海の向こうから
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大陸平和条約締結から三年後。
リヒテンブルク王国、ブライテンハーフェン港。
異変を最初に察知したのは、沖合を航行していた商船だった。
「陛下! 緊急報告です!」
真夜中、エドヴァルト王(三十四歳)は、急報で叩き起こされた。
「何事だ?」
「東方海域で、我が商船団が――未知の艦隊に襲撃されました!」
エドヴァルトは、すぐに服を着て執務室に向かった。
そこには、すでにフランツ提督(三十五歳)が待っていた。
「詳細を」
「商船『オーシャン号』からの報告です」
フランツは、震える手で報告書を読み上げた。
「昨日の夕刻、東方三百海里の海域で、巨大な艦隊と遭遇。旗も紋章も見たことのないもの」
「艦隊は、警告なしに砲撃を開始。商船五隻のうち、三隻が撃沈されました」
エドヴァルトは、地図を広げた。
「東方……大陸の外か」
「はい。報告によれば、その艦隊は――戦列艦で構成されていたと」
「戦列艦?」
エドヴァルトは、驚いた。
戦列艦は、この大陸ではリヒテンブルクとハプスブルクしか保有していない、最新鋭の軍艦だ。
三層甲板に大砲を配置した、巨大な戦闘艦。
「我々と同等の技術を持つ国が、大陸の外に……?」
「それだけではありません」
フランツは、別の報告を示した。
「生き残った商船の報告によれば――艦隊の規模は、少なくとも百隻以上」
部屋が、静まり返った。
「百隻……」
リヒテンブルク海軍の戦列艦は、現在八十隻。
ハプスブルク帝国海軍を合わせても、百二十隻。
「すぐに、大陸平和委員会を招集しろ」
「はい」
「それと――」
エドヴァルトは、窓の外の暗い海を見た。
「全艦隊に、出撃準備を命じる」
翌朝。
大陸平和委員会の緊急会議が開かれた。
各国代表が、緊迫した面持ちで集まっている。
エドヴァルトが、状況を説明した。
「東方海域に、未知の艦隊が出現した」
「規模は百隻以上、装備は我々と同等、そして――」
彼は、深刻な表情で続けた。
「明らかに、敵対的だ」
ハプスブルク帝国代表が、立ち上がった。
「我が帝国も、昨夜、東方の植民地から同様の報告を受けました」
「三つの港が、艦隊に襲撃され――壊滅しました」
会場が、ざわめいた。
「これは、侵略だ」
グラウバルト王国代表が、言った。
「大陸への、侵略戦争だ」
エドヴァルトは、頷いた。
「その通りです。そして――」
彼は、地図を広げた。
「この艦隊の進路から推測すると、目標は――ブライテンハーフェンです」
「なぜ、そう?」
「ここが、大陸最大の港だからです。ここを制圧すれば、大陸への足がかりになる」
エドヴァルトは、決断を告げた。
「我が国の艦隊で、迎撃します」
「しかし、リヒテンブルク艦隊だけでは――」
「わかっています。だから――」
エドヴァルトは、各国代表を見渡した。
「協力を要請します。大陸平和条約、第六条『共通の敵に対しては、全締約国が協力する』」
ハプスブルク代表が、即座に答えた。
「我が帝国海軍、東方艦隊四十隻を派遣します」
グラウバルト代表も続いた。
「我が国も、二十隻を」
南方諸都市同盟代表も立ち上がった。
「我々も、二十隻を提供します」
エドヴァルトは、深く頭を下げた。
「感謝します」
三日後。
ブライテンハーフェン港に、大陸連合艦隊が集結した。
リヒテンブルク艦隊:八十隻
ハプスブルク艦隊:四十隻
グラウバルト艦隊:二十隻
諸都市同盟艦隊:二十隻
合計:百六十隻
旗艦は、リヒテンブルク海軍の誇り――
戦列艦『不屈』
全長七十メートル、三層甲板に大砲百門を搭載した巨艦。
その艦橋に、エドヴァルトは立っていた。
黒い軍服に身を包み、剣を腰に下げている。
「陛下、本当に陛下自らが?」
フランツ提督が、心配そうに尋ねた。
「ああ」
エドヴァルトは、海を見つめた。
「これは、大陸の命運を賭けた戦いだ。王が後方にいるわけにはいかない」
「しかし、もし陛下に何かあれば――」
「だから、勝つ」
エドヴァルトは、微笑んだ。
「負けるつもりはない」
出港の前。
エドヴァルトは、家族に別れを告げた。
マリア王妃は、涙をこらえていた。
「必ず、帰ってきてください」
「約束する」
エドヴァルトは、妻を抱きしめた。
