塩と鉄と民の力
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「陛下、シュヴァルツバッハ谷の調査結果が出ました」
フランツが、分厚い報告書を持ってきた。
エドヴァルトはそれを受け取り、素早く目を通した。
「塩泉……三箇所か。悪くない」
「ただし、採取には設備が必要で、すぐには――」
「すぐに作る」エドヴァルトは報告書を閉じた。「グスタフ殿を呼んでくれ。それと、木工職人も」
三日後。
シュヴァルツバッハ谷には、簡易的な塩の煮詰め小屋が建てられていた。
「陛下、このような原始的な方法で、本当に……」
商人ギルドの代表、ヨハン・クラウゼが不安そうに見ている。
「原始的で結構」エドヴァルトは答えた。「重要なのは、外部に依存しないことだ」
巨大な鉄釜に、塩泉の水が注がれる。
石炭で火を焚き、水を蒸発させる。
やがて、白い結晶が現れ始めた。
「塩だ……」
ヨハンが驚嘆の声を上げる。
「こんなに簡単に?」
「簡単じゃない。手間はかかる」エドヴァルトは訂正した。「だが、できる。それが重要なんだ」
彼は作業員たちに指示を出した。
「煮詰めた後、不純物を取り除け。丁寧にやれば、質の良い塩が取れる」
同じ頃、王都の郊外では――
「よし、もう一度! 槍を構えろ!」
オズヴァルトの怒号が響く。
訓練場には、新たに二百名の兵が加わっていた。経済封鎖で仕事を失った若者たちが、兵士になることを志願したのだ。
「陛下が言っていた。『兵士には、給金と土地を与える』と」
若い農民が、槍を握りしめながら呟く。
「ならば、俺たちも戦おう。この国のために」
オズヴァルトは、彼らの表情を見た。
三ヶ月前とは、明らかに違う。
恐怖や不安ではなく、決意がある。
(陛下の言う通りだった)
オズヴァルトは思った。
(民が国を信じれば、国は強くなる)
城の書斎。
エドヴァルトは、フランツと密談していた。
「密偵たちの報告をまとめてくれ」
「はい」フランツは数枚の羊皮紙を広げた。「まず、ヴェストマルクですが――」
「ゲルハルト伯は、周辺領主と会談を重ねている。我が国を包囲する同盟を作ろうとしている」
「予想通りか」
「次に、ノルトガルド公国。前回の失敗で、公は面目を失っています。内部では、再侵攻を求める声も」
「すぐには動かないだろうが、油断はできないな」
「そして――」フランツは声を落とした。「東のグラウバルト王国ですが」
「何か動きが?」
「いえ、逆に……静かすぎます」
エドヴァルトは眉をひそめた。
グラウバルト王国。
三国の中で最大の勢力。騎士一千、歩兵三万を擁する大国。
(静かなのは、不気味だ)
「引き続き監視を続けろ。グラウバルトが動けば、全てが変わる」
「承知しました」
数週間後。
城の中庭に、奇妙な装置が並べられた。
「これが……弩?」
フランツが、木と金属で作られた武器を手に取った。
「ああ」エドヴァルトは頷いた。「試作品だ。試射してみてくれ」
フランツは、グスタフから説明を受けながら、弩を構えた。
引き金を引くと――
ボルト(短い矢)が、鋭い音を立てて飛んだ。
三十メートル先の藁人形に、深々と突き刺さる。
「これは……!」
フランツの目が輝いた。
「弓よりも強力で、しかも訓練がほとんど要らない!」
「その通り」エドヴァルトは満足そうに頷いた。「弓兵を育てるには年単位の訓練が必要だが、弩なら一週間で使える」
「これなら、農民でも……」
「騎士を倒せる」エドヴァルトは言い切った。「距離さえ取れば、弩のボルトは鎧を貫通する」
グスタフが補足した。
「ただし、陛下。問題もあります」
「言ってくれ」
「再装填に時間がかかります。連射はできません」
「わかっている」エドヴァルトは答えた。「だから、戦術で補う」
彼は図を描いた。
「前列に槍兵、後列に弩兵。弩兵が射撃している間、槍兵が敵を防ぐ。弩兵が再装填している間も、槍兵が時間を稼ぐ」
「なるほど……完璧な連携だ」
「完璧じゃない。訓練次第だ」エドヴァルトは訓練場を見た。「オズヴァルト卿、新しい訓練メニューを組んでもらえるか?」
「御意」
老騎士は、珍しく笑顔を見せた。
「陛下と戦争を考えるのは、面白い」
その夜。
エドヴァルトは、エリーザベトと夕食を取っていた。
「お兄様、最近忙しそうですね」
「ああ、やることが多くてな」
「でも……」エリーザベトは心配そうに言った。「お兄様、痩せました」
「そうか?」
エドヴァルトは自分の手を見た。
確かに、以前より細くなっている気がする。
「無理をしないでください」
「無理はしていないさ。ただ――」
彼は窓の外を見た。
「時間がないんだ」
「時間?」
「ヴェストマルクが動くまで、あと四ヶ月。その間にできることを、全部やらないといけない」
エリーザベトは、兄の横顔を見つめた。
「お兄様……私にも、何かできることはありませんか?」
「え?」
「私、何もできなくて……いつもお兄様に守られてばかりで」
エドヴァルトは、妹の頭を撫でた。
「エリーザベト。お前には、お前の役割がある」
「私の役割?」
「そうだ。お前は――」
エドヴァルトは微笑んだ。
「この国の希望だ」
「希望……?」
「民は、王だけを見ているわけじゃない。王家全体を見ている。そして、お前のような優しい王女がいることが、民の心を支えている」
エリーザベトは目を丸くした。
