ハウンドドッグゾンビ Lv1
「――……はあっ……はあっ……」
あれから数分、いや数十分は経過していただろうか。
気がつくと、それまで呼吸を止めていたように喘いでいる自分がいる。
何が起こったのか分からない。
洪水のように次々に流れ込んできた光景と感覚。
それらを、避けることも受け止めきることもできず圧倒/翻弄されたことは覚えている。
「……一体なんなんだ?」
呼吸を落ち着かせてから、状況を確認する。
周囲はログ画面選択時の暗闇から、元の地下ダンジョンの内部――地下三階だ。
先ほどまでいた場所。
あれから一歩たりとも移動していない。
さっきまでヘビーに重かった身体がやけに軽くなっている気がすると思ったら、おれはアサガオではなくなってい。この白く丸っこいふわふわ浮いた身体は――。
「憑依がキャンセルされてゴーストの状態に戻ってるだと……?」
ならばアサガオはどこへ行ったというのだろうか。
その姿を探そうとして、すぐに見つける。
彼女は足下にいた。
手足にいくつもの枷をつけた状態のまま仰向けに倒れている。
「……うぅ」
彼女は意識を失い苦しそうに小さく呻く。顔がいつも以上に青ざめている。
身体が疲れ切っているせいなのか。それとも――。
「どちらにせよ。これで証明されちゃったようだな」
彼女はこのDDDというゲームからログアウトすることができなかった。
我ながら馬鹿げたことと思ってはいるが、それはイコール戻るべき肉体がないという考えに繋げる事ができる。
そして今、体験したあれ。
あれはたぶん白昼夢なんかでない。
勿論、幻覚なんかでもない。
――どこかの無機質な白い病室。
――カラスの鳴き声。
――血塗れたベッド。
――胸を内側から貫くような痛みの錯覚。
――アーカイヴの起動メッセージ。
どういう理屈なのかは分からなかったがおそらくあれは夕凪朝顔の最期の記憶――なのだろう。
つまり、アサガオは本当の幽霊ってことらしい。
◆
「やれやれ、ようやく到着かよ」
背中にアサガオを乗っけて、二時間ばかし。
どこか安静にできそうな場所を探して、ようやく見つけたのは地下十二階の書架。
本だらけのこの場所の一角には彼女が寝起きしているらしい――備え付けのベッドがある。おまけに貴族の寝室を連想させるような天蓋つきで、黒色のレースのカーテンまでついている代物。
現実に存在すれば勿論相当値の張りそうな代物である。
また意識のないらしいアサガオをマットに無理やり押し上げると、毛布をくわえて身体にかけてやる。
「こういう趣味は魔王様っていうよりはお姫様って感じだな」
「ベッドに……寝かしてもらうのは生前以来だぞな」
「うおい起きてたか」
「今、気がついたぞな」
ぐったりと横になった状態のまま、薄目を開けて弱弱しく笑って見せるアサガオ。
身体にあった枷は地下十一階まで降り切った頃には消えていたが、思ったよりも体力が消耗しきっているらしい。
今の独り言聞かれてないよな。
「貴様はまた姿が変わったぞなな」
「不本意ながらな」
「ふふ。ようやく身の丈にあった姿を獲得したらしいぞな」
「うるさい。まったく誰のせいだと思ってんだ」
そう。おれはゴーストから別のアンデッドモンスターになっていた。
それもこれもこいつがぐったりしてアサガオが目を醒まさないせいである。仕方ないから下の階まで連れて戻る必要があったがゴーストのままでは「不死属性/幽霊★」という特異体質のせいで実体がなく、不可能だった。
というわけで結局、手近な他者の身体を借りることに。
ダンジョンを暫くうろついたところ運よく、狩猟犬の群の死骸を発見(たぶん生前おれが殺したやつらだ)。片目がこぼれそうになっているだけの比較的原形を留めているやつをチョイスし憑依。
結果、ハウンドドッグゾンビとなった次第である。
ちなみにステータスをじっくり確認する余裕はなかったが、狩猟犬はその名の通り、徒党で襲いかかって、噛みついたり、引っかいたりしてくるだけの所詮は動物――雑魚らしく、とりわけ目を引くようなスキルはないようだった。
