海への野望
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「陛下、これは……正気ですか?」
ハインリヒは、エドヴァルトが広げた地図を見て、顔を青くした。
地図上で赤い印がつけられていたのは――
「ブライテンハーフェン」
エドヴァルトは、冷静に答えた。
「ノルトガルド公国の港湾都市だ」
会議室に集まった貴族たちが、ざわめいた。
「陛下! 我々は今まで、防衛に徹してきたのでは!?」
「攻める? ノルトガルドを?」
「それは……自殺行為です!」
エドヴァルトは、手を上げて静めた。
「諸君、落ち着いてくれ。説明する」
彼は地図上のブライテンハーフェンを指差した。
「この港湾都市は、人口一万。ノルトガルド公国の北の端にある。重要な貿易港だ」
「だからこそ、守りが固いのでは?」
「いや」エドヴァルトは首を振った。「フランツ卿の密偵からの報告によれば、今、この都市は手薄だ」
フランツが補足した。
「ノルトガルド公国は、グラウバルトの内戦に介入する準備をしています。主力軍は南に集結しており、北の守備兵は五百程度です」
「五百……」
「そして」エドヴァルトは続けた。「ブライテンハーフェンを領有していれば、我が国は海に出られる」
部屋が、再び静まり返った。
「海……」
ハインリヒが呟く。
「そうだ」エドヴァルトは立ち上がった。「内陸国であることが、我々の最大の弱点だった。外国からの物資は、すべて陸路。封鎖されれば、干上がる」
「しかし、港があれば――」
「海路で貿易ができる。封鎖を回避できる。そして――」
エドヴァルトは拳を握った。
「経済的に、自立できる」
オズヴァルトが、慎重に尋ねた。
「陛下、仮に奪えたとして……守れますか? ノルトガルドは必ず、奪還に来ます」
「守る」エドヴァルトは即答した。「港湾都市は、海からの補給が可能だ。包囲されても、持ちこたえられる」
「しかし――」
「それに」エドヴァルトは微笑んだ。「これは復讐でもある」
「復讐?」
「ノルトガルドは、かつて我が国を侵略しようとした。ならば――」
彼の目が、鋭く光った。
「代償を払ってもらう」
作戦会議は、深夜まで続いた。
「兵力は?」
「千名。うち、槍兵六百、弩兵二百、騎士十五騎、そして――」
エドヴァルトは、新しい部隊を指差した。
「突撃工兵百」
「突撃工兵?」
「門を破る専門部隊だ。攻城槌、梯子、縄――城攻めに必要な技術を訓練させた」
「陛下……いつの間に」
「三ヶ月前から、密かに訓練していた」
エドヴァルトは地図を見た。
「ブライテンハーフェンまでの距離は、四日間の行軍。奇襲が鍵だ」
「奇襲……可能ですか?」
「可能だ」フランツが答えた。「我々の密偵が、すでに都市内部にいます。決行の夜、内部から門を開ける手はずです」
「内通者がいるのか?」
「いえ」フランツは首を振った。「都市の商人たちです。彼らは、ノルトガルド公の重税に不満を持っている」
エドヴァルトが補足した。
「我々は彼らに、約束した。リヒテンブルクの支配下になれば、税率を半分にする、と」
「商人たちは、それに賭けたのですね」
「そうだ。金は、剣よりも鋭い」
出陣の日。
エドヴァルトは、初めて自ら軍を率いることを宣言した。
「陛下! 危険です!」
ハインリヒが必死に止める。
「王が戦場に出るなど――」
「行く」エドヴァルトは譲らなかった。「兵たちに、命を懸けろと言っておいて、自分は城で安全に過ごすわけにはいかない」
「しかし……」
「それに」エドヴァルトは微笑んだ。「俺は、戦争オタクなんだ。実際に戦場を見たいんだよ」
オズヴァルトが進み出た。
「陛下、ならば私が護衛を」
「頼む、オズヴァルト卿」
千名の軍が、夜陰に紛れて出発した。
行軍は秘密裏に行われ、昼は森に隠れ、夜に移動した。
三日目の夜。
エドヴァルトは、馬上からブライテンハーフェンの灯りを見た。
「あれが……港か」
遠くに見える町の明かり。
そして、その向こうに広がる、暗い海。
(俺の前世では、海は当たり前だった)
(でも、この世界の俺にとっては、初めて見る海だ)
「陛下、感慨深げですね」
フランツが馬を寄せてきた。
「ああ。海を手に入れる。それがどれほど重要か――」
エドヴァルトは拳を握った。
「これで、我々の可能性が広がる」
深夜。
リヒテンブルク軍は、都市の門の前に静かに集結していた。
「内部からの合図は?」
「まだです……」
緊張した沈黙。
そして――
門の上で、松明が三回振られた。
「合図だ!」
ギィィィ……
