第5話 ディストラクションレーシング
その男は、3日前この北欧の地フィンランドにやってきた。
2ヶ月をかけて、徒歩だ。
飛行機の席は2ヶ月先まで空いておらず、公共交通機関を使おうとするといつも運行中止になった。
もちろんしょぼくれた見た目の奇妙なおっさんをヒッチハイクで乗せる者もいなかった。
昔からそうだ。彼の周りにはいつも不幸が渦巻いている。
彼は名をラギーという。
この北欧の地に2つの目的の為を果たすためにやってきた。
そして、そのラギーこそがカヤノを現在捕らえている店主だ。
「はっ! 根性なしだなてめぇ。まあ良い、殺す気も失せたからすぐに解放してやるよ」
殺す気も失せたというのはただの建前。
この女みたいな男は上手く利用できそうだとラギーは考えた。
カヤノを出してやろうとしたその時、スマホがなった。「ジョンソン」からの電話だ。
「ラギーだ、どうした? 今は忙しい、あとで掛け直す…」
ふと後ろを見ると、捕えていたはずのカヤノの姿がない。
なんとカヤノはラギーの張った硬いワイヤーの上を慎重に渡っている。
それを見たラギーは電話先の「ジョンソン」に向かって叫んだ。
「ジョンソンッ! てめぇが電話を掛けたせいで逃げられたじゃねぇかぁ!」
電話先から「すまない」という言葉の先っぽが聞こえそうになった瞬間に電話をブチッと切った。
「殺す…」
ラギーは血相を変えて怒った。
ワイヤーに脚を掛けて登り、芸者が綱渡りをするかのように慣れた感じ追う。
カヤノもワイヤー上での動きに慣れてきてしまい、安定した体制で逃げた。
「殺す…殺す殺す殺すぅぅ!! …あのガキが」
強い執念を持ち、これまでにないほどの全力疾走でカヤノを追いかけた。
――
走りながらだが、カヤノは自分の能力がどんなものか確かめていた。
炎や水を出せるかと思って手をかざしてみたが、特に何もおきなかった。
「となると…何か生み出す感じではないか…………こういうのって他にどんなのがあんだ?」
マルスは「超能力」という言葉を用いて説明していた。
スプーンを曲げる超能力者ならテレビでみたことがあるが、あいにく曲げるスプーンをもっていない。
そんなことを考えているうちに、後方からの殺気が大きく、近づいてきているのを感じた。
運動が好きなカヤノでもこのバランスを維持しながら何メートルも走れる訳がない。
何か手を打たなければいけない。
「ワイヤー…糸…うーん…これならもしかしたら」
その場に立ち止まり、ワイヤーの下にある露店の中から雑貨屋か文房具の店を探した。
運良く文房具屋がありそこのおとなしそうな店主に言った。
「あの〜、そこにある…ハサミ売っていただけません?ちゃんとお金は払うんで」
店主は空中を浮遊する存在から話しかけられ、驚き困惑しながらも、カヤノが出した相応の金を受け取り上等そうなハサミを売ってくれた。
「ありがとございます…」
感謝してハサミを受け取った。
カヤノの一か八かの作戦は、ワイヤーをハサミで切ってラギーを下に落とすというものだ。
しかし上等そうなハサミは、カヤノの触れた瞬間に崩れ去った。
「お、おいこれボロじゃねぇか! 返品しやがれ!」
取り乱し、さっきまでの敬語を忘れて叫んだ。
「えぇ? 返品なんて言われましても…さっきのハサミはかなりの上等品、あなたの使い方なんじゃないんです問題は」
店主は困り果てた。
「はぁ? まだ買って1分も経ってねぇうちに壊れて俺の責任ってのか? こっちは命かかってんだ!」
そう文句を言っている間にもラギーは殺気を持って向かってくる。なんとか妥協し叫ぶ。
