黒き石と新たな鉄
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「陛下、これは一体……」
宰相ハインリヒは、城の中庭に築かれた奇妙な炉を前に、困惑の表情を浮かべていた。
通常の炉よりも背が高く、煙突のような構造を持つそれは、この世界の鍛冶職人たちが見たこともないものだった。
「溶鉱炉だ」エドヴァルトは図面を手に、職人たちに指示を出していた。「煙突を、もう少し高く。空気の流れが重要なんだ」
「しかし陛下」初老の鍛冶頭、グスタフ・アイゼンハンマーが首を傾げた。「このような炉で、本当に良い鉄が?」
「グスタフ殿、貴殿はこれまで木炭で鉄を作ってきたな」
「はい。先代から受け継いだ技術で」
「木炭の問題は何だ?」
グスタフは渋い顔をした。
「……量です。森の木を伐り、炭を焼き、それでも足りぬ。一つの剣を作るにも、膨大な木炭が必要で」
「その通り。だが――」エドヴァルトは、傍らに積まれた黒い石炭の山を指差した。「これを使えば、その問題は解決する」
「この……不吉な黒石を?」
「不吉なものか。試してみればわかる」
エドヴァルトは自ら石炭を炉に投げ込んだ。
ふいごを操作させ、空気を送り込む。
じわじわと、炉の温度が上がっていく。木炭よりも高温に、そして長時間。
「これは……!」
グスタフの目が輝いた。職人の本能が、この新しい燃料の可能性を感じ取ったのだ。
「陛下、これならば……これならば、もっと多くの鉄を!」
「そうだ。そして質も安定する。温度が一定に保てるからな」
エドヴァルトは微笑んだ。
(産業革命前夜の技術を、中世に持ち込む。これが俺のチート能力だ)
それから二週間。
試作を重ねた末、ついに最初の鉄塊が炉から取り出された。
「見事だ……」
グスタフは、まだ赤熱する鉄の塊を、畏敬の念を込めて見つめた。
「これほど均質で、不純物の少ない鉄は、見たことがありません」
「早速、剣と槍の試作を頼む。そして鎧も。ただし――」エドヴァルトは図面を広げた。「デザインはこれに従ってくれ」
グスタフが図面を見て、眉をひそめた。
「陛下……これは、騎士の鎧としては、あまりに簡素では?」
「騎士のためじゃない。歩兵のためだ」
図面に描かれていたのは、胸部と肩を守る簡易的な鎧、そして兜。全身を覆う騎士の甲冑とは比べものにならないほど、シンプルだった。
「大量生産できることが重要だ。一人の騎士に完璧な鎧を与えるより、百人の歩兵にそこそこの防具を与えるほうが、戦場では強い」
「しかし……」
「グスタフ殿」エドヴァルトは職人の肩に手を置いた。「貴殿の技術を否定しているわけではない。だが、今の我々に必要なのは、芸術品ではなく、戦える兵を増やすための道具なんだ」
グスタフは長い沈黙の後、深く頷いた。
「……わかりました。この老いぼれ、陛下のために働きましょう」
城の訓練場。
オズヴァルト・フォン・ブライテンベルクは、集められた若い農民たちを前に、深いため息をついていた。
「フランツ卿」
「はい、オズヴァルト様」
副官のフランツ・フォン・アドラーが応える。二十三歳の若き騎士で、リヒテンブルクでは数少ない実戦経験者だった。
「これは……本当に軍になるのか?」
「陛下はそうおっしゃいました」
集められた農民たちは、五百名。年齢は十六から三十五まで。大半が痩せており、武器など握ったこともない者ばかり。
「陛下!」
エドヴァルトが訓練場に姿を現すと、農民たちがざわめいた。
王が直接、訓練場に来るなど、前代未聞だったからだ。
「諸君」
エドヴァルトは、台の上に立った。
「私は諸君に、騎士になれとは言わない。だが、兵士になってほしい」
農民たちが顔を見合わせる。
「諸君の多くは、戦争など望んでいないだろう。私もそうだ。だが――」
エドヴァルトは声を張った。
「望む望まざるにかかわらず、戦争は来る。北から、西から、やがては東から。彼らは我々の畑を焼き、家を奪い、家族を連れ去る」
沈黙。
「ならば、戦わねばならない。だが――」エドヴァルトは拳を握った。「無駄死にはさせない。私は諸君を、消耗品としては扱わない」
農民たちの目に、わずかに光が灯る。
「これから三ヶ月、厳しい訓練が待っている。だが、訓練を終えた諸君には、武器を、防具を、そして――給金を約束する」
どよめきが広がった。
「戦う者には、報いる。生き残った者には、土地を与える。それが、私の約束だ」
エドヴァルトは、一人一人の顔を見回した。
「諸君の命を、安売りはしない。だから――私に、諸君の力を貸してほしい」
長い沈黙の後。
一人の若者が、おずおずと手を上げた。
「陛下……本当に、土地を?」
「約束する」
「給金も?」
「月に銀貨三枚。戦闘手当は別途だ」
ざわめきが、大きくなる。
