策謀の影
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「陛下、商人ギルドの代表が謁見を求めております」
宰相ハインリヒが、いつになく浮かない顔で報告してきた。
「商人ギルド? 何の用だ?」
「それが……鉄の買い付けを、と」
エドヴァルトは眉を上げた。
「どこの商人だ?」
「ヴェストマルク商会です」
(来たか)
エドヴァルトは内心で舌打ちした。
「通せ」
謁見の間に現れたのは、四十代半ばの、如才なさそうな商人だった。
「リヒテンブルク国王陛下。お初にお目にかかります。私は、ヴェストマルク商会のマティアス・ブラウンと申します」
「よく来られた、マティアス殿」
エドヴァルトは、表面上は友好的に応じた。
「早速だが、用件を聞こう」
「はい。実は、陛下の国で生産されている鉄が、大変質が良いと聞き及びまして」
マティアスは商人特有の、柔らかな笑みを浮かべた。
「ぜひとも、我が商会で買い取らせていただきたく」
「ほう。いくらで?」
「市場価格の、一・五倍で」
エドヴァルトは考えた。
(一・五倍……悪くない条件だ。普通なら飛びつくところだが)
「お断りする」
マティアスの笑みが、わずかに固まった。
「……それは、なぜ?」
「我が国の鉄は、我が国の兵のためのものだ。外部に売るつもりはない」
「しかし陛下、商いは国を豊かにします。それに――」
マティアスは声を落とした。
「ヴェストマルク伯爵閣下も、この取引に大変興味をお持ちです」
(脅しか)
エドヴァルトは冷静に応じた。
「ならば、伯爵閣下にお伝えください。リヒテンブルク王国は、友好的な隣国との貿易には前向きだが、圧力には屈しないと」
「圧力など、とんでもない」
マティアスは手を振ったが、その目は笑っていなかった。
「では、せめて……その鉄を作る技術について、教えていただけませんか? 我々も大変興味がありまして」
「それも、お断りする」
エドヴァルトは立ち上がった。
「マティアス殿。貴殿の訪問には感謝する。だが、今日のところは、これで失礼させていただく」
マティアスは深く礼をしたが、退出する際の表情は険しかった。
謁見の間から人が消えた後。
ハインリヒが不安そうに言った。
「陛下……ヴェストマルクを敵に回すのは、得策では」
「敵に回す? いや、既に敵だ」
エドヴァルトは地図を広げた。
「あの商人は、偵察だ。我が国の技術を探りに来た」
「しかし、鉄を売れば、少なくとも友好関係は――」
「売れば、依存する」エドヴァルトは首を振った。「そして依存すれば、相手に首根っこを掴まれる」
彼は、ヴェストマルクの位置を指差した。
「ゲルハルト伯は狡猾だ。武力ではなく、経済で国を支配する。もし我が国がヴェストマルク商会に鉄を売り始めたら――」
「鉄の価格を操作され、やがては買い叩かれる……」
「その通り。最悪の場合、技術ごと奪われる」
エドヴァルトは窓の外を見た。
「ハインリヒ殿。これから、我が国に商人が増える。鉄を買いたい、技術を学びたい、協力したい――そう言ってくる者が」
「では、どうされますか?」
「全て断る」エドヴァルトは断言した。「石炭と鉄の技術は、我が国の生命線だ。これを外部に漏らせば、我々の優位性は失われる」
その夜。
エドヴァルトは、密かにフランツを呼んだ。
「フランツ卿。貴殿に、新しい任務を与える」
「仰せのままに」
「情報部隊を作ってほしい」
「情報……部隊?」
「そうだ。斥候とは違う。密偵、諜報員――そういったものだ」
エドヴァルトは、小さな袋を差し出した。中には金貨が入っている。
「この金を使って、信頼できる者を集めろ。そして――」
