詰んでいる王国
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「陛下、どうか……どうか我らをお見捨てにならぬよう」
玉座の間に響く老臣の声は、懇願というより諦めに近かった。
エドヴァルト・フォン・リヒテンブルクは――いや、前世で田中裕也と名乗っていた男は――重い王冠の重みに首を傾けながら、目の前の光景を冷静に観察していた。
十七歳。即位三日目。
彼が治めるリヒテンブルク王国は、中央大陸の片隅に位置する、地図に載るかどうかも怪しい小国だった。人口はわずか三万。耕作地は痩せ、鉱山もなく、産業と呼べるものは羊毛と木材だけ。
そして――三方を大国に囲まれている。
「宰相殿」エドヴァルトは、白髪の老人に視線を向けた。「率直に聞こう。この国は、いつ滅びる?」
宰相ハインリヒ・フォン・シュタインバッハが息を呑んだ。玉座の間に居並ぶ貴族たちがざわめく。
「陛下……そのような」
「答えたまえ」
エドヴァルトの声には、十七歳の若者らしからぬ冷徹さがあった。それもそのはず。彼の魂は三十五歳の元・会社員で、趣味は戦史研究という筋金入りのオタクだったのだから。
ハインリヒは震える声で答えた。
「……遅くとも、二年以内かと」
「根拠は?」
「北のノルトガルド公国が、来春には侵攻の準備を整えます。西のヴェストマルク伯領も、我が国の森林地帯を狙っております。東の……」
「十分だ」エドヴァルトは手を上げた。「つまり、次の戦争シーズンで終わりということだな」
沈黙。
エドヴァルトは内心で呟いた。
(詰んでる。完全に詰んでる)
前世の知識で状況を整理する。
国力
人口三万(動員可能兵力は三千が限界)
騎士は名ばかりの三十騎
歩兵は農民の寄せ集め、装備は粗末
国庫は空、前王が浪費しきった
貴族は派閥争いに明け暮れ、統制なし
敵国
ノルトガルド公国:騎士五百、歩兵一万
ヴェストマルク伯領:傭兵主体、質は高い
東のグラウバルト王国:最大の脅威、いずれ全てを呑み込む
(普通なら亡命一択だな)
だが、エドヴァルトには逃げ場がなかった。転生した以上、この身体で生きるしかない。そして――
(滅びる国の王として歴史に名前すら残らないのは、オタクとしてプライドが許さない)
「諸君」
エドヴァルトは立ち上がった。玉座から降りて、床に広げられた地図の前に膝をつく。
貴族たちが驚愕する。王が床に膝をつくなど、前代未聞だった。
「この国を守る。いや――守らせてもらう」
エドヴァルトは地図を睨んだ。
「だが、従来のやり方では無理だ。騎士の正面突撃? 野戦での決戦? それは大国の戦い方だ。我々は別の道を行く」
「別の……道?」若い貴族の一人、フランツ・フォン・アドラーが身を乗り出した。彼は数少ない、エドヴァルトに好意的な貴族だった。
「そうだ。フランツ卿、貴殿は狩りがお好きだったな」
「は、はい」
「熊を狩るとき、真正面から剣で斬りかかるか?」
「まさか。罠を仕掛け、疲弊させ、安全な距離から槍で――」
「その通り」エドヴァルトは微笑んだ。「我々は熊だ。いや、熊に囲まれた兎だ。ならば兎は、兎なりの戦い方をする」
即位式の夜。
エドヴァルトは城の書庫に籠もっていた。古文書や地図、税収記録を片っ端から読み漁る。
(まず必要なのは、金だ。金がなければ軍は養えない。軍がなければ守れない)
(次に技術。この世界の技術水準は……十四世紀くらいか。火薬はまだ実用化されていない。製鉄は木炭頼み。つまり鉄は貴重品)
(だが……)
エドヴァルトは一枚の古地図に目を止めた。リヒテンブルク領内を流れるシュヴァルツ川――"黒き川"の名を持つ河川だ。
「なぜ黒い?」
彼は地図の余白に書かれた古い記述を読んだ。
『川岸に黒き石あり。触れれば不吉なりと里人は忌む』
エドヴァルトの心臓が跳ねた。
(黒い石……まさか)
「ハインリヒ殿!」
扉を開けて、驚く宰相を呼び込む。
