いなというか不謹慎な挨拶を返してくる。
保健医が産休で不在であるのをいいことに、保健室のベッドを独り占めし、スティックキャンディを齧りながら携帯ゲームに興じている同級生。
登校欠席児童こと、葬儀屋湊。
彼女は僕にとって数少ない話し相手であり、中学校時代からの知り合いである。黙ってさえいればそこそこ可愛いのだが口を開けばろくな事を喋らないし、学校にいながらも、授業をエスケープしてはどこかで遊んでいる将来の行く末が心配になるやつである。
「しかばねくんは相変わらず死んだ魚のような目をしていますねえ。素敵です。とても素晴らしいです」
「今やそのあだ名で呼ぶのはおまえだけだよ」
「そうですね」
しかばねというのは中学校時代のあだ名だったが、葬儀屋は気に入っているらしく高校に上がった今でもそう呼んでくる。
「ていうかおまえまた僕の机に悪趣味な花瓶置いただろ」
「しかばねくんが休みの日に置くと、クラスの他の女子たちが面白がってお菓子とかお供えしてくれるんですよ」
「……」
そういえば机のなかに何度か覚えのない飴とかチョコとかが入っていたことがあったのを思い出す。葬儀屋が勝手に入れてくれたんだと思っていた。勘弁してくれ。
「でも大丈夫です。もはやあなたを苛めて面白がっている人間は私くらいなもんです」
「数少ない友人が苛めってひどくないか」
「虐めじゃなくて苛めなんですよ」
葬儀屋はその違い、分かんないですかねえと、空いているほうの手でひとさし指を立て横に振ってみせる。彼女とは二年以上の付き合いだが、その表情はいつでも飄々としていて未だに考えていることがよくわからない。
「それよりもひどいのは君の目のクマですね。徹夜でゲームですか。さっそく私が貸し与えたアーカイヴにはまっているみたいですけど」
「まあ|こっち(現実)よりは退屈しない。あとあっちだと身体が楽だしな」
「うん。順調順調。あなた近いうち不健康がたたって死ねますよ」
「そいつは本望だ」
いつものように退屈で死にそうになっていた僕にこれが「おもしろいです」とアーカイヴを投げつけられたのが確か一ヶ月前のことだ。
あらから僕は殆ど眠ることもなくあっちの世界に入り浸っていたせいで、体重が五キロ近く減った。元々ひょろかった僕の身体はいまではがりがりになっているので、あながち冗談ではすまないかもしれない。
まあ気にもしないけども。
「相変わらずの自暴自棄っぷりですねえ。ああ。そうそう。これが渡しそびれた取説です」
葬儀屋が、携帯電話のゲーム画面に没頭しながら、薄いパンフレットを差し出してくる。
「ん。どうも」
パンフレットは二冊ある。
ひとつは僕が今朝方まで徹夜でプレイしていたゲーム機本体のものだ。表紙にARCHIVEという深紅のロゴと、ステレオヘッドホンに似た形状のハードウェアのイラストが描かれている。
アーカイヴ。書庫や公記録保管所を意味する言葉が何故つけられたのかは知らないけれども、これを通じて、ゲーム専用に設置された仮想現実空間へと入ることができる、という今までにない新しいタイプの家庭用ゲームだった。
「DDD on-lineはどうですか。もう魔王にはなれましたかね」
「そんなに早く強くなれるもんでもないだろ」
「まあ最短で五ヶ月かかりますかね」
「そんなにかよ」
「是非早く魔王になって下さい。私が葬ってあげますから」
「やだね」
響いてくるチャイム。
そろそろ始業らしい。
「ああ。もうこんな時間ですか。あなたはさっさと授業に出るのがいいです」
「葬儀屋は?」
「出席日数は計算してますから問題ありません。全クリしてから行きます」
「程々にしておけよ」
「しかばねくんに言われたくないですね。それでは御冥福をお祈りしております」
「はいはい」
いつものように不謹慎な別れを告げてくる葬儀屋湊を背に、僕は保健室を後にする。