そして、息子フリードリヒ(十歳)と娘ソフィア(五歳)を見た。
「フリードリヒ」
「はい、父上」
「もし、俺が帰ってこなかったら――」
「父上!」
フリードリヒが、涙声で叫んだ。
「そんなこと言わないで!」
「いや、聞け」
エドヴァルトは、息子の肩を掴んだ。
「もし俺が帰ってこなかったら、お前が王だ」
「ハインリヒ殿とフランツ提督が、お前を支える」
「母上と、ソフィアを守れ」
フリードリヒは、涙を拭いて頷いた。
「わかりました……でも、父上は必ず帰ってくる!」
「ああ」
エドヴァルトは、息子の頭を撫でた。
「必ず、帰る」
出港。
百六十隻の大艦隊が、ブライテンハーフェン港を出た。
港には、数万の民衆が集まり、見送っている。
「王陛下、万歳!」
「大陸を守ってください!」
エドヴァルトは、艦橋から手を振った。
そして――
艦隊は、東へ向かった。
出港から二日後。
東方海域。
「敵艦隊、発見!」
見張りの声が響いた。
エドヴァルトは、望遠鏡を手に取った。
水平線の向こうに――
無数の帆が見える。
百、二百……いや、もっとだ。
「数を数えろ!」
「はい……百五十、百六十……」
見張りが、必死に数える。
「百九十隻です!」
エドヴァルトは、息を呑んだ。
(百九十……予想より多い)
「陛下、どうされますか?」
フランツが、緊張した顔で尋ねた。
エドヴァルトは、冷静に答えた。
「戦う。他に選択肢はない」
彼は、艦隊に信号旗を掲げさせた。
『全艦、戦闘隊形』
百六十隻が、一列に並ぶ。
これが、戦列艦の戦い方――
戦列を組み、側面砲で撃ち合う。
敵艦隊も、同じ隊形を取った。
百九十隻が、長い列を作る。
両艦隊の距離が、徐々に縮まる。
二千メートル。
千五百メートル。
千メートル。
エドヴァルトは、剣を抜いた。
「全艦に告ぐ!」
彼の声が、伝声管を通じて艦内に響く。
「この戦いは、大陸の命運を賭けた戦いだ!」
「我々の後ろには、家族がいる! 故郷がいる!」
「一歩も引くな! 最後の一隻まで戦え!」
「おおおおお!」
艦内から、雄叫びが響いた。
距離、五百メートル。
敵艦隊から、最初の砲撃が来た。
ドドドドドォォォン!!!
無数の砲弾が、海面を叩く。
水柱が、次々と上がる。
一発が、『不屈』の船体を掠めた。
木材が飛び散る。
「損傷軽微!」
「まだだ……もっと引きつける……」
エドヴァルトは、冷静に命令した。
距離、三百メートル。
「全艦、砲撃開始!」
ドドドドドドドォォォォォン!!!
百六十隻の戦列艦が、一斉に火を吹いた。
総計一万門以上の大砲が、轟音とともに発射される。
海が、揺れた。
空が、硝煙で覆われた。
敵艦の帆柱が折れる。
船体に穴が開く。
だが、敵も反撃してくる。
ドドドドドォォォン!
『不屈』の左舷に、砲弾が命中した。
ガシャァン!
甲板が砕け、大砲が吹き飛ぶ。
「左舷第三砲、破損!」
「火災発生!」
「消火班! 急げ!」
エドヴァルトは、艦橋から戦場全体を見渡した。
(数で劣る……このままでは、消耗戦で負ける)
(ならば――)
「全艦に信号! T字戦法を使う!」
「T字戦法!?」
フランツが、驚いた。
T字戦法――
敵の戦列の先頭を横切り、T字の形を作る。
そうすれば、こちらは全艦で敵の先頭艦を集中砲火できる。
だが、それは――
敵の戦列を横切る間、集中砲火を浴びる危険な作戦だ。
「やる。今しかない」
エドヴァルトは、命令した。
「全艦、左転舵! 敵戦列の先頭を横切れ!」
百六十隻が、一斉に左に旋回した。
敵の戦列の先頭に向かって、突進する。
「来るぞ! 砲撃に耐えろ!」
敵艦隊が、一斉に砲撃してくる。
ドドドドドドドォォォォン!
砲弾の雨。
『不屈』の船体に、次々と命中する。
ガシャン! ガシャン! ガシャン!
「右舷大破!」
「浸水!」
「排水ポンプ、全力で!」
船が、大きく揺れる。
だが――
エドヴァルトは、命令を変えなかった。
「そのまま前進! 敵戦列を横切れ!」
ついに――
リヒテンブルク艦隊の先頭艦が、敵戦列の先頭を横切った。
T字の形が、完成する。
「全艦、右転舵! 敵先頭艦を集中砲撃!」
百六十隻が、一斉に右に旋回し――
敵の先頭艦に、全砲門を向けた。
「撃て!」
ドドドドドドドドドォォォォォォン!!!
