決戦への行軍
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出陣の朝は、霧に包まれていた。
王都の大通りに、三千の兵が整列していた。夜明け前の薄暗がりの中、松明の明かりが隊列を照らしている。
エドヴァルトは、黒い鎧に身を包み、愛馬に跨がっていた。鎧は儀礼用の華美なものではなく、実戦用の質実剛健なもの。胸部には厚い鉄板、肩と腕には動きやすさを重視した軽量の防具。グスタフが特別に作った、石炭精錬による高品質な鋼製だ。
「陛下」
オズヴァルトが馬を寄せてきた。彼もまた、歴戦の傷跡が残る古い鎧を身につけている。
「全軍、整列完了しました」
「ありがとう、オズヴァルト卿」
エドヴァルトは、隊列を見渡した。
最前列には、銃兵六百。
火縄銃を肩に担ぎ、腰には火薬入れと弾丸袋を下げている。彼らの多くは、若い農民の息子たちだった。三ヶ月前まで、鍬を握っていた手が、今は銃を握っている。
その後ろには、槍兵一千五百。
五メートルの長槍を直立させ、朝霧の中で槍の穂先が鈍く光っている。彼らは最も訓練を積んだ部隊で、リヒテンブルク軍の中核だった。
さらに後方には、弩兵三百。
弩を背負い、矢筒を腰に下げている。銃兵ほど目新しくはないが、確実性では銃を上回る。雨天時や、より正確な射撃が必要な時に活躍する。
砲兵二百は、野戦砲二十門を牽引していた。
それぞれの大砲は牛二頭に引かれ、砲弾と火薬を積んだ荷車が続く。大砲の車輪が石畳の上でゴロゴロと音を立てていた。
騎兵百は、隊列の左右に配置されていた。
騎士と従騎士たちで、馬のいななきと蹄の音が響く。彼らの鎧は朝露に濡れ、腰の剣が微かに揺れている。
そして最後尾には、補給部隊と予備兵三百。
食糧、水、追加の弾薬、医療器具――戦争に必要なあらゆるものを運ぶ荷車の列が続いていた。
エドヴァルトは、一つ一つの部隊を見た。
どの兵士の顔にも、緊張と決意が浮かんでいた。
「兵士たち!」
エドヴァルトの声が、朝の静寂を破った。
三千の兵が、一斉に王を見た。
「今日、我々は出陣する!」
エドヴァルトの声は、震えていなかった。前世で人前で話すのは得意ではなかったが、この三年間で、王として話すことを学んでいた。
「西の地平線の向こうに、敵が待っている。七千を超える大軍が、我々の国を奪おうとしている!」
兵士たちの表情が、引き締まった。
「だが――恐れることはない!」
エドヴァルトは、拳を掲げた。
「我々には、訓練がある! 規律がある! そして何より――守るべきものがある!」
「諸君の後ろには、家族がいる! 我々が負ければ、彼らは敵の支配下に置かれる!」
「それを、許すか!?」
「許さない!」
三千の声が、一斉に響いた。
「では、行こう! この国を守るために! 未来を守るために!」
エドヴァルトは、剣を抜いて掲げた。
「リヒテンブルクのために!」
「リヒテンブルクのために!」
「エドヴァルト王、万歳!」
「万歳! 万歳! 万歳!」
城の窓から、エリーザベトとハインリヒが出陣を見送っていた。
エリーザベトの目からは、涙が止まらなかった。
「ハインリヒ様……お兄様は、本当に大丈夫でしょうか」
「陛下を信じましょう」
ハインリヒも、不安を隠せていなかった。彼は六十年の人生で多くの戦争を見てきたが、王自らが戦場に立つのは初めてだった。
「でも……」
「エリーザベト様。陛下は、この三年間、ずっと準備をされてきました。戦術を考え、兵を訓練し、武器を作り――」
ハインリヒは、遠ざかっていく軍を見つめた。