彼は地図上のヴェストマルク、ノルトガルド、そして東のグラウバルト王国を指差した。
「これらの国に、人を送り込め」
「何を調べれば?」
「全てだ。軍の動き、政治の動向、商人の噂話――情報こそが、我々の武器になる」
フランツは頷いた。
「承知しました。ただ……」
「何だ?」
「陛下は、まるで長い戦争を想定しているかのようですね」
エドヴァルトは、苦笑した。
「長い? いや、これは永遠に続く戦いだ」
「永遠?」
「小国が生き残るということは、そういうことだ。大国の圧力、侵略、経済支配――それらと、永遠に戦い続けなければならない」
彼は、フランツの肩に手を置いた。
「だが、勝つ必要はない。負けなければいい。生き残れば、それで十分だ」
翌週。
城の鍛冶場で、新しい試みが始まっていた。
「グスタフ殿、これを見てくれ」
エドヴァルトは、紙に描いた図面を広げた。
「これは……弩?」
「クロスボウだ」エドヴァルトは頷いた。「訓練に時間がかからず、威力がある。農民でも使える遠距離武器だ」
グスタフは図面を眺めた。
「木と金属で作るのですね。できなくはありませんが……」
「問題は?」
「量産には、時間がかかります。それに、弦の素材も――」
「時間はある。弦は、動物の腱か麻のより糸で試してくれ」
エドヴァルトは続けた。
「弩兵部隊を作る。槍兵と組み合わせれば、さらに強力な防御陣形ができる」
(スイス傭兵の戦術を、この世界で再現する)
(槍兵が前線で壁を作り、後方から弩兵が射撃支援)
(騎士の突撃を止め、歩兵を制圧する)
「陛下の考えることは、いつも斬新ですな」
グスタフは感心したように笑った。
「まるで、戦争の専門家のようだ」
「専門家というより――」エドヴァルトは苦笑した。「ただの趣味人だよ」
訓練場。
オズヴァルトが、五百の兵を前に檄を飛ばしていた。
「槍を構えろ! 前列、膝をつけ! 後列、槍を前に!」
兵士たちの動きは、三ヶ月前とは比べものにならないほど、洗練されていた。
「よし! 次は盾の連携だ!」
訓練を見守るエドヴァルトの隣に、妹のエリーザベトが立っていた。
「お兄様」
「ん? どうした、エリーザベト」
十四歳の王女は、不安そうな顔をしていた。
「この兵たち……本当に、戦えるのですか?」
「ああ」
「でも、相手は騎士で、私たちは農民で……」
「エリーザベト」エドヴァルトは妹の頭を撫でた。「騎士が強いのは、一人だからだ。だが、百人の農民が団結すれば、十人の騎士に勝てる」
「本当に?」
「本当だ。大切なのは、個人の強さじゃない。組織の強さだ」
エリーザベトは、訓練中の兵士たちを見つめた。
彼らの多くは、彼女が城下で見かける、普通の若者たちだった。
だが今、彼らは確かに兵士に見えた。
「お兄様は……怖くないのですか?」
「怖い?」
「戦争が。死ぬかもしれないのに」
エドヴァルトは、しばらく黙っていた。
「怖いよ」
彼は正直に答えた。
「俺も、死にたくない。だが――」
彼は訓練場を見た。
「俺が逃げたら、この兵たちはどうなる? この国の民は? お前は?」
「……」
「だから、戦う。怖くても、戦うんだ」
エリーザベトは、兄の横顔を見つめた。
前王である父は、豪放で享楽的な人だった。
だが、この兄は違う。
冷静で、計算高く、そして――誰よりも、この国のことを考えている。
「お兄様なら……きっと、大丈夫ですね」
「ははっ、そう簡単にはいかないさ」
エドヴァルトは苦笑した。
(俺は英雄じゃない。ただの、生き残りたい小心者だ)
(でも――)
彼は拳を握った。
(生き残るためなら、何でもする)
その頃。
ヴェストマルク伯領の城。
ゲルハルト・フォン・ヴェストマルクは、戻ってきたマティアスの報告を聞いていた。