農民にとって、月に銀貨三枚は破格だった。そして土地――自分の土地を持てるということは、夢のような話だった。
「やります!」
最初の一人が声を上げると、次々と手が上がった。
「俺も!」
「私も戦います!」
オズヴァルトは、感心したように呟いた。
「陛下……人心掌握がお上手だ」
「いや」エドヴァルトは小さく笑った。「ただの取引だ。彼らには命を懸ける理由が必要だった。だから、理由を与えただけだ」
訓練は過酷だった。
だが、エドヴァルトの指示は明確だった。
「まず、歩調を揃えろ。全員が同じタイミングで歩く。走る。止まる」
「槍は武器じゃない、壁だと思え。五人、十人で一つの壁を作る」
「盾は自分を守るためだけじゃない。隣の仲間も守る」
フランツが感嘆の声を上げた。
「陛下の戦術は……見たことがありません」
「そうだろうな」エドヴァルトは答えた。「この世界にはまだ、存在しない戦術だから」
彼の頭の中には、前世の知識が渦巻いていた。
ローマ軍団の亀甲陣形。
スイス傭兵のパイク密集方陣。
テルシオの複合編成。
(完全再現は無理だ。だが、エッセンスは盗める)
「重要なのは、個人の強さじゃない。集団としての強さだ」
エドヴァルトは、訓練中の兵士たちを見た。
まだまだ素人同然だが、確実に変わり始めている。
彼らの目に、戦士としての自覚が芽生え始めていた。
ある日の夕刻。
エドヴァルトは城の書斎で、地図と睨めっこをしていた。
「陛下」
ハインリヒが入ってきた。
「北のノルトガルド公国から、使者が」
「ほう。何の用だ?」
「……通行税の値上げを要求してきました。従わねば、武力行使も辞さぬと」
エドヴァルトは冷笑した。
「始まったな」
「陛下?」
「宣戦布告の前段階だ。無理な要求を突きつけて、拒否させる。そして、それを口実に侵攻する」
「では……」
「時間稼ぎをする。使者には、検討すると伝えろ。一ヶ月の猶予を求めろ」
「一ヶ月では、とても……」
「一ヶ月あれば、十分だ」
エドヴァルトは立ち上がった。
「オズヴァルト卿とフランツ卿を呼んでくれ。それと――」
彼は地図上の、ある地点を指差した。
「ここに、罠を仕掛ける」
リヒテンブルク王国北部。
ノルトガルドとの国境に近い、シュタールヴァルトの森。
エドヴァルトは、フランツとともに森を歩いていた。
「ここだ」
彼が指差したのは、森の中を通る街道。幅は狭く、両側を深い森に挟まれている。
「陛下、ここが?」
「ノルトガルド軍が侵攻してくるとすれば、必ずこの道を通る。ここが最短ルートだからな」
エドヴァルトは街道を見渡した。
「ここに、罠を仕掛ける。木を伐り、道を塞ぐ準備をしろ。ただし、今は伐るな。敵が来てから、倒す」
「道を塞いで……それから?」
「待つ」エドヴァルトは微笑んだ。「敵は大軍だ。補給部隊も長い。道を塞がれれば、立ち往生する」
「なるほど……」
「そして、立ち往生した敵に、我々は何もしない」
「え?」
「何もしないんだ。ただ、待つ。敵の食糧が尽きるまで」
フランツは目を見開いた。
「陛下……それは」
「戦争は、剣で勝つとは限らない。飢えでも勝てる」
エドヴァルトは、前世で読んだ無数の戦史を思い出していた。
(会戦で勝つ必要はない。敵を消耗させ、撤退させればいい)
(それが、弱者の戦い方だ)
「フランツ卿。貴殿に、特殊な部隊を編成してもらいたい」
「特殊な?」
「軽装の、機動力のある部隊だ。森を駆け、敵の補給線を襲う。そして――」
エドヴァルトは、冷たい笑みを浮かべた。
「夜に、敵の眠りを妨げる」
王都に戻ったエドヴァルトを、緊急の報せが待っていた。
「陛下! ノルトガルド公国が、我が国に最後通牒を!」
「内容は?」
「一週間以内に、通行税の三倍払い、そして……王女殿下を、人質として差し出せと」
エドヴァルトの妹、十四歳のエリーザベトのことだ。
貴族たちがざわめく。
「無礼な!」
「これは、明らかな侮辱だ!」
「しかし、戦えば……」
エドヴァルトは静かに手を上げた。
「返答を用意する」
彼は羊皮紙を取り、さらさらと文字を綴った。
『リヒテンブルク王国は、貴国の要求を拒否する。
我が国は小国なれど、誇りある独立国である。
脅しには屈しない。
戦を望むならば、受けて立つ。
リヒテンブルク王 エドヴァルト』
「これを、使者に渡せ」
ハインリヒが蒼白になった。
「陛下……これは、宣戦布告と同じです!」
「わかっている」
エドヴァルトは立ち上がった。
「諸君。戦争が始まる。だが――」
彼は、集まった貴族たちを見渡した。
「我々は負けない。勝つ必要もない。ただ、折れないだけだ」
「陛下……」
「準備はできている。あとは、敵を迎え撃つだけだ」
こうして、リヒテンブルク王国最初の試練が、幕を開けようとしていた。
次回もお楽しみに