「私が……?」
「ああ。だから、お前はお前のままでいてくれ。それが、一番の助けだ」
翌朝。
緊急の報せが入った。
「陛下! 西の国境付近に、武装集団が!」
「武装集団?」エドヴァルトは眉をひそめた。「どこの?」
「旗印から、ヴェストマルクの傭兵と思われます! 数は……二百ほど!」
「侵攻か?」
「いえ、それが……国境を越えず、ただ陣を張っているだけで」
エドヴァルトは、すぐに理解した。
(威圧か)
「フランツ卿、オズヴァルト卿を呼べ」
二人が到着すると、エドヴァルトは命じた。
「西の国境に、我が軍の半数を展開させろ。ただし――」
彼は強調した。
「絶対に先に手を出すな。向こうが国境を越えない限り、こちらも動くな」
「しかし陛下、挑発されているのでは?」
「だからこそだ」エドヴァルトは答えた。「向こうは、我々に先に手を出させたいんだ。そうすれば、『リヒテンブルクが侵略した』という口実ができる」
「なるほど……」
「我々は、守るだけだ。攻めはしない」
西の国境。
リヒテンブルク軍三百と、ヴェストマルク傭兵二百が、国境を挟んで対峙していた。
傭兵たちは、時折叫び声を上げたり、武器を打ち鳴らしたりして、威嚇してくる。
だが、リヒテンブルク兵は動じなかった。
「構えろ! だが、動くな!」
オズヴァルトの命令が響く。
兵士たちは、整然と槍を構えたまま、微動だにしなかった。
(この三ヶ月の訓練は、伊達じゃない)
オズヴァルトは、誇らしげに兵士たちを見た。
彼らはもはや、烏合の衆ではなかった。
訓練され、統制された、真の兵士だった。
三日間、睨み合いが続いた。
そして、ヴェストマルク傭兵は撤退した。
「勝った……?」
若い兵士が呟く。
「いや」オズヴァルトは首を振った。「これは序章だ」
王都に戻ったオズヴァルトは、エドヴァルトに報告した。
「陛下、兵たちは見事でした。三日間、一人も列を乱しませんでした」
「よくやってくれた」エドヴァルトは頷いた。「だが、これで終わりじゃない」
「わかっております」
「ヴェストマルクは、次の手を打ってくる」
その時、ハインリヒが駆け込んできた。
「陛下! 南の商人たちから、連名で嘆願書が!」
「内容は?」
「経済封鎖の影響で、商売が成り立たない。ヴェストマルクとの関係を修復してほしい、と」
エドヴァルトは、嘆願書を読んだ。
(内部分裂を狙っているな)
「ハインリヒ殿。商人たちを集めてくれ」
翌日、城の広間。
商人たちが集められた。
エドヴァルトは、彼らを前に語った。
「諸君の不安は理解している。商売ができなければ、生活が成り立たない」
商人たちが、期待の目を向ける。
「だが――」
エドヴァルトの声が、鋭くなった。
「ヴェストマルクに屈すれば、我々は永遠に彼らの支配下に置かれる」
「しかし陛下……」
一人の商人が立ち上がった。
「我々は、もう限界です! 在庫は底をつき、借金は膨らみ――」
「わかっている」エドヴァルトは手を上げた。「だから、提案がある」
彼は、リストを示した。
「国内での新しい商いを、始めてほしい」
「国内で?」
「そうだ。塩、鉄製品、木材加工品――外から買っていたものを、国内で作る。そして、それを国内で売買する」
「しかし、それでは規模が……」
「最初は小さいだろう」エドヴァルトは認めた。「だが、自立した経済を作れる。そして――」
彼は微笑んだ。
「いずれ、我が国の製品を外に売る日が来る。その時、諸君は独占的な地位を得られる」
商人たちが、顔を見合わせた。
「陛下……本気で、そんなことが?」
「本気だ。我が国の鉄は、質が良い。塩も、やがて安定供給できる。木材は豊富にある」
エドヴァルトは続けた。
「外部に依存しない国を作る。それが、我々の生き残る道だ」
長い沈黙の後。
ヨハン・クラウゼが立ち上がった。
「陛下……賭けてみましょう。この老いぼれ、陛下についていきます」
次々と、手が上がった。
「私も!」
「我々商人ギルドも、協力します!」
エドヴァルトは、深く頭を下げた。
「感謝する」
その夜。
エドヴァルトは、一人で城の屋上にいた。
「陛下」
フランツが現れた。
「一人で考え事ですか?」
「ああ」エドヴァルトは星空を見上げた。「フランツ卿、俺は正しいことをしているだろうか?」
「陛下?」
「民を巻き込んで、戦いに引きずり込んで……本当に、これで良かったのか」
フランツは、しばらく黙っていた。
「陛下。私は思います」
「何を?」
「民は、巻き込まれたのではなく――自ら選んだのだと」
エドヴァルトは、フランツを見た。
「陛下が与えたのは、希望です。『生き残れる』という希望。『自分たちの力で国を守れる』という希望」
フランツは続けた。
「だから、民は戦っている。陛下のためだけでなく、自分たちのために」
エドヴァルトは、深く息を吸った。
「……そうか」
「はい」
「ありがとう、フランツ卿」
二人は、しばらく無言で星を見ていた。
遠くで、訓練場の松明が揺れている。
夜遅くまで、自主的に訓練をする兵士たちがいる。
(この国は、変わり始めている)
エドヴァルトは思った。
(俺一人の力じゃない。民の力だ)
そして――
(まだ、諦めるには早い)
彼は拳を握りしめた。
ヴェストマルクとの決戦まで、あと三ヶ月。
時間は少ないが、まだ準備できることはある。
戦いは続く。
次回もお楽しみに




