第11話 騎士の報告と神託
その日、クラリスは森の奥にある小さなカフェの庭で、ハーブの水やりを終えたところだった。
朝露に濡れるテラスには柔らかな日差しが差し込み、猫たちは思い思いに日向ぼっこを楽しんでいる。焙煎したての豆の香ばしい香りが風に乗って漂い、静かな平穏が森を包んでいた。
けれど、その穏やかな空気の中に、かすかに混じる違和感。クラリスは耳を澄ませた。遠くから微かな金属音が聞こえる。
「……誰か来るわ」
今日レオンは川に釣りに出ていて、店にはクラリスと猫たちだけ。
クラリスはすぐに奥へ引き返すと、棚の影に身を隠し、深呼吸をひとつ。
「大丈夫……騎士の気配は、慣れてる」
静かに目を閉じた瞬間、彼女の姿は淡い光に包まれ、小さな黒猫へと変わった。
漆黒の毛並みに、金色の瞳。
それは確かにセドと同じ金のはずなのに、クラリスのそれはどこか異なる輝きを帯びていた。
月明かりを閉じ込めたような、静かで、でも目を離せない光。
数分後、森の小道を数人の騎士が歩いてきた。鋼の鎧が木漏れ日にきらめき、視線をあちこちに走らせながら進んでいく。
「……村人が見たっていう女はいないな」
「猫が多い。……もしかして、見間違いじゃないか?」
「銀髪? こんな森の中に、いるわけがないだろう」
騎士たちは何の痕跡も見つけられず、報告書に数行を書き残して引き返していった。
カフェの屋根の上、黒猫となったクラリスは静かにそれを見送り、ひと息ついた。
「……やり過ごせた、わね」
誰に語るでもなく、ぽつりと呟く。
今日も、正体は守られた。
けれど、それはいつまで続くのだろうと、不安が胸をかすめた。
◆
一方そのころ、ヴェルディアス王都では、騎士たちの報告がアレクシスとルミエールのもとへ届いていた。
「見間違いだったのね、やっぱり」
ティーカップを優雅に持ち上げたルミエールが、勝ち誇ったように微笑む。
「王太子妃は私。あんな出来損ない令嬢なんて、もう誰も覚えていないわ」
アレクシスも深く頷いた。
「俺の横に立つのは、お前だけだ」
◆
一方、ヴァルゼン王国では不思議なことが起こっていた。
穀物は豊に実り、あらゆる疫病が消え、干からびた大地に雨が頻繁に降って緑が増えた。
穏やかな気候で過ごしやすくなり、まるで国全体が“何か”に守られているかのようだった。
王宮では、神託の解釈に長けた巫女と預言者が集められていた。
「銀の毛と黒の影、猫と共にある癒し手……これは聖獣の預言と一致します」
預言者の老いた声が、静かな執務室に響く。
「百年に一度、国に加護をもたらす聖なる存在。
今回は“人の姿”をとって現れたと、星が告げています」
王はしばらく目を閉じた後、静かに命じた。
「ならば――その者を迎えよ。
我が国に加護をもたらす者を、正式にお迎えするのだ」
◆
夕暮れのカフェで、クラリスはまだ猫のまま、空を見上げていた。
「……来るわね。いよいよ」
黒猫のセドがそっと隣に座り、彼女の毛を優しく舐めた。
もう逃げられないと分かっている。
でも、ほんの少しだけ、この時間が続けばいいと、クラリスはそう思った。