「今時間がねぇんだ! この際あんたが人殺しでも構わないから刃物を貸してくれ! このワイヤーを切れるくらいの刃物をぉ!」
店主は困りながらも慌てて何か持ってきた。
「やすりです! もうこんな物しかありませんよぉ! これで磨いとけばいいでしょう! 私はもう知りませんよぉぉ!」
「無茶言うなよお前ぇ! ふざけてんのかぁ!」
カヤノは我慢できずワイヤーとワイヤーの間に手を入れ文房具屋の商品に触れた。
「ほら! これとか切れそうだろ! て、え?」
カヤノの触れた商品が次々とボロボロ崩れ去る。
その光景を目にした店主は怒りと悲しみと困惑の入り混じった声で叫び訴えた。
「ああああ! 器物破損! 器物破損! 三年! 三年掛けて集めた物なのに! このど畜生ぉぉ!!」
カヤノ自身もこれに困惑したがそのうち理解した、これが自分の能力かもしれないという可能性を理解した。
ラギーはもうすぐそこ、やるしかない。汗が視界を覆いそうだ、死の恐怖が向かってくる。
「ガキがぁぁ! 滅多刺しだよ! てめぇはよぉ!」
カヤノはワイヤーを両手で掴み、心の中で叫んだ。
「崩れろ、崩れろぉぉぉぉぉぉ!!!」
数秒経過し、やはり無理かと、たまたまボロをつかまされていただけだと気づきそうになった、そのときのことである。
網状に張っていた結晶のワイヤーが、カヤノの掴んだその場所から中心に崩れ始めたのだ。
カヤノ自身はもちろん、ラギーも、ワイヤーに脚を乗っけて休んでいた鳩も、皆石造りの地面に吸い込まれ衝突した。
砕け散りそうな衝撃に晒された全身を撫でる。
ラギーの方も、元々裸だった上半身の真ん中を怪我したようで、血がダラダラと溢れだしていた。
「破壊、いいや「分解」と考えた方が良いのか? 俺の能力はそんな感じか、まさか本当にワイヤーを一掃できるとは」
ラギーはもう動けない、カヤノはそう思って近づいた。
「お前がなにをしようとしてるのか、俺は知らないが、俺も人を殺せるタイプの人間じゃない。近くに教会とかもあるし…心を入れ替えたりなんか…」
そう言って申し訳程度の更生の導線を作ろうとしたが、心なきラギーには、それは響かぬ。
再び体の皮膚全てを結晶化させ景色に溶け込んだ。
「な、逃げるつもりか!」
カヤノはさっきの能力を使い、咄嗟にさっきの数秒で思いついた能力名を叫んだ。
「ディストラクションレーシングッッ…!」
ラギーを包んでいた皮膚は微粒子レベルに分解され、視界には一瞬ラギーの姿が映った。
しかしその姿も一瞬で消え失せた。
その瞬間を見て、カヤノはゾッとした。
もしや今人を殺したのか? と。
「い、いいや、絶望するにはまだ早い…」
そう自分に言い聞かせてさっき地面に衝突し、そのままの鳩を鷲掴みにした。
そして能力を使ってみる。
しかしその鳩、羽や羽毛は消えて丸裸になったもののそれより内側は決して消えなかった。
カヤノは安心してその場に座り込んだ。
しかしそのことからわかったのは、あの男が生きていて、逃げたということ。
「安心するにも…まだ早いか…」
――
すごく深く、息を吸った…。
そして吐いた。
なぜかラギーは、とても清々しい気持ちでいっぱいだ。
「へへっ、久しぶりに全力疾走したから…少し爽やかとも言える気分だぜ…」
皮の剥げた全身、おそらく折れている右脚左手。ラギーの体はボロボロだった。
「よーし決めたぞ…あいつは今は殺さない、利用するかどうか今後次第…俺は目的の為にまずは鍛えたりとか…してみるとするか…待っておけ…俺は…全ての人間の不幸を望んでやる……」
ラギーがこの北欧の地に赴いた2つの理由、それは「化石の総取り」と「全人類を不幸にすること」
確かな野心を抱えながら、ラギーは闇の中へ消えた。