プロローグ:膝にのせてくださいな
私は週末を心待ちにしている。
学校が退屈なわけではないし、学問が嫌いなわけでもない。
ただ、週末になればアルノに会える。
迎えの馬車が校門の前に停まると、御者が踏み台を持ってくるのも待てずに馬車に乗り込んだ。
「アルノ、ただいま帰りました! 今週は結婚してくれる気になりました?」
馬車のドアを開ければ、緑がかった黒髪に緑玉のような色の目の麗人が座っている。
その瞳には虹彩向かって血のような線が幾筋か確認できる。これはこの国で恐れられる「竜」の一族の印だ。
彼こそ、私の未来の旦那様――だと勝手に決めているアルノ・ベリルその人だ。
計算し尽くした愛らしい所作を作って、アルノの隣に座る。
窓から差し込む光のせいで、私の色の淡い金髪も、孔雀石のようだと言われる目の色も、普通より明るく見えるはずだ。
大丈夫、わかりづらい表情だけれど、アルノの機嫌は悪くなさそうだ。
わたしの求婚は二年前、十一歳から始まった。
当時十九歳だったアルノがそれを取り合わなかったのは当然のことだ。
それはわかっているけれど、この求婚をやめる予定はない。
「カルメ、顔を見るなりそれか。いいか、何度でも言うが、私の考えは変わらない」
「では、婚約だけでもどうかしら? きっとアルノの役に立つ妻になりますから」
「そんなことは求めていない」
つれない反応はいつもの通りで、挨拶のようなものだ。
「なら、結婚の話はまた今度にします。代わりに、アルノの実家に招待してくれる話はどうなりました?」
「そんな話をしたか?」
急に変わった話題に、アルノは銀縁の眼鏡をずらして私を直接見ると、眉を顰める。
「ベリル家でたくさん犬を飼っているんですって? イオが今度連れて行ってもらうって言ってたんです――」
わたしが年相応の興味関心を示したことに油断したのか、アルノは少し肩の力を抜いた。
「ああ……犬ならたくさんいるが」
「わたしはベリル家に招待してもらえないのですか? ついでに、アルノのお父様とお母様にご挨拶する作戦なのだけど」
「――それなら、ダメだ」
「あれもダメ、これもダメ、じゃぁ、どうしたらいいんですの?」
「何でも反対してるわけではない。結婚はしないと言っているだけだ」
アルノのダメに対する切り返しなら無限に浮かんでくる。でも今日は言葉遊びよりも別の目的があった。
「はいそうですかとは言いませんけど、昔してくれたみたいに膝に乗せてくれたら、今日はもう結婚してくれとは言いませんわ」
こういう提案に、アルノはいつも慌てる。
決して必要以上の近い場所に私を寄せ付けようとしないのは、大人として信用が出来る。
こういう律儀なところも、彼を夫にしたい理由でもある。
「いつの話だ。あの時はおまえがまだ子供で、泣いていたからあやしただけだ」
「つまり、今は、わたしを子供だと思わなくなったということですか?」
「馬鹿を言うな、十三歳だって十分子供だろう」
距離を取るように立ち上がり、反対側の座席に避難されてしまった。
アルノは極めて常識的で、成人していない私の求婚を受けることは決してない。アルノの注意が別の人に移ってしまわないなら、今はそれで構わない。
「わかっている。お前はシュロ国に帰りたくないのだろう? 別に私と結婚しなくても、ここに残るための必要な庇護は与える。そのうち、ちゃんと安全な嫁ぎ先も考えるから、心配するな」
「安全な嫁ぎ先じゃなくて、アルノがいいんですのに……」
「その他のことなら、何でも叶えてやるから、聞き分けのないことを言うな――」
私がしょんぼりした顔をつくったのが良かったのか、アルノの語調が優しくなった。
視線だけを上げて、困り顔のアルノを見上げれば、深くため息をつかれる。
さて、頃合いだ。
「――では、私が、学年で一位を取ったら、お願いをきいてくれます?」
「……お前の成績は落第ではないが、中の下だろう?」
「なんで知っているんですの?」
「私の仕事の手伝いをさせているんだ、成績の把握くらいはする。やめておいた方がいいんじゃないのか?」
そう言うと思っていた。
確かに私の成績は褒められるほどではない。留学生ということもあり、共通の語学以外はぼんやりだ。
私はうんと子供らしく見えるように、拗ねたしぐさで足を投げ出して、窓にもたれかる。
「それなら、やっぱりベリル家のワンちゃんに会いたいですわ」
一位などとれるはずのない私の成績を笑って、アルノは眼鏡をかけなおす。
いいのだ、誰が見ても今の成績では、一位など夢のまた夢だ。
「いいだろう、犬と遊ばせてやろう。イオとラルゴも連れてくるといい」
「いいんですの?! 嬉しい! アルノ、大好きです!」
アルノ・ベリルは私が子供だと油断している。
だから少し拗ねたり突飛なことを言ったりすれば、簡単に私の罠にかかるのだ。
狙っていたベリル家へ訪問する約束を取り付けて、私は内心こぶしを振り上げた。
この日から私のアルノ・ベリルと結婚するための計画は少しづつ前進することになる。