「陛下を信じましょう。そして――我々は、ここで我々の仕事をしましょう」
「私たちの仕事……?」
「はい。留守を守ることです。民を安心させ、物資を送り、負傷者を受け入れる準備をする」
エリーザベトは、涙を拭いた。
「わかりました。私も……私にできることをします」
【一日目の行軍】
軍は、西へ向かって進んだ。
道は比較的良好だった。エドヴァルトがこの三年間で整備させた街道が、軍の移動を助けた。
だが、三千の軍と補給部隊が移動するのは、想像以上に大変だった。
「隊列を乱すな! 前の部隊に続け!」
各隊長の声が、絶え間なく響く。
銃兵隊長カールは、部下たちに檄を飛ばしていた。
「銃を大切に扱え! 火薬を湿らせるな! 命より大事だと思え!」
若い銃兵の一人、十八歳のマルティンが、銃を抱えながら歩いていた。彼は農家の次男で、三ヶ月前に志願した。
「なあ、ヨハン」
隣を歩く幼馴染に話しかけた。
「俺たち、本当に戦えるかな」
「大丈夫だ」
ヨハンは、二十歳。マルティンより少し年上で、落ち着いていた。
「訓練、頑張っただろ? 撃ち方も覚えた。怖いのは最初だけだって、隊長が言ってた」
「でも……人を撃つんだぜ」
「撃たなきゃ、俺たちが死ぬ」
ヨハンは、真剣な顔で言った。
「お前の家族のこと、考えろよ。妹、まだ小さいだろ? あの子を守るために、戦うんだ」
マルティンは、黙って頷いた。
故郷に残した家族の顔が、脳裏に浮かんだ。
正午、最初の休憩。
兵士たちは、道端に座り込んで固いパンと塩漬け肉を食べた。
エドヴァルトも馬から降り、兵士たちと同じものを食べた。
「陛下、こんな粗末なもので……」
侍従が心配するが、エドヴァルトは首を振った。
「兵士たちと同じものを食べる。それが、王の責任だ」
彼は、木の切り株に腰を下ろし、固いパンを齧った。
正直、美味しいとは言えなかった。前世で食べていたコンビニのサンドイッチの方が、よほど美味しかった。
だが――
(これを食べて、みんなは戦うんだ)
周りを見ると、兵士たちは黙々と食事をしていた。
中には、笑い合っている者もいる。
「なあ、聞いたか? 王様、俺たちと同じパン食ってるって」
「マジかよ。王様なのに?」
「すげえよな。俺たちと同じ目線でいてくれる」
エドヴァルトは、その会話を聞いて、少し安心した。
(士気は、まだ保たれている)
フランツが、報告に来た。
「陛下、このペースなら、予定通り明日の夕刻にシルバータール付近に到着します」
「敵の動きは?」
「斥候の報告では、ヴェストマルク連合軍は、まだ国境手前。明後日には、シルバータールに到達するかと」
「つまり、我々が一日早く到着できる」
「はい。陣地構築の時間が取れます」
「よし」
エドヴァルトは立ち上がった。
「休憩終了だ。出発する」
午後の行軍は、より厳しかった。
太陽が高く昇り、鎧を着た兵士たちは汗だくになった。
「水……水をくれ……」
若い兵士が、喉の渇きを訴える。
「まだだ! 次の休憩まで我慢しろ!」
隊長が叱るが、彼自身も喉が渇いていた。
エドヴァルトは、補給部隊に命じて、水の配給を少し増やした。
「脱水症状で倒れられては、困る」
「しかし陛下、水の備蓄が――」
「構わない。兵士の命の方が大切だ」
夕刻、最初の野営地。
森の中の開けた場所に、軍は陣を張った。
テントが次々と設営される。
篝火が焚かれ、夕食の準備が始まる。
エドヴァルトは、自分のテントに入る前に、陣地を一周した。
見張りの配置を確認し、兵士たちの様子を見て回る。
「陛下!」
ある銃兵の一団が、エドヴァルトを見つけて敬礼した。
「休んでいるところ、すまない」