一万門以上の大砲が、一隻の敵艦に集中する。
敵の先頭艦は――
文字通り、粉砕された。
帆柱が全て折れ、船体が真っ二つに割れ――
沈んだ。
「やった!」
「一隻撃沈!」
だが、エドヴァルトは油断しなかった。
「次! 次の敵艦を狙え!」
同じ戦法を繰り返す。
敵の二隻目、三隻目が、次々と沈む。
だが――
リヒテンブルク艦隊も、損害を受けていた。
「『勇敢』、沈没!」
「『雷撃』、大破! 戦列を離脱!」
次々と、味方艦が倒れていく。
エドヴァルトは、歯を食いしばった。
(まだだ……まだ、諦めるな……)
その時――
敵艦隊の旗艦が、動いた。
巨大な戦列艦。
『不屈』よりさらに大きい。
おそらく、敵の総司令官が乗っている。
その艦が――
『不屈』に向かって、真っ直ぐ突進してきた。
「陛下! 敵旗艦が!」
「見えている」
エドヴァルトは、冷静に命令した。
「こちらも、真っ直ぐ行け」
「正面衝突を!?」
「いや」
エドヴァルトは、微笑んだ。
「すれ違いざまに、全砲門を叩き込む」
両艦が、猛スピードで接近する。
五百メートル。
三百メートル。
百メートル。
エドヴァルトは、剣を振り下ろした。
「全砲門、斉射!」
ドドドドドォォォォン!!!
『不屈』の左舷百門が、一斉に火を吹いた。
同時に――
敵旗艦も、全砲門を発射した。
ドドドドドォォォォン!!!
二百門の大砲が、至近距離で撃ち合う。
轟音。
硝煙。
木材が飛び散り、帆が裂け、マストが折れる。
『不屈』の艦橋が、砲弾で吹き飛んだ。
エドヴァルトは、衝撃で甲板に叩きつけられた。
「陛下!」
フランツが、駆け寄る。
「大丈夫か!」
「ああ……」
エドヴァルトは、立ち上がった。
左腕から、血が流れている。
だが、致命傷ではない。
「敵旗艦は!?」
「損傷甚大! 炎上しています!」
見ると、敵旗艦は――
三本のマストが全て折れ、船体から黒煙が上がっている。
「とどめを刺せ!」
リヒテンブルク艦隊の複数の艦が、敵旗艦を集中砲撃した。
ドドドドドォォォン!
敵旗艦は――
ついに、沈んだ。
その瞬間――
敵艦隊の動きが、鈍った。
指揮官を失い、混乱している。
「今だ! 全艦、突撃!」
エドヴァルトは、血まみれの顔で叫んだ。
百六十隻――いや、生き残っているのは百二十隻ほどだが――
一斉に、敵艦隊に突進した。
混乱した敵は、組織的な抵抗ができない。
一隻、また一隻と、沈んでいく。
そして――
ついに、敵艦隊が撤退を始めた。
「逃げるぞ!」
「追うな! 深追いは禁物だ!」
エドヴァルトは、追撃を止めさせた。
戦闘終了。
海面には、無数の残骸が浮かんでいた。
沈んだ敵艦:七十隻
損傷して撤退した敵艦:百二十隻
沈んだ味方艦:四十隻
損傷した味方艦:八十隻
辛勝だった。
エドヴァルトは、ボロボロになった『不屈』の甲板に座り込んだ。
「勝った……のか?」
「はい」
フランツも、疲れ切った顔で座り込んだ。
「勝ちました」
二人は、しばらく無言で海を見ていた。
夕日が、戦場を赤く染めている。
「フランツ」
「はい」
「生き残った敵艦を、追跡しろ」
「どこまで?」
「彼らの本国まで」
エドヴァルトは、立ち上がった。
「敵が誰なのか、何が目的なのか――知らなければならない」
一週間後。
ボロボロになった艦隊が、ブライテンハーフェンに帰港した。
港には、数万の民衆が待っていた。
「帰ってきた!」
「勝ったぞ!」
「王陛下、万歳!」
エドヴァルトは、包帯を巻いた姿で、甲板に立った。
そして――
家族の姿を見つけた。
マリア、フリードリヒ、ソフィア。
「父上!」
フリードリヒが、走ってきた。
エドヴァルトは、息子を抱きしめた。
「ただいま」
「おかえりなさい……!」
その夜、祝宴が開かれた。
だが、エドヴァルトは早々に退席した。
執務室で、一人――
戦死者名簿を書いていた。
四十隻。
一隻あたり、平均三百名の乗員。
つまり――
一万二千名が、海に沈んだ。
エドヴァルトは、一人一人の名前を書き留めた。
涙を流しながら。
(すまない……)
(みんな、すまない……)
だが、彼は知っていた。
これで、終わりではない。
敵は撤退しただけだ。
いずれ、また来るだろう。
もっと大きな艦隊で。
(ならば――)
エドヴァルトは、涙を拭いた。
(準備をする)
(次は、負けない)
窓の外では、月が海を照らしていた。
戦いは、まだ続く。
リヒテンブルク王国の、新しい戦いが――
始まろうとしていた。
次回もお楽しみに




