第14話 ヴァルゼンの王宮
王宮の門が、静かに開いた。
クラリスを乗せた馬車が、荘厳な石造りのアーチをくぐる。石畳の上を進む車輪の音が、重く低く響いていた。空は明るいのに、胸の奥にあるのはどこか陰りのある不安だった。
「……ほんと、立派ね。あいかわらず息が詰まりそう」
ぽつりと呟いた声が、揺れるカーテンの中に吸い込まれていく。
ヴァルゼン王国の王宮は、白金色の石造りで整えられていて、美しくも緊張感に満ちていた。整然と並んだ衛兵たち、花壇にまで気を配られた庭。まるで、感情さえ許されない“正しさ”がそのまま形になったようだった。
(私には、似合わない世界……)
そんな風に思ってしまった自分に、少しだけ苦笑いが浮かぶ。
「レオン……来てくれていたらいいのに」
不意に、心の奥から名前が浮かんでくる。
(あの夜、森で話してくれたあの人の過去――)
兄に殺されかけたという言葉が、ふと胸を締め付けた。
(でも……来ないで。お願いだから、無理はしないで)
彼に会いたい。けれど、今は無事でいてくれることの方が何よりも大事だと思った。
会いたい気持ちと、来てほしくない気持ち。相反する想いがせめぎ合う。
「……うん、大丈夫。私はちゃんとひとりでも立てるわ」
そう自分に言い聞かせるように、小さくうなずいた。
◆
やがて馬車が止まり、扉が静かに開かれる。
まばゆい日差しの中、クラリスが外に出ると、整列していた騎士たちの視線が一斉に集まった。
銀の髪がふわりと揺れ、紫の瞳が陽光を受けて淡く輝く。
その姿に、一瞬ざわめきが走るのを、彼女自身も感じていた。
けれどそのざわめきを静かに収めるように、ひとりの男が前へ進み出た。
「ようこそ、癒し手殿。ヴァルゼン王宮へ」
落ち着いた物腰、煌びやかな装い。貴族らしい優雅な身のこなしと、少しだけ作り物めいた笑み。
「私は第一王子、パウル・ヴァルゼンと申します」
軽く頭を下げるその人は、確かに“王子”の威厳と存在感を持っていた。
クラリスは一瞬、彼の目を見つめる。
深緑の瞳――澄んでいるようで、どこか底が見えない、静かな湖のような色だった。
(……この人、目が笑ってない)
優しい言葉とは裏腹に、視線の奥に感じる何か。
クラリスはその違和感を心の中にそっとしまい、微笑みを浮かべて応えた。
「ご丁寧にありがとうございます。滞在中は、お世話になりますわ」
◆
――クラリス・エインハルト。
その名を、パウルは脳裏で繰り返していた。
あの銀髪、紫の瞳。完璧な所作。そして、公爵家の令嬢として外交の文書で見たことのある名前。
間違いない。この女は、ヴェルディアス王太子・アレクシスの“元婚約者”だ。
(追放されたという噂を聞いたが……まさか、こんなところに現れるとは)
そして今、神託により“聖なる癒し手”として王に呼び戻された存在――それがこのクラリスだ。
(この女を手に入れれば、俺が王太子になれる)
心の奥で、確信が膨らむ。
(王は癒し手で聖獣の力を絶対視している。ならば、その癒し手を正妃に迎える男こそが、次の王にふさわしい)
柔らかな笑みを浮かべながら、手を差し伸べた。
「あなたのために、特別なお部屋をご用意しております。どうか、ごゆっくりお過ごしください」
その言葉に、クラリスはひとつ頷いて応じた。
(この人のこと……少し、気をつけた方がいいかもしれない)
クラリスの直感がそう告げていた。
だが同時に、胸の奥に浮かんだひとつの願い――
(レオン、あなたが無事でいてくれますように)
その祈りは、風のように静かに王宮の中へと消えていった。




