外交の刃
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春が深まり、リヒテンブルク王国には束の間の平和が訪れていた。
だが、エドヴァルトは休む暇を自分に与えなかった。
「陛下、またお体を壊されますよ」
侍医のヴィルヘルムが心配そうに言う。
「大丈夫だ。今は倒れるわけにはいかない」
エドヴァルトは、山積みの書類を片付けながら答えた。
戦後処理、負傷兵の治療、武器の補充、そして――外交。
「グラウバルトからの使者が、また来ています」
ハインリヒが報告する。
「三度目か。何の用だ?」
「石炭の採掘技術を早く教えろ、と」
エドヴァルトは舌打ちした。
「約束は一年後だ。それまで待てと伝えろ」
「しかし、同盟国として――」
「同盟国だからこそ、約束は守る」エドヴァルトは冷徹に答えた。「安易に技術を渡せば、我々の価値は下がる」
彼は立ち上がり、窓の外を見た。
「ハインリヒ殿。今の我々が持っている唯一の武器は何だと思う?」
「それは……石炭と鉄の技術?」
「違う」エドヴァルトは首を振った。「『必要とされること』だ」
「必要?」
「そうだ。グラウバルトは、我々を緩衝国として必要としている。ヴェストマルクも、我々の技術を欲しがっている。ノルトガルドも、我々を侮れなくなった」
エドヴァルトは続けた。
「この『必要とされる価値』を維持し続けることが、我々の生存戦略だ」
その日の午後。
エドヴァルトは、密かに商人ギルドのヨハンを呼んだ。
「ヨハン殿。貴殿に、特別な任務を頼みたい」
「何でしょう、陛下?」
「我が国の鉄製品を、密かに外国に売ってほしい」
ヨハンは目を丸くした。
「陛下! しかし、外国との取引は禁止されているのでは?」
「表向きはな」エドヴァルトは微笑んだ。「だが、経済封鎖は徐々に緩んでいる。今なら、抜け道がある」
「どこに売るのですか?」
「ノルトガルドだ」
「ノルトガルド!? 敵国ではないですか!」
「だからこそだ」エドヴァルトは説明した。「ノルトガルドの騎士たちは、質の良い武器を常に求めている。我々の鉄製品なら、高値で売れる」
「しかし……」
「これは戦略だ、ヨハン殿」エドヴァルトは真剣な目で言った。「ノルトガルドの貴族たちが、我が国の鉄に依存するようになれば――彼らは簡単に戦争を仕掛けられなくなる」
ヨハンは、その意味を理解した。
「なるほど……経済的な結びつきを作るのですね」
「そうだ。敵を経済で縛る。それも、一つの戦い方だ」
数週間後。
城に、予想外の来客があった。
「陛下、ヴェストマルク商会のマティアスが、再び謁見を求めております」
「また来たのか」エドヴァルトは苦笑した。「通せ」
謁見の間に現れたマティアスは、以前より低姿勢だった。
「陛下、先日の戦いでは、我が方が非礼を働きました」
「率直だな」
「はい。ゲルハルト伯も、貴国の実力を認めております」
マティアスは、小さな箱を差し出した。
「これは、和解の印として」
箱の中には、高価な宝石が入っていた。
「受け取れない」エドヴァルトは押し返した。「貴殿の主君は、まだ我が国を狙っているはずだ」
「陛下……」マティアスは声を落とした。「率直に申し上げます。伯爵閣下は、貴国との戦争が割に合わないと判断されました」
「ほう?」
「二度の侵攻で、得たものは何もなく、失ったものは多い。ならば――」
マティアスは続けた。
「貿易で利益を得る方が、賢明だと」
エドヴァルトは考えた。
(本音か? それとも罠か?)
「条件は?」
「貴国の鉄製品を、我が商会に優先的に売っていただきたい。価格は、市場の二倍で」
「二倍……」
確かに魅力的な条件だった。
「その代わり」マティアスは続けた。「我が商会は、貴国に必要な物資を優先的に供給します。塩、小麦、布――何でも」
エドヴァルトは、ハインリヒと目配せした。
「検討する。だが――」
彼は鋭い目でマティアスを見た。
「もし裏切れば、二度と取引はしない。それを、ゲルハルト伯に伝えてくれ」
「承知しました」
マティアスが去った後。
ハインリヒが言った。
「陛下、本当に信用できますか?」
「できない」エドヴァルトは即答した。「だが、利用はできる」
「利用?」
「ヴェストマルクは経済的な利益を求めている。ならば、我々がその利益を提供し続ける限り、彼らは戦争を仕掛けにくくなる」
エドヴァルトは地図を見た。
「戦争にも、コストがある。もし貿易で儲かるなら、戦争するより貿易を選ぶ。それが、商人の思考だ」
「なるほど……」
「ただし」エドヴァルトは付け加えた。「完全に信用してはいけない。彼らが利益よりも野心を優先する日が来るかもしれない」
その夜、フランツが密かに報告に来た。
「陛下、密偵からの情報です」
「何だ?」
「グラウバルト王国の内部で、権力闘争が起きているようです」
エドヴァルトは身を乗り出した。
「詳しく」
「カール三世の健康状態が悪化しており、後継者争いが始まっています。第一王子と第二王子が対立しており――」
「宰相ディートリヒの立場は?」
「第一王子派です。ただし、第二王子派も軍部に影響力があり、一触即発の状態です」
エドヴァルトは深く考え込んだ。
(グラウバルトの内紛……これは、チャンスか? それとも危機か?)