「つまり、あの小僧は取引を拒否したと」
「はい。非常に頑固で」
「ふむ……」
ゲルハルトは、ワイングラスを揺らした。
「面白い。普通の若造なら、金に目が眩むはずだが」
「何か、策があるのかもしれません」
「策か。それとも――」
ゲルハルトは立ち上がり、地図を見た。
「本当に、何か価値のある技術を持っているのか」
「調べましょうか?」
「いや」ゲルハルトは首を振った。「露骨に動けば、警戒される。まずは――」
彼は、狡猾な笑みを浮かべた。
「あの小国を、孤立させよう」
「孤立?」
「そうだ。周辺国に働きかけ、リヒテンブルクとの交易を制限する。金も、物資も、情報も――何も入らないようにする」
「なるほど……経済封鎖ですか」
「その通り。石炭だか何だか知らないが、それがどれほど役に立つか、試してやろう」
ゲルハルトは、ワインを一気に飲み干した。
「小国は所詮、小国だ。どれほど足掻いても、大国の掌の上だ」
数週間後。
リヒテンブルク王国に、異変が起き始めた。
「陛下! 塩の値段が、三倍に跳ね上がりました!」
「小麦の入荷が止まっております!」
「鉄鉱石の商人が、来なくなりました!」
次々と報告が入る。
エドヴァルトは、冷静に分析した。
「経済封鎖か」
「ヴェストマルクの仕業かと」ハインリヒが苦い顔をする。
「周辺の商人たちが、一斉に我が国との取引を停止しました」
「困ったな」
エドヴァルトは、在庫リストを見た。
塩は一ヶ月分。
小麦は二ヶ月分。
鉄鉱石は――幸い、国内で少量採れる鉱山がある。
「まだ持つ。だが、長期化すれば……」
「民が不安がり始めております」
「当然だろうな」
エドヴァルトは立ち上がった。
「ハインリヒ殿。緊急会議を招集してくれ。貴族全員、そして商人ギルド、農民代表も呼べ」
「全員、ですか?」
「そうだ。この危機を乗り越えるには、国全体で動く必要がある」
その夜の会議。
大広間には、身分を超えた人々が集まっていた。
エドヴァルトは、全員を前に語った。
「諸君。我が国は今、経済封鎖を受けている」
ざわめきが広がる。
「だが、これは我々が予想していたことだ」
「予想!?」
貴族の一人が叫んだ。
「陛下、それならなぜ対策を!」
「対策はある」エドヴァルトは答えた。「我々は、自給自足の体制を作る」
「自給自足? そんなことが可能ですか?」
「可能だ」
エドヴァルトは、リストを読み上げた。
「塩は、国内の塩泉から採取できる。小麦は、備蓄を慎重に使いながら、次の収穫まで持たせる。鉄鉱石は――国内の鉱山を拡張する」
「しかし……」
「そして」エドヴァルトは声を張った。「これを機に、我が国は外部に依存しない、強い国になる」
彼は、集まった人々を見渡した。
「困難は、チャンスでもある。この封鎖を耐え抜けば、我々はもう、誰にも脅されない国になる」
長い沈黙の後。
農民代表の老人が、立ち上がった。
「陛下……我々にできることがあれば、何でも申し付けください」
次々と、手が上がった。
「私も!」
「我が家の備蓄を、提供します!」
エドヴァルトは、静かに微笑んだ。
(団結が生まれている)
(これが、小国の強さだ)
会議が終わった後。
フランツが近づいてきた。
「陛下、報告があります」
「何だ?」
「密偵からの情報です。ヴェストマルクは、半年後に我が国への侵攻を計画していると」
エドヴァルトは頷いた。
「予想通りだ。経済封鎖で弱らせてから、武力で叩く」
「どうされますか?」
「半年か……」
エドヴァルトは、星空を見上げた。
「十分だ。半年あれば、もっと強くなれる」
彼の目には、静かな決意が宿っていた。
戦いは、まだ始まったばかりだった。
次回もお楽しみに




