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時間よ止まれ、俺は寝る!――追放参謀、廃校騎士学校と迷宮の町を立て直す――  作者: 乾為天女


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第9話 鐘楼に現れた貴族

 その翌朝、中央塔の下に見慣れない馬車が止まっていた。

 王都の貴族が乗るような派手な装飾はない。だが車輪の鉄はよく手入れされ、幌布の端には地味な刺繍が入っている。積み荷は毛布、乾パンの木箱、ランプ油の小樽、釘袋。見栄より先に中身へ金を使う種類の馬車だった。


 アルシャールが近づくと、ちょうど中央塔の石段の途中から男が下りてきた。

 背は高いが、肩に力を入れて威圧する感じがない。明るい色の上衣の裾を軽く払う仕草だけ、妙に優雅だ。町の埃の中にいるのに、まるで最初からそこに似合う場所を知っているような顔をしていた。


 「おや」

 男は石段の途中で立ち止まり、帽子のつばへ指をかけた。

 「止まった時計の下に、ずいぶん働き者が集まっている」

 「見物なら料金を取る」

 アルシャールが返すと、男は楽しそうに眉を上げた。

 「それは困るな。今日は払うより先に持ってきた」

 彼は石段を下り切り、馬車の荷台を指した。

 「毛布。乾パン。油。釘。あと少しだけ乾燥豆。気休め程度だが」

 「差出人は」

 「クヌーティラ」

 男は一礼した。

 「旧支援家系の末裔、と言えば聞こえはいい。実際には、昔この学校に寄付をしていた家の、やや落ちぶれた枝葉だ」


 その名前に、ジェシーの目が細くなった。

 彼女は工具箱を持ったまま玄関脇へ立ち、男を値踏みするように見ている。

 「支援家系が今さら何を」

 「止まった時計が嫌いでね」

 クヌーティラは悪びれもせず答えた。

 「それに、噂が届いた。辺境の廃校で、寝ながら町を動かす妙な校長代行がいると」

 「その言い方は誤解を招く」

 「実態はもっと面白いのかな」


 キンバリーが荷台に飛びつきかけたので、アルシャールは襟首を掴んで止めた。

 「勝手に開けるな」

 「中身の確認」

 「それは俺がやる」

 「信用してないんだ」

 クヌーティラが笑う。

 「信用はあとでいい。まず数を確かめるのは正しい」

 「いい貴族ぶるな」

 「ぶってはいない。腹を空かせた町では、数えられる人間のほうが偉い」


 アルシャールは荷台の縄を解いた。

 毛布は本当に質がよく、乾パンも湿っていない。油の樽も量がある。釘袋に混ぜ物はなく、豆まで入っていた。見栄で持ってきた量ではなかった。

 「……本物だな」

 「偽物を持ってきて、この校舎の前で生き残れるほど図太くはない」

 クヌーティラは肩をすくめた。

 「それで、受け取ってもらえるかな」


 ジェシーはまだ警戒を解かなかった。

 「見返りは」

 「今のところは、校舎の中を見せてもらうくらい」

 「安すぎる」

 「なら、後で高くなる前に貸しを作っておきたい、と言い換えようか」

 「正直になった」

 「私はたいてい、食べ物と金の話になると正直だ」


 アルシャールはクヌーティラを見た。

 言葉は軽い。だが荷の選び方は現場を知っている。毛布、油、釘。どれも今まさに足りないものだった。

 「肩書はあとで聞く」

 アルシャールは言った。

 「今は荷を下ろせるなら十分だ」

 クヌーティラの口元が静かに上がる。

 「好きだな、その判断」

 「役に立つなら、名前の前に何がついていてもいい」

 「では、今日は役に立とう」


 荷下ろしは意外に手早かった。

 クヌーティラは指示を出すだけの男ではなく、自分で木箱を担いだ。袖口を少し折り、泥を避けずに校舎の中へ入る。元兵士たちがその様子を見て、少しだけ見方を変えたのが分かった。

 貴族は口だけだと思われている町で、自分の手で持ち上げるのは効く。


 運び入れのあと、食堂で薄い豆の煮汁を飲みながら話が始まった。

 クヌーティラは木椀を回し、壁の煤を眺めてから言う。

 「この学校を買いたがっている人間がいる」

 「知ってる」

 ジェシーが即答する。

 「買収の手紙は三通」

 「三通とも、文面の癖は同じだっただろう」

 クヌーティラが頷く。

 「差出人は違っても、後ろで手綱を引いているのはひとつだ。近隣を束ねるバルディエン家」

 食堂の空気が少し冷えた。

 その名は、町の連中なら知らない者がいない。穀物の流れ、道の整備、徴税。どこでも手が届く家だ。


 「なぜこの学校なんだ」

 アルシャールが聞く。

 クヌーティラは窓の外、中央塔を見た。

 「土地だと言う人もいる。地下の権利だと言う人もいる。どちらも間違ってはいない」

 「曖昧だな」

 「確かな証拠を持っていないからね。だが、学校が閉じる前から金の流れを絞っていたのは事実だ」

 彼は豆の煮汁を一口飲む。

 「暖房用の燃料、修理費、迷宮の監視人件費。表向きは節約だが、切り方があまりに露骨だった」

 ジェシーの指先が木椀の縁で止まる。

 「帳簿と合う」

 「やっぱり見ていたか」

 「見てないと凍える」


 しばらく沈黙が落ちた。

 だが重くなりすぎる前に、クヌーティラが空の椀を置いて微笑んだ。

 「暗い顔をする前に言っておく。私はこの校舎が残るほうに賭ける」

 「理由は」

 「毛布を運んだ先で、教室から字を読む声が聞こえた。あれが残るなら、町の値打ちは上がる。落ちぶれ家でも、そのくらいの勘定はする」

 「結局、金か」

 キンバリーが呆れたように言う。

 「金は人を温める」

 クヌーティラは平然と返した。

 「そして温まった人は、思ったよりよく働く」


 アルシャールはその答えを嫌いではなかった。

 理想だけでは校舎は直らない。だが勘定だけでも人は残らない。そのあいだを分かっているなら、手を組む価値はある。


 その日の夕方、クヌーティラは鐘楼の下で立ち止まり、止まった文字盤を見上げた。

 「いい時計だ」

 「止まってるけどな」

 アルシャールが言う。

 「だから面白い。止まったものが動き出す瞬間は、たいてい人の値打ちがよく見える」

 そう言って、彼は帽子を軽く上げた。

 「明日も来るよ。今度はもう少しましな油を持って」


 軽い足取りで去っていく背中を見送りながら、アルシャールは思った。

 校舎に人が戻るほど、こちらを見る目も増える。

 止まっていた場所を動かすというのは、そういうことなのだろう。



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