現実5『残留思念』
目を開けるとそこによく見なれた女の子がいる。
「御愁傷様です」
「葬儀屋か」
「だいぶうなされてたねえ」
僕は清潔そうな白いシーツがかかったベッドで横になっている。ベッドのまわりは白いカーテンで囲われていて外の様子はよくわからない。
葬儀屋がいることと、着ているものがワイシャツと学ランのズボンであることから、ここが保健室であることを理解した。
「しかばねくんを膝枕するのは実に二年ぶりくらいかな」
「そんなことあったっけ」
血が通っているのかと疑いたくなるほど恐ろしくひんやりとしている葬儀屋の腿。
僕は葬儀屋を女の子として見ていないので、この体勢でいることについてさほど躊躇も羞恥心もなかった。
「喉が渇いたでしょう。これをあげるよ」
葬儀屋がスクールバックからペットボトルを取り出して差し出してくる。
蓋はすでに開けられていて、飲みかけであるらしかったが特に気にしなかった。
喉が渇いていた。夏の気温にあてられてすでに温くなった液体を一気に流し込むと、口のなかにスポーツドリンクにしては甘過ぎる味が広がり、吐き出しそうになるが我慢する。
「ふふふ。末期の水です」
「それ言いたいだけだろ」
「勿論」
「ところで僕、なんでこんなところで寝てたんだっけ?」
「朝礼の途中で、貧血で倒れたそうだよ。保険体育の大泉にお姫様抱っこで運ばれてきたんだ」
「教室に戻るのが嫌になった」
「もう少し眠っていてもいいんだよ」
ぞっとするような甘い声。
そういえば中学校時代に、葬儀屋に一度襲われかけたことがあったのを思い出す。
だいたいいつまでもこんな場所にふたりでいれば、他人に誤解を招きかねない気もする。
だがその言葉に何故か逆らうことができないでいる。
もう少しこのままでいたかった。相当疲れていて、どうかしているらしい。
「――ああ」
そういえば葬儀屋に聞きたいことがあったのを思い出す。
「なあ。職業とかスキルの情報ってネットとかで調べればいいのかな」
「懲りないですねえ。どうせゲームのやり過ぎで倒れたくせに」
苦笑する葬儀屋。
「公式サイトにはろくな情報がないから、やはり有志の攻略サイトがいいですよ。DDDは未知の職業やアイテムの調査結果を自慢しあうのも醍醐味のひとつですから」
でも律儀に教えてくれところは彼女らしい。
葬儀屋は、西部劇のクイック&ドロウのごとくスピードで取り出した携帯電話を驚くべきスピードで操作した後、画面に表示されたDDDの専用サイト画面を見せてくれる。
「それモンスター系の職業とかスキルの情報もある?」
「残念ながらありせんねえ」
「え?」
「少なくとも今のところ未確認だよ。禁呪でモンスターに『変身』した後、『固定化』しちゃって戻れなくなったっていう例は聞いたことあるし、自由度の高いゲームだから存在を否定するのはナンセンスですけどね。DDDはモンスターには転職できないねえ」
「例えばさ死霊魔導師にゾンビにされたらその時点で簡単にモンスターになっちゃうんじゃないの?」
「ゾンビ化はバッドステータスで転職じゃないのですよ」
そうなのか知らなかった。
だが待てよ。ゾンビにされた時にあまりステータスを気にはしていなかったが、レベルは一に初期化されていたし、職業の表記が、種族:ゾンビという記載に変更されていた気がする。
どういうことだろうか。
「じゃあさゾンビからスケルトンになるのもバッドステータス扱いなの?」
「プレイヤーキャラはスケルトンにはなれないねえ。まあDDDは自由度の高いゲームなので以下略」
「でもゾンビ状態から炎で焼かれたらなれるもんだろ」
「それ素人考え。通常は『灰』状態になってゲームオーバー。自殺行為ですからやらないほうがいいですよ」