「……なあ訊いてもいいか?」
「なんぞな?」
「おまえが幽霊になっちまったことは家族とか友人って知っているのか?」
「うーん。知らんだろうな。一度、リアルでも仲よくしていた知人がここに乗り込んできた事件があったぞな。私は頑張って説明してみたけれど、ニセモノ呼ばわりされて取り合って貰えなかったぞなよ」
こちらは踏み込んだ質問をしたつもりだったが、アサガオはあっけらかんとした返事をしてくる。
「たぶん家族にしろたところで同じような反応だぞな。私でも逆の立場なら同じ反応をするぞな」
「例えば、おれが家族とかに伝えるっていうのはどうだ? もちろんDDDじゃチーター扱いされているから信じて貰えないだろうけど、現実なら説得できる可能性はあるだろ?」
「いや遠慮しておこう」
「……遠慮って」
「色々考えた結果、私が幽霊であることは理解してもらわなくてもいいことに思い至ったのだぞな。たぶんそんな事をすれば家族にも、友人にも迷惑がかかるだけだからな」
「迷惑ってそんな事ないだろ」
「仮想空間で幽霊になった娘なんて、病気で入院していた時以上に持て余すだけだぞな?」
にこりと曇りなく笑うアサガオ。
それは完ぺきな笑顔だった。
例えばテレビの向こう側の人間が見せるような心の影を一切シャットダウンさせた笑顔。
気遣うはずの相手を、気遣わせないように徹底された笑顔だ。
「……」
「私はもう誰かの迷惑になるのは厭なんだぞな」
実際に見たわけではなかったが、こいつは病院に見舞いにきた相手にも心配をかけないように同じ顔で接していたのだろうなという気がした。
「なあベス。……撫でてもいいかぞな?」
「……」
彼女の近くまで寄ってやる。
ちょうどベッド傍の床には彼女が読み捨てたままにしている本が数冊積み重なっており、そこに乗っかる。
別におれは彼女の愛玩動物でいてやるつもりもない。
相手の要求に無条件に応じてやるほど素直な性格でもない。
だが本当は弱り切っているくせに、悲しい癖に、それを隠そうとしているやつが望んでいることを無下にするほどひねくれているわけでもない。
「私は犬を飼っていたことがあるぞな」
「へえ」
「検査ばかっかりで病室からでられない頃は、その子を撫でてばっかりいた」
「そうかい」
おずおずと伸びてきたアサガオの手。
思ったよりも弱々しくひんやりとしている。
それでもおれの毛並みを撫でつける感触は確かにそこにあるのだった。
「おまえがしたくないことは分かった。だが他にしたいことはちゃんとあるんだろ?」
「……それはあるぞな」
「それはこのダンジョンを出て青空をみる事か?」
「ああ」
アサガオはこちらを見て微かに頷く。
だがその目は確かに強い意志が宿っているのが分かった。
「ごーすとは、はうんどどっぐぞんびになった」
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《名前》「ベス(魔王の愛玩動物)」
《種族》「ハウンドドッグゾンビ」
《Lv》「1」
《HP》「7/7」
《スキル》
「不死属性/屍肉」:アンデッドモンスターに付与される特異体質。HP以上のダメージを受けた場合、昏倒にならず、身体損傷の判定を行う必要がある。このスキルの所持者が、完全損傷となった場合のリアクションについては別途マニュアルを参照。
「咆哮」:この咆哮をくらった半径5メートル以内にいるすべての敵は、 判定を行い失敗した場合、軽度の【恐怖】の状態に陥ることになります。また重ねかけの結果によってその症状は【混乱】【恐慌】へと悪化することになるでしょう。
「病気持ちの爪」:この爪による攻撃をくらったすべての敵は、追加ダメージ+5と、病気に感染したかどうかの判定を行うことになります。
「丈夫な顎」:顎での攻撃を仕掛けた場合、部位指定を行える。また対象者の喉を狙って成功した場合、「噛みちぎる」ことも可能。