「もし内戦が起きれば、グラウバルトは我が国を構っている余裕がなくなる」
「はい。ただし――」フランツは続けた。「どちらが勝っても、我が国への態度が変わる可能性があります」
「わかった。引き続き監視を続けてくれ」
翌日、エドヴァルトは訓練場を訪れた。
オズヴァルトが、新兵の訓練を指揮していた。
「陛下!」
「オズヴァルト卿。新兵の様子は?」
「はい。前回の戦いを見て、志願者が増えました。今や、千名を超えております」
「千名か……」
エドヴァルトは、訓練中の兵士たちを見た。
かつての寄せ集め農民とは、まるで違う。
彼らの目には、誇りと決意があった。
「陛下」一人の若い兵士が、勇気を出して声をかけてきた。
「はい?」
「俺の村、前回の戦いで守られました。だから、今度は俺が守りたいんです」
エドヴァルトは、その兵士の肩を叩いた。
「ありがとう。君のような兵士がいるから、この国は強くなれる」
兵士は感激して、深く頭を下げた。
城の書斎。
エドヴァルトは、エリーザベトと向かい合っていた。
「お兄様、お話があります」
「何だ?」
エリーザベトは、緊張した面持ちで言った。
「私……結婚の話が来ています」
エドヴァルトは、羽根ペンを置いた。
「どこから?」
「グラウバルト王国の、第二王子からです」
「ルートヴィヒ王子か……」
エドヴァルトは考えた。
第二王子ルートヴィヒは、軍部に支持される勇猛な王子だ。
もし彼がリヒテンブルクの王女と結婚すれば――
(政治的な意図が見え見えだ)
「エリーザベト、お前はどう思う?」
「私は……」エリーザベトは俯いた。「お兄様と、この国のために、役に立ちたいです」
「役に立つ?」
「はい。もし私が結婚すれば、グラウバルトとの同盟が強くなる。それが、この国のためなら――」
「待て」
エドヴァルトは、妹の手を取った。
「お前は、道具じゃない」
「でも……」
「確かに、政略結婚は外交の手段だ。だが――」
エドヴァルトは真剣な目で言った。
「お前が不幸になってまで、この国を守りたいとは思わない」
「お兄様……」
「少なくとも、今は決める必要はない。グラウバルトの内情も不安定だ。焦って決断する必要はない」
エリーザベトの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます、お兄様」
その夜。
エドヴァルトは、一人で考えていた。
(エリーザベトの結婚……いずれは、考えなければならない問題だ)
(だが、それを外交カードとして使うべきか?)
彼は頭を抱えた。
前世の知識は、戦術や技術には役立つ。
だが、妹の人生を決める判断には――
(俺は、冷徹な王になりきれていない)
その時、ノックの音がした。
「入れ」
フランツが入ってきた。
「陛下、眠れませんか?」
「ああ。考えることが多くてな」
「エリーザベト様のことですか?」
エドヴァルトは頷いた。
「俺は、王として正しい判断ができているのか、わからなくなる時がある」
「陛下」フランツは言った。「完璧な王など、いません」
「……」
「ただ、最善を尽くそうとする王はいます。陛下は、それです」
エドヴァルトは、苦笑した。
「慰めにもならんな」
「慰めではありません。事実です」
フランツは続けた。
「陛下が、エリーザベト様のことで悩んでいる。それ自体が、陛下が良い王である証拠です」
「そうか……」
「はい。冷徹なだけの王なら、即座に政略結婚を決めるでしょう。でも陛下は、妹を想う兄でもある」
エドヴァルトは、窓の外を見た。
星空が、静かに輝いていた。
「フランツ卿。俺は、この国を守りたい。だが――」
「だが?」
「民も、妹も、みんなを幸せにしたい。欲張りだろうか?」
フランツは笑った。
「欲張りで結構です。その欲張りさが、陛下を突き動かしているのですから」
数日後。
城に、衝撃的な知らせが届いた。
「陛下! グラウバルト王国で、内戦が勃発しました!」
「ついに来たか」
エドヴァルトは、すぐに戦略会議を招集した。
「状況を整理しよう」
ハインリヒが報告する。
「第一王子派と第二王子派が、王都で武力衝突。カール三世は病床にあり、事実上の内戦状態です」
「我が国への影響は?」
「グラウバルトは、しばらく外征どころではないでしょう。ただし――」
「ただし?」
「どちらが勝っても、我が国への態度が変わる可能性があります。特に第二王子が勝てば――」
「軍部主導の、拡張政策に転じる可能性があるな」
エドヴァルトは立ち上がった。
「諸君。我々にとって、これはチャンスだ」
「チャンス?」
「グラウバルトが内戦で弱っている今、我々は力をつけることができる。誰にも邪魔されずに」
彼は地図を見た。
「軍備を増強する。経済を強化する。そして――」
エドヴァルトは、決意を込めて言った。
「誰にも支配されない、真の独立国を作る」
部屋に、静かな決意が満ちた。
リヒテンブルク王国の戦いは、まだ終わらない。
むしろ、これからが本番だった。
次回もお楽しみに