でもできたんだよなあ。
「ああ。そういえば知ってますか?」
「何をさ」
「幽霊の噂です」
「なんだそれ」
「DDDにそういう賞金首がいるんですよ。とあるダンジョンの主でそいつ自体はそれほど強く ないですけれど、倒しても倒しても死なない。せっかく持ち帰った首もダンジョンを出ようとすると消えてしまう。とにかく攻略ができないやつがいるって噂」
それ所謂、チートってやつじゃないのだろうか。
チートというのはデータの改ざんなどによってキャラクターを強くしたり、通常では複製できないようなアイテムを容易に増やしたりする行為のことだ。
葬儀屋の言い分ではないけどDDDが自由度の高いゲームなら、工夫次第では「倒しても死なない」
「首が持ち帰れない」などの現象も正攻法でありにできるかもしれないが、話を聞いている限りではチート行為を行っているようにしか聞こえない。
「ええ。見かねたプレイヤーが運営にクレームを入れたそうです。ですが依然として、彼女は依然としてダンジョンを占拠している。噂では運営がそのプレイヤーのデータを削除しても、どうしても復活してしまうんだとかで」
「へえ」
「ちなみにこの噂には更にとっておきの尾ひれがついまして。賞金首は現実にいるある女の子にそっくりなんだそうですね」
「別に変じゃないだろ。プレイヤーの顔はいじれるけど半数くらいは自前だし」
「でもね。その子は半年くらいに亡くなっているらしいんですよ」
「……」
その話から推察される事実はひとつしかないだろう。
気持ちのいい話ではない。
亡くなったその少女に対して悪意を持った人間が、彼女を貶める為に顔のデータを拝借して悪行を行っているのだ。
「まあ十中八九そうなんでしょうけど、世間はもっと面白い解釈のほうに飛びつきますから」
「つまり?」
「死んだ女の子の残留思念が、DDDのダンジョンに住み着いているという解釈です」
「ああ。それで幽霊ね」
「ちなみに幽霊さんはこの学校の生徒らしいですよ」
「へえ。名前は?」
「アサガオさんというそうです」
くらりと視界が揺れたのは貧血のせいだけではないだろう。
「――なあ関係ないことを聞くけどさ」
「ほいな」
「教会ってもしかして運営のことなのか?」
「もちろんそうですよ」
「……やっぱりか」
おれは教会について勘違いしていた。司祭や僧侶の集まりである以上の意味はないと思っていたのだ。確かに彼らは他のプレイヤーたちと若干雰囲気が違っていた。偉そうなところがあるし、基本的に物静かなところがあった、たがそれはそういうロールプレイだと思っていたのだ。
「あれ御存じなかったですか。教会は運営がプレイヤーに紛れて監視とかフィールド調査とかする為の隠れ蓑です。ゲームの雰囲気壊すんで彼らも大っぴらにはしてませんが結構有名ですよ」
『私の額が跳ねあがったようだぞな。おそらく教会が本腰を入れ始めたぞな』
『教会ですか』
『うむ。懸賞金の手配主だぞな』
確かにあいつは教会から懸賞金をかけられていると言っていた。
めまいと頭痛と吐き気がいっぺんに押し寄せてくる。
僕はベッドから起き上がると、さっさと保健室から立ち去ることにした。
一度職員室へ顔を出して、具合が悪いとでも言えば、このまま早退することは可能だろう。財布とケータイはポケットにしまっているから荷物は置いていっても問題ない。
「――あれ、もう起き上がるんですか?」
「ちょっと用事を思い出した」
「女の子に心当たりが?」
「さあ聞いたことないけど?」
「そうですか」
とぼけてこの場を立ち去ろうとする僕に、葬儀屋はいつもの何を考えているのか分からない飄々とした顔をして、いつもの挨拶を寄こしてくる。
「それでは御冥福をお祈りしております」