冬将軍
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冬が近づいていた。
リヒテンブルク王国の森は、徐々に葉を落とし始め、北風が冷たさを増していく。
「陛下、今年の収穫は――」
農務卿マルティン・フォン・アッカーマンが、報告書を手に城を訪れた。
「例年の八割です」
「八割か」エドヴァルトは頷いた。「経済封鎖の影響で、肥料や農具が不足した結果だな」
「はい。来年はさらに厳しくなるかと」
「わかった。備蓄計画を見直そう」
エドヴァルトは、すぐにハインリヒを呼んだ。
「宰相殿。冬の食糧配給を、全体の九割に減らす。王家も同じだ」
「陛下が……ですか?」
「当然だ。王が贅沢をして、民に我慢を強いるわけにはいかない」
ハインリヒは深く頭を下げた。
「かしこまりました」
その日の夕刻。
エドヴァルトは厨房に現れ、料理人たちを驚かせた。
「陛下!? こんな場所に……」
「見せてくれ。王家の食事を」
料理長が、恐る恐る用意された夕食を示した。
ローストした肉、白パン、ワイン、果物――。
「これを、半分にしてくれ」
「半分……ですか?」
「ああ。そして、余った分は兵士たちに回してくれ」
エドヴァルトは続けた。
「これからは、王家も民と同じものを食べる。特別扱いは不要だ」
その噂は、すぐに城下町に広まった。
「王が、自ら食事を減らしたそうだ」
「民と同じものを食べると?」
「本当に……若い王だが、立派なお方だ」
民の間で、エドヴァルトへの信頼が高まっていく。
だが、一部の貴族は不満を漏らした。
「王たるもの、威厳が必要だ。民と同じでは、権威が保てぬ」
老貴族の一人、アルブレヒト・フォン・シュタインベルクがそう言うと――
フランツが反論した。
「アルブレヒト卿。今、必要なのは威厳ではなく、団結です」
「若造が!」
「若造で結構。ですが、陛下の判断は正しい。民が王を信じなければ、この国は内部から崩れます」
アルブレヒトは黙り込んだ。
冬が本格的に到来した。
リヒテンブルク王国は、雪に覆われた。
「陛下、訓練場が……」
オズヴァルトが困惑した顔で報告してきた。
「雪で、訓練ができません」
「問題ない」エドヴァルトは答えた。「冬季訓練に切り替える」
「冬季訓練?」
「雪の中での行軍、寒さへの耐性、冬季野営――これらも、重要な訓練だ」
エドヴァルトは地図を広げた。
「もしヴェストマルクが冬に攻めてきたら? 我々は雪の中で戦える必要がある」
「なるほど……」
「それに」エドヴァルトは微笑んだ。「雪は、我々の味方にもなる」
「味方?」
「ああ。雪の中では、大軍の移動は困難だ。補給も難しくなる。つまり――」
彼は北の方角を指差した。
「ノルトガルドのような大国ほど、冬は動きにくい」
その予想は、的中した。
フランツの密偵から、報告が入る。
「ノルトガルド公国、今冬の軍事行動を断念」
「ヴェストマルク伯領、雪のため大規模な部隊移動が困難」
エドヴァルトは安堵のため息をついた。
「冬の間は、安全か」
「はい。ただし――」フランツは続けた。「春になれば、すぐに動くでしょう」
「わかっている。だから、この冬の間に、できる限りの準備をする」
冬の訓練は、過酷だった。
兵士たちは、雪の中を行軍し、凍える夜を耐え、限られた食糧で野営をこなした。
「くそっ……寒い……」
若い兵士が震えながら呟く。
「弱音を吐くな!」
だが、叱ったのはオズヴァルトではなく――
隣にいた古参兵だった。
「俺たちは、この国を守る兵士だぞ。これくらいで音を上げてどうする」
「すみません……」
「いいか。陛下は、俺たち農民を信じてくれた。だから、俺たちも応えるんだ」
若い兵士は、震える手で槍を握り直した。
城の鍛冶場。
グスタフは、冬の間も休まず働いていた。
「グスタフ殿、無理をしないでくれ」
エドヴァルトが心配すると、老職人は笑った。
「陛下こそ、毎日遅くまで働いておられる。この老いぼれが休んでいられますか」
彼は、新しく完成した剣を掲げた。
「見てください、陛下。石炭のおかげで、さらに質が上がりました」
エドヴァルトは剣を受け取り、刃を確認した。
均一で、美しい刃紋。適度な重さと、完璧なバランス。
「素晴らしい」
「冬の間に、五百本作ります」グスタフは誓った。「春までに、全ての兵に新しい剣を」
「ありがとう」
エドヴァルトは、深く頭を下げた。
ある雪の日。
エドヴァルトは、エリーザベトとともに城下町を訪れた。
「お兄様、寒いですね」
「ああ。だが、民はもっと寒い中で生活している」
二人は、簡素な外套を羽織り、顔を隠して町を歩いた。
町の様子は――予想よりも、活気があった。
「新鮮な塩! 国産の塩だよ!」
「鉄の鍋! 丈夫で長持ち!」
「木炭より燃える! 黒き石、売ります!」
商人たちが、国産品を売り歩いている。
「お兄様……」エリーザベトが驚いた声を出した。「みんな、笑っていますね」
「ああ」
確かに、人々の顔には笑顔があった。
「外から物が来なくても、俺たちで作れるってわかったんだ」
老婆が、隣の女性に話していた。
「若い王様が、道を示してくれたからね」
「そうだね。この冬を越せば、きっと春には――」
エドヴァルトは、静かに微笑んだ。
(民が、自信を持ち始めている)
その夜、城に戻ると――