「陛下、夜も更けておりますが……」
「シュヴァルツ川に案内してくれ。今すぐだ」
「今、ですか!?」
「そうだ。松明を用意しろ。騎士を二名、護衛につけろ」
深夜の川岸。
松明の明かりの中、エドヴァルトは黒い岩の塊を手に取った。
ずっしりと重い。表面は鈍い光沢を持ち、叩けば硬い音がする。
「これは……」
彼は岩の欠片を松明の炎に近づけた。
じゅう、と音を立てて――燃え始めた。
オレンジ色の炎が、通常の木材よりも強く、長く燃え続ける。
「石炭だ」
エドヴァルトは呟いた。
「陛下?」ハインリヒが怪訝な顔をする。
「いや、何でもない。だが……これは使える。大いに使える」
この世界の人々は、石炭を知らない。いや、存在は知っていても、その価値を理解していない。
だが、エドヴァルトは知っている。
石炭による高温精錬。
安定した鉄の大量生産。
木炭に依存しない産業基盤。
「ハインリヒ殿」
「はい」
「明日から、この川の周辺を調査する。そして――炉を作る。新しい種類の炉だ」
「炉、でございますか?」
「鉄を作る。この国の鉄を。質の良い、大量の鉄を」
エドヴァルトは黒い石を握りしめた。
(兵の数じゃない。装備の質と、補給の安定性だ)
(ローマ軍団が世界を制したのは、個々の兵士が強かったからじゃない。兵站と装備の規格化、そして組織的訓練があったからだ)
(ならば――)
彼は立ち上がり、遠くの森を見つめた。
「この国は、まだ死なせない」
翌朝。
エドヴァルトは軍務卿オズヴァルト・フォン・ブライテンベルクを呼び出した。六十を過ぎた歴戦の騎士だが、今や名誉職に近い。
「陛下、お呼びでしょうか」
「オズヴァルト卿。我が国の軍について、率直な評価を聞きたい」
老騎士は苦い顔をした。
「……弱い、としか」
「具体的には?」
「騎士は三十。だが、半数は高齢か病気。まともに戦えるのは十五騎ほど。歩兵は……訓練などしておらぬ農民を、槍を持たせて並べただけ。装備は旧式で、修理もままならず」
「つまり、戦争になれば」
「一週間も持ちますまい」
エドヴァルトは頷いた。
「では、変える」
「陛下?」
「我が国の軍を、根本から作り直す。騎士中心の軍ではなく――歩兵中心の、新しい軍を」
オズヴァルトの目が見開かれた。
「歩兵、中心……? 陛下、それは騎士道に反します! 戦争とは騎士が――」
「騎士が敵騎士と一騎打ちをして、名誉を競う? そんな牧歌的な時代は終わった、オズヴァルト卿」
エドヴァルトは地図を広げた。
「見てくれ。ノルトガルドは騎士五百を擁する。我が国は十五だ。騎士で戦えば、三十三倍の戦力差。勝てるわけがない」
「ですが……」
「だが、歩兵ならどうだ? 訓練され、統制された歩兵の密集陣形は、騎士の突撃を止められる。歴史がそれを証明している」
エドヴァルトは、前世の知識を総動員した。
古代マケドニアのファランクス。
ローマのレギオン。
十四世紀フランドルの民兵が、フランス騎士を打ち破ったコルトレイクの戦い。
(まだこの世界では起きていない戦いだが、原理は同じだ)
「騎士を倒す必要はない。騎士を、突っ込ませなければいい」
エドヴァルトは続けた。
「密集した槍の壁。盾と簡易鎧で防御を固めた歩兵。それが騎士の突撃路を塞ぐ。騎士は迂回するか、撤退するしかない」
「しかし、そのような戦術、前例が……」
「作ればいい。我々が最初だ」
オズヴァルトは押し黙った。
「オズヴァルト卿。貴殿を、新軍の訓練教官に任じる。若い騎士のフランツ卿を副官につける。三ヶ月で、五百の歩兵を育ててほしい」
「三ヶ月で五百……無茶を」
「無茶は承知だ。だが、やらねば滅ぶ。選択肢はない」
エドヴァルトは老騎士の目を見た。
「頼む。この国を、守らせてくれ」
長い沈黙の後、オズヴァルトは深く頭を下げた。
「……御意」
こうして、リヒテンブルク王国の逆転劇が、静かに幕を開けた。
次回もお楽しみに




