第61話 民の声が動く時
王宮の会議室。木の香りが漂う深い椅子に腰かけて、クラリスは静かに資料を見返していた。窓越しには朝の柔らかな光。今日、この場で議会に改革案を提出する。心の奥がざわめいている。
レオンがそっとクラリスに寄り添い、声をかけた。
「クラリス、準備は大丈夫? 僕はずっと君のそばにいるよ。」
クラリスは小さく微笑んで頷き、丁寧に手を握り返した。
「ありがとう、レオン。あなたがいるだけで、勇気が湧いてくる。」
重臣や議員、教会関係者が集う議場は、緊張感に満ちていた。
廊下では、賛成派と保守派が低い声で交錯する。不安の波が広がっている。
王宮内には、改革案に賛成の声と反対の圧力、双方がせめぎあっていた。
議長に促されて、クラリスは立ち上がる。柔らかな声だが、ひたむきな熱意が伝わる。
「猫神を信仰する民に限定した選挙区の設置、教育改革、癒しの家を全国に拡充する社会福祉案――すべては民の心と未来に根ざした提案です。王国が豊かになるために、身体だけでなく、心までも支えられる国にしたい。どうか、この改革案をご審議ください。」
会場には静寂が訪れ、やがてさざめきが生まれる。
その時、壇上前から一人の若い男性が前へと進み出た。
彼はかつて癒しの家を訪れ、人生をやり直した青年――市民代表だ。
「私がここに立った理由はただ一つ。
この国の改革は、私のように絶望の中にいた者にも、再び未来を信じる機会を与えてくれるからです。
癒しの家で、私はまた働く意欲を取り戻し、教育支援で仕事を得ました。
今では子どもにも学びの場があり、心から幸せだと感じられます。
この案が、誰かの人生を救えるのであれば――私は賛成します。」
その言葉に許可された拍手が議場に広がった。
懐疑的だった議員たちの顔にも、徐々に放心と納得の色が広がった。
一方、第一王子パウル陣営の動きも激化していた。
極秘の側室にて、貴族たちと密会を行うパウル。
「クラリス案が通れば王太子としての私の立場が揺らぐ。
今こそ議員たちに重荷をかけさせるべきだ。
民に不安を煽り、“準備のできていない選挙”では危険と感じさせるよう、巧妙な主張を流せ。」
貴族のひとりが応じた。
「健康保険や教育資金の負担両方、税金増にすらなると。
そんな不安を各地に伝えれば、慎重論が高まります。」
パウルは冷たい笑みを浮かべた。
「正攻法では勝てない。だから裏から、民の不安を植え付ける。そして議員には“保守こそ秩序”という空気を醸成するのだ。」
議会は白熱した論戦へと突入する。
改革案賛成と慎重派が議場で激しく対峙する。
クラリス案に積極的に賛意を示す貴族や議員も現れ、慎重派は次第に“猫神信仰区限定の制度”という安定感ある条件の提示を迫られる。
その中で、レオンは議場の傍らから静かにクラリスの手を握り、力の源となった。
最終的に、議会は採決へ。
結果は――
賛成多数、部分修正を含め制度を導入することで合意。
王は深く頷き、クラリスに静かに微笑んだ。
パウルは淡々と一礼するが、その顔にはうらんだ影が残っていた。
議場を後にしたクラリスは、王宮の庭園へと向かう。
そこには夜風に薔薇が揺れていた。
レオンが寄り添い、そっと囁く。
「君の勇気が、この国の一歩を動かしたんだよ。
本当にすごい。」
クラリスは、目に光る涙をそっと拭きながら微笑む。
「ありがとう。あなたがいたから、心が折れずに歩けた。
未来はまだ砂のように固まっていないけど……
でも、今夜だけは――この瞬間を、一緒に噛み締めさせてね。」
そう言ってレオンの胸に寄り添うクラリス。
星の光がふたりの影を淡く包んでいた。