緊急の報せが待っていた。
「陛下! 東のグラウバルト王国から、使者が!」
エドヴァルトの表情が、一気に引き締まった。
(ついに、来たか)
「通せ」
謁見の間。
現れたのは、五十代の、威厳ある騎士だった。
「リヒテンブルク王に謁見を賜り、光栄です。私は、グラウバルト王国宰相、ディートリヒ・フォン・グラウバルトと申します」
「よく来られた」エドヴァルトは答えた。「用件を伺おう」
「単刀直入に申し上げます」ディートリヒは真剣な表情で言った。「我が王、カール三世陛下は、貴国との同盟を望んでおられます」
謁見の間が、静まり返った。
「同盟……?」
「はい。グラウバルト王国とリヒテンブルク王国の、軍事同盟です」
エドヴァルトは、内心で警戒した。
(罠か? それとも――)
「理由を聞かせてほしい。大国であるグラウバルトが、なぜ我が小国と?」
ディートリヒは、周囲を見回した。
「……お差し支えなければ、密談を」
エドヴァルトは、部屋を空けさせた。
残ったのは、エドヴァルト、ハインリヒ、そしてディートリヒのみ。
「実は」ディートリヒは声を落とした。「我が国は、ヴェストマルク伯領の拡大を懸念しております」
「ヴェストマルクを?」
「はい。ゲルハルト伯は、この十年で領土を倍にしました。経済力で周辺の小領主を従属させ、実質的な帝国を築きつつあります」
ディートリヒは地図を広げた。
「もし、リヒテンブルクがヴェストマルクに併合されれば――ヴェストマルクは我が国と直接国境を接することになります」
「それを避けたい、と」
「その通りです」ディートリヒは頷いた。「リヒテンブルクには、緩衝国として存続してほしい」
エドヴァルトは考えた。
(利用されようとしているのか? それとも、これはチャンスか?)
「条件は?」
「我が国は、リヒテンブルクに軍事援助を提供します。ヴェストマルクが侵攻した場合、我が軍を派遣します」
「見返りは?」
「リヒテンブルクは、グラウバルトの友好国として、我が国を攻撃しないこと。そして――」
ディートリヒは、エドヴァルトを見据えた。
「貴国が持つ、石炭と鉄の技術を、我が国と共有すること」
(やはり、それが狙いか)
エドヴァルトは即座に答えなかった。
「検討させてくれ。一週間の猶予を」
「わかりました」ディートリヒは立ち上がった。「ただし――春が来る前に、決断をお願いします」
ディートリヒが去った後。
ハインリヒが言った。
「陛下……これは、好機では?」
「いや」エドヴァルトは首を振った。「好機であり、罠でもある」
「罠?」
「グラウバルトの援助を受ければ、我々は彼らに依存することになる。そして技術を渡せば――」
エドヴァルトは窓の外を見た。
「やがて、我が国の唯一の優位性が失われる」
「では、断るのですか?」
「いや、それも危険だ」
エドヴァルトは頭を抱えた。
「断れば、グラウバルトを敵に回すかもしれない。受け入れれば、従属国になるかもしれない」
彼は深く考え込んだ。
その夜、エドヴァルトはフランツを呼んだ。
「グラウバルト王国について、もっと詳しく調べてくれ」
「何を?」
「全てだ。王の性格、宰相の思惑、軍の実力、そして――」
エドヴァルトは真剣な目で言った。
「本当に、ヴェストマルクを警戒しているのか? それとも、別の意図があるのか?」
「承知しました」
フランツが去った後、エドヴァルトは一人、地図を見つめた。
リヒテンブルクは、三つの大国に囲まれている。
北のノルトガルド。
西のヴェストマルク。
東のグラウバルト。
(どれも信用できない)
(だが――)
彼は拳を握った。
(利用できるものは、利用する)
(それが、小国の生き残る道だ)
一週間後。
エドヴァルトは、決断を下した。
ディートリヒを再び謁見の間に呼ぶ。
「宰相殿。我が国は、グラウバルト王国との同盟を――」
エドヴァルトは、深く息を吸った。
「条件付きで、受諾する」
ディートリヒの目が、わずかに光った。
「条件とは?」
「技術の共有は、段階的に行う。まず一年間は、石炭の採掘方法のみ。鉄の製錬技術は、その後、我が国の安全が確保された後に」
「……」
「そして、グラウバルトの軍事援助は、具体的な条約として文書化する。いつ、どれだけの兵を、どのような条件で派遣するのか、明記してほしい」
エドヴァルトは続けた。
「曖昧な約束ではなく、明確な条約を」
ディートリヒは、長い沈黙の後――
笑った。
「なるほど。噂通り、貴殿は只者ではない」
「噂?」
「リヒテンブルクの若き王は、戦争の天才だと。ノルトガルドを退けたのは、運ではなく実力だと」
ディートリヒは手を差し出した。
「良いでしょう。貴殿の条件を受け入れます」
二人は、固く握手を交わした。
その夜。
エドヴァルトはハインリヒに言った。
「宰相殿。グラウバルトを、信用してはいけない」
「しかし、同盟を――」
「同盟は道具だ」エドヴァルトは冷徹に言った。「相手も我々を道具として見ている。それを忘れてはいけない」
「では……」
「利用する。利用されながら、利用する。それが、小国の外交だ」
エドヴァルトは、窓の外の雪景色を見た。
春は、すぐそこまで来ている。
そして、春とともに――戦争の季節がやってくる。
「準備を急ごう」
彼は呟いた。
「時間は、もう残されていない」
次回もお楽しみに




