第30話 揺れる正義
朝靄に包まれた王都の外れ、クラリスはレオンとセドと共に、
貧民街の外郭にある“市場の裏通り”を訪れていた。
そこには、表の華やかさからは想像できない、過酷な現実が広がっていた。
薄暗い路地裏には、生ゴミの山と、鼻を突くような臭気。
崩れかけた木の小屋の中で、まだ幼い少年が雑巾を絞り、トイレの入り口を拭いていた。
「こんにちは」
クラリスが声をかけると、少年は一瞬ビクリと身を固くしたが、すぐにペコリと頭を下げた。
「一回一銭で、使えるよ。水はないけど、拭く紙はある」
言い方があまりに慣れていて、胸が締め付けられた。
「ここでずっと働いているの?」
「うん。お母さんが病気だから、ぼくが働かないと。……ここ、誰でもできるし」
それは――“だから、自分でもできる”という意味だった。
別の一角では、大きな牛の胴体を切り分ける若い男がいた。
血に染まった床、飛び散る臓物、そして防護具もない裸の手。
「もう、慣れたよ。……最初は毎日吐いてたけど」
彼は笑っていたが、目の奥には疲れがにじんでいた。
「他の仕事は選べないの。こっちの言葉も少ししか話せないし、読み書きもできない。
でも、ここなら“汚いけど楽”って言われる。給料は……まあ、生きていける分はくれる」
レオンは無言でその様子を見つめていた。
クラリスの胸の中に、言いようのない痛みが広がる。
彼らは自分からこの境遇を望んだわけではない。
“誰でもできる”“誰もやりたがらない”という理由で、ただそこに押し込められている。
帰り道、クラリスはセドの背に手を添えてぽつりと呟いた。
「……私、混乱してるの。
本当に、自国の民だけが豊かになれればいいの?
でも世界には限りがある。全員が平等に豊かになるのは、不可能なの……」
レオンが隣で静かに歩いていたが、やがて答えた。
「俺も、答えはまだ出ない。
ただ――“誰かを傷つけて得た幸せ”が、本当に幸せなのか。
それは、俺たちが考え続けなければならないことかもしれない」
クラリスは頷いた。
“聖獣”である前に、“ひとりの人間”として、
どうすればよかったのか。何を信じるべきなのか。
その夜、クラリスはなかなか眠れなかった。




