第31話 灰色の手のひらに、静かな祈り
貧民街の一角、木々に囲まれた古びた小屋の前。
そこに、小さなベンチと、干からびた花が一輪。
クラリスは、路地裏で出会った子どもから「優しいおじいちゃんがいるよ」と聞き、静かにその家を訪れた。
扉がきしむ音と共に現れたのは、深く刻まれた皺と、薄い灰色の髪を持つ老人だった。
「……異国の顔だな。よくここまで来たね」
「少し、お話を聞かせていただけますか」
クラリスがそう言うと、老人はゆっくりと頷いた。
中は質素だったが整えられていた。
壁には古びた地図と、褪せた家族写真。そして、棚の上には猫の小さな像。
「これは……」
「猫神さ。私は元々、オルスタンという国で農家をやっていた。
だが、戦で村は焼け、家族は飢え……生き延びるには、この国に来るしかなかった」
老人は静かにお茶を注ぎながら、言葉を続けた。
「この国では、掃除夫として働いた。夜通し街路の糞を掃き、凍える冬でも水をかぶった。
“異国の者にできるのはこれだけだ”と、何度も言われた」
クラリスは、胸の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。
「……辛く、なかったんですか?」
「誇りはあったよ。生き残った者として、次の世代に“希望”をつなげること。
だがな……人は、どれだけ働いても“異邦人”としか見ない」
彼はクラリスの手をそっと取った。
「お嬢さん、君は聖獣だろうと、そうでなかろうと、この国にとって“特別”だ。
だが忘れないでほしい。我々のように、“望まずにここに来た者”もいる」
沈黙が落ちる。
その静けさの中に、重い過去と、薄明るい未来が同居していた。
クラリスはゆっくりと頷いた。
「……ありがとうございます。あなたの話、決して忘れません」
帰り道、クラリスの瞳には新たな決意が宿っていた。
“誰かを切り捨てることは簡単。でも、本当にそれが最善だろうか”
彼女は初めて、“制度”ではなく“人”を見つめ始めたのだった。