門がゆっくりと開いた。
「突入! 音を立てるな!」
兵士たちが、静かに都市内に流れ込む。
内部で待っていたのは、商人たちだった。
「リヒテンブルク王か?」
「そうだ」エドヴァルトは頷いた。「守備隊は?」
「兵舎は、ここから三百メートル。まだ眠っているはずです」
「案内してくれ」
ブライテンハーフェン守備隊長、オットー・フォン・ノルトリヒトは、悪夢から目覚めた。
いや――悪夢ではなかった。
「隊長! 敵襲です!」
「何!? 誰が!?」
窓の外を見ると、松明を持った大軍が兵舎を包囲していた。
「リヒテンブルク軍です! すでに市内を制圧!」
オットーは信じられない思いだった。
「リヒテンブルク? あの小国が、ここまで!?」
「抵抗しますか!?」
オットーは、状況を判断した。
兵力五百。だが、夜襲で混乱している。
対する敵は、千。しかもすでに市内を制圧している。
「くそっ……」
彼は、苦渋の決断を下した。
「降伏する」
夜明け。
ブライテンハーフェンの城壁の上に、リヒテンブルク王国の旗が掲げられた。
「やった……」
若い兵士が、信じられない様子で呟く。
「俺たち、港を奪ったんだ……」
エドヴァルトは、城壁から港を見下ろしていた。
朝日に照らされた海。
停泊する商船。
波の音。
「美しいな」
オズヴァルトが隣に立った。
「はい。しかし陛下、これからが大変です」
「わかっている」
エドヴァルトは振り返った。
「市民への布告を出す。そして、防衛の準備だ」
正午。
エドヴァルトは、市の広場で市民たちを前に演説した。
「ブライテンハーフェンの民よ!」
彼の声が、広場に響く。
「私は、リヒテンブルク王国のエドヴァルトだ。昨夜、この都市を占領した」
市民たちは、不安と恐怖の表情を浮かべていた。
「諸君は、今、何を恐れているか? 略奪か? 虐殺か?」
エドヴァルトは首を振った。
「それはしない。約束する」
どよめきが広がる。
「我々は、諸君を支配しに来たのではない。解放しに来たのだ」
「解放……?」
「そうだ。ノルトガルド公の重税から、不当な徴兵から、諸君を解放する」
エドヴァルトは宣言した。
「今日から、この都市の税率は半分になる。徴兵は志願制とする。商人たちは、自由に貿易できる」
市民たちが、顔を見合わせた。
「ただし」エドヴァルトは続けた。「ノルトガルドは、必ず奪還に来る。その時――」
彼は、市民たちを見渡した。
「諸君にも、戦ってほしい。自分たちの自由のために」
長い沈黙の後。
一人の老商人が、前に出てきた。
「王よ……本当に、税を半分に?」
「約束する」
「ならば」老商人は膝をついた。「この都市は、貴殿に従います」
次々と、市民たちが膝をついた。
エドヴァルトは、深く頭を下げた。
その日の夕刻。
エドヴァルトは、港の倉庫を調査していた。
「陛下、これを」
フランツが、帳簿を持ってきた。
「この都市の資産目録です」
エドヴァルトは目を通した。
「穀物、塩、鉄……そして、船が二十隻」
「はい。商船が十五隻、漁船が五隻です」
「これで、海路での貿易ができる」
エドヴァルトは窓から、港を見た。
(これが、俺たちの新しい生命線だ)
その時、見張りから報告が入った。
「陛下! 北から、伝令が!」
「何だ?」
「ノルトガルド公国の主力軍が、南から引き返しています! 三日後には、ここに到達するかと!」
エドヴァルトは、予想していたという顔で頷いた。
「人数は?」
「三千です!」
「三千か……」
エドヴァルトは、オズヴァルトとフランツを呼んだ。
「諸君、籠城戦の準備だ」
「はい!」
「市民に協力を求めろ。城壁の補修、食糧の備蓄、井戸の確保――」
エドヴァルトは、次々と指示を出した。
「それと、海からの補給路を確保する。船で、リヒテンブルク本国と連絡を取り続けろ」
「陛下」オズヴァルトが尋ねた。「本当に、守り切れますか?」
「守る」エドヴァルトは断言した。「ここを失えば、全てが終わる。だから――」
彼は、決意を込めて言った。
「何があっても、守り抜く」
その夜。
エドヴァルトは、港の先端に立っていた。
波の音が、静かに響く。
「お兄様」
エリーザベトからの手紙を、伝令が届けていた。
『お兄様、どうか無事で。私は、お兄様を信じています』
エドヴァルトは、手紙を胸に仕舞った。
(守る。この都市を。そして――)
彼は、遠くの水平線を見た。
(この海を、俺たちのものにする)
三日後、ノルトガルド軍三千が到着する。
リヒテンブルク王国史上、初めての攻城戦が始まろうとしていた。
次回もお楽しみに




