5話 “成長”という神話装置と経験値経済の構造分析
“成長”――それは、異世界という物語空間において最も自然化され、最も疑われることのないイデオロギーである。
人は経験値を得ることでレベルを上げ、レベルを上げることでスキルを獲得し、スキルを獲得することで強くなる。
このプロセスは、さながら資本主義的欲望のアレゴリーである。すなわち、“経験”という記号を自己に内面化し、それを“数値”として表象し、最終的に“力”として社会的承認に変換するという欲望経済の構図。
だが俺はここに、深い疑念を抱かざるを得なかった。
「本当に、この“経験値”とやらは、俺が“積んだ”ものなのか?」
スライムを100体、200体と狩る過程で、俺は一種の機械的自己反復を覚えた。そこに“自己”という能動的主体性はなかった。もはや俺の動作は、行動経済学における条件反射的効用最大化行動そのものであった。
このとき俺は、ある学術的文献――否、前世の記憶で得た知識の断片を思い出す。それは、ジャン=ボードリヤールが唱えた**“シミュラークル”の理論**である。
曰く、“現実はすでに模倣の模倣に過ぎず、我々は現実そのものではなく、その表象と対峙している”。
俺が得ていた“経験値”とは、本当に経験だったのか?
あるいは、経験の“形式”を模しただけの数値的ファントム――ただの“演出”ではなかったか?
そう、俺の“成長”とは、あらかじめ用意されたプロトコルの中で、予期されたスクリプトをなぞるだけのメタ的自己複製運動だったのだ。
この認識に至った瞬間、俺は“成長”そのものを放棄した。
スキルツリーを閉じ、クエスト報酬を断り、王都への招集命令を拒絶した。
俺は“物語の外部”に立つことを選んだのだ。
そして俺は、スライムの森へ戻る。
誰も見向きもしない粘性生命体と、再び向き合うために。
なぜなら彼らこそが、この世界において唯一“成長”から解き放たれた存在、エクリチュールの純粋な対象であったからだ。