「いえ! 陛下が来てくださって、光栄です!」
マルティンが、緊張した顔で言った。
「どうだ、初日の行軍は?」
「き、厳しかったです。でも……大丈夫です!」
「そうか」
エドヴァルトは、微笑んだ。
「君たちの名前は?」
「マルティンです!」
「ヨハンです!」
「マルティン、ヨハン。覚えておこう」
エドヴァルトは、二人の肩を叩いた。
「明後日の戦い、頼むぞ」
「はい!」
二人は、感激した様子で敬礼した。
王が去った後、マルティンは興奮して言った。
「すげえ……王様が、俺たちの名前を覚えてくれた!」
「ああ……俺たち、頑張らないとな」
ヨハンも、決意を新たにしていた。
その夜、エドヴァルトのテント。
地図と報告書が散乱している。
エドヴァルトは、ランプの明かりの下で、明後日の作戦を最終確認していた。
「陛下、休まれないのですか?」
フランツが心配そうに尋ねた。
「まだだ。確認することが多い」
エドヴァルトは、シルバータールの地形図を見ていた。
谷の幅、傾斜、森の位置――すべてを頭に叩き込む。
「フランツ卿」
「はい」
「明日、シルバータールに着いたら、すぐに陣地構築だ」
「どのような陣地を?」
エドヴァルトは、図を描いた。
「谷の入口に、三段階の防御線を作る」
「三段階?」
「第一線――野戦砲の陣地。敵が谷に入る前に、砲撃で混乱させる」
「第二線――銃兵の陣地。谷の中腹で、横隊を組んで連続射撃」
「第三線――槍兵の陣地。谷の最奥で、密集陣形で最後の防御」
フランツは、図を見て唸った。
「縦深防御ですね」
「そうだ。一つの防御線が破られても、次がある。敵を段階的に消耗させる」
「しかし、それだけの陣地を一日で?」
「やるしかない」
エドヴァルトは、フランツを見た。
「一日で作れる範囲で、最善を尽くす」
「承知しました」
フランツが去った後も、エドヴァルトは地図を見続けた。
何度も、何度も、作戦をシミュレートする。
(敵が正面から来たら――こう対処する)
(側面から来たら――予備隊を回す)
(夜襲をかけてきたら――篝火と見張りを増やす)
あらゆる可能性を考え、対策を練る。
だが、どれだけ考えても――
不安は消えなかった。
(本当に、勝てるのか?)
(俺の判断は、正しいのか?)
(三千の命を預かって、戦場に向かっている)
(もし、負けたら――)
エドヴァルトは、頭を振った。
(いや、考えるな。負けることを考えるな)
(勝つことだけを考えろ)
彼は、もう一度、作戦図を見た。
そして――
祈った。
(どうか、みんなを守らせてくれ)
【二日目の朝】
霧はさらに濃くなっていた。
軍は、夜明けとともに出発した。
この日の行軍は、前日より厳しかった。
道が徐々に山道になり、起伏が激しくなる。
大砲を引く牛が、何度も立ち止まった。
「押せ! 全員で押すんだ!」
砲兵たちが、大砲を押し上げる。
汗と泥にまみれながら、一歩一歩進む。
エドヴァルトも、馬から降りて一緒に押した。
「陛下! そんな……!」
「構わん! 早く進まなければ!」
王が率先して働く姿に、兵士たちも奮起した。
「王様が頑張ってるんだ! 俺たちも頑張ろう!」
正午過ぎ、ついに――
「見えた! シルバータールだ!」
斥候が叫んだ。
前方に、谷の入口が見えてきた。
両側を崖に挟まれた、狭い谷。
エドヴァルトは、馬上からそれを見て、深く息を吸った。
(ここで、戦う)
(ここで、勝つ)
「全軍! 陣地構築を開始する!」
兵士たちが、一斉に動き出した。
決戦の地に、リヒテンブルク軍が到着した。
そして――
明日、歴史を変える戦いが始まる。
次回もお楽しみに




