閑話
今回の話は時系列としては第二話と三話の間にあたります。
命からがらたどり着いた小屋での一夜が舞台ですが、本編の進行にあまり関係がないのででいつもより短い閑話という形でお届けいたします。
「ええ、そうですわね。でもだとしたら―――――失礼」
あれこれと話をするうちに、セシリアが一つあくびを漏らす。気づけば囲炉裏の火もつけてからしばらくたったせいで随分と下火になっており、小屋の外の暗さが一層強調されるようになっていた。
「そろそろ寝たほうがいい、明日は早いからな」
その言葉に少しほっとした表情を見せるセシリアだが、それも無理はない。命を狙われた経験などあるはずもない貴族ぐらしのお嬢様が、むしろよくここまで気丈に振る舞っているものだと感心する。
話の中でもあまり踏み込まなかったが、継母に当たる人物からは随分辛く当たられていたようだし、弱みを見せないようにするのが癖になっているのかもしれない。
薪は小屋の裏にいくらか乾かしてあるものがあったのでそれを追加しておき、囲炉裏にこれまた拝借した鍋をかけると水筒の水を少量注ぐ。
ぬるくなったところで火から離し、背嚢から布を取り出して湿らせた。
「よっ、と...」
まだこわばりの取れない体に力をこめ、横に置かれていた長剣を鞘から引き抜く。
暫くの抵抗があった後、ばりばり、という乾いた音とともに、赤黒い粉のようなものが剣と鞘の間から零れ落ちた。その惨状に思わずため息をつきそうになるが、むしろ剣と鞘を回収するだけの頭が回ったセシリアに感謝すべきなのだろう。
乾いてぽろぽろと落ちる部分は軽くはたき、油とともにこびりついてねばっこい塊のようになっている部分は、湿らせた布でふき取っていく。布はすぐに赤黒くなり、取れた血の塊を鍋の端でこそげ取りながら再び湿らせる作業を繰り返していく。
しばらくするうちに透き通っていた鍋の水は赤と黄色の混ざったようなどろっとしたものに変わる。
柄の部分まで拭き終わってみるとようやく見れる状態にはなったが、よく見ると柄に巻いていた革も随分と黒ずみ、ところどころ擦り切れてきている。今度町で適当な鞣し革を買って自分でやるか、職人が見つかれば巻き直しを頼む必要があるだろう。
最後に乾いた布で軽く剣身を軽くはたきながら持ち手から切っ先までを傾けながら見る。
「何をしているんですの?」
ここまでの工程を興味深そうに見ていたセシリアだったが、ついに好奇心を抑えられなくなったらしい。
一通り角度を変えて異常がないことを確認し、裏返しながら答えてやる。
「剣っていうのは不思議なもんでな、横向きに斬る分には頑丈なんだが、他の方向から力をくわえられると簡単に歪んだりしちまう。幸い今回はどこも歪んだり欠けたりしなかったみたいだが――――」
点検の終わった剣を床に置くと、今度は鞘の中を覗いでみるが、さすがに中までは光が届かずよくわからなかった。一度鍋の水を外に捨てに行き、再び少量の水を温め始める。それをゆっくりと鞘の中に入れ、軽く振ってみる。頃合いを見計らって水を鍋に注いでみると案の定赤色に染まっていた。
最後に水を捨てに行き、鞘は囲炉裏の近くに逆さにして干しておくことにした。
「随分、丁寧に扱うんですのね」
一通りの工程を終え、一息をついた俺にそう声をかけるセシリア。
「まあ、こいつには大分世話になってきたからな。俺が傭兵時代からの付き合いだ」
何度か刃こぼれをしてしまったこともあったのだが、そのたびに修繕をしてもらい使い続けてきた剣だ。使い始めたころには重さに振り回されているような気がしていたが、今では随分と手になじみ、自分の腕の延長のように間合いを図ることが出来る。
「あまり見つめすぎないほうがいい、のまれるぞ」
その言葉にはっと我に返ったように瞬きを繰り返すセシリアに、昔の自分の姿が重なって見え苦笑する。
剣というものはただの鉄の塊ではない。
何度も人の命を奪い、血と油にまみれたその剣身は、金や銀とはまた異なる妖しい輝きを放つものだ。
だがどこまで行っても武器は振るうものであり、道具だということを忘れてはならない。
武器の魔力にのまれ、血を求めて戦に明け暮れるようになった者は必ず自身も武器によって斃れる。
まだちらちらとこちらを見るセシリアの視線から隠すように、剣身は布で覆ってしまうことにする。
「わたくしも、何か武器のようなものを持った方がいいのでしょうか」
何かを決心したように発せられたその言葉に、俺は苦笑する。
「まずはパンを切れるようになってからじゃないか?」
寝る前に携帯食料のパンを腹に入れておけと分けてやったのだが、ずいぶんと妙な顔をしてそれを眺めていたことを思い出す。話を聞いてみると、セシリアが今まで食べてきたパンというものはもっと白っぽく、ふわふわとしていていいにおいがする、ほんのりと甘いものなのだそうだ。おそらくはすべて小麦で焼き上げられた上等なものはそうなのだろうが、携帯食になるようなパンは小麦ではなく、より安くまずい穀物を水で練り、硬く焼き上げられたものだ。味は間違っても甘いとはいえず、どこか酸っぱく苦みの残る後味で、腐りにくくするために限界まで水分を抜いているためそのまま噛もうとすると歯が割れそうになる。
そんなわけで水やスープに浸すか、ナイフで削ったかけらを口に含んで少しずつ食べることになるのだが、セシリアはさっそく不器用なナイフさばきで手を少し切ってしまっていた。
あっと思わず声を出した俺だったが、セシリアは慌てることなく何事かをつぶやきながら、人差し指で傷をなぞるように撫でる。すると最初ににじみ出てきていた血が吸い込まれるようにして傷口に入っていき、その小さな傷口も跡を残さず消えてしまった。
「こりゃあ...本当にすごいな。どうやってやってるのか、は、お前にもわからないんだっけか?」
「ええ、お母さまに教えてもらったおまじないなんですが...」
俺の感嘆の声に対し、少し困ったような返答が返ってくる。
「どういうおまじないか、教えてもらってもいいか?」
どうせ俺がやっても何か起こるわけもなし、本当に興味本位というやつで聞いてみると、少し驚きながらも教えてくれた。
「まず、目をお閉じになってくださいまし」
素直に目を閉じると、柔らかなものが急に両手に触れてきて思わずピクリと反応してしまう。
「あ、ご、ごめんなさい。わたくしのときはこうやっていたので...」
「いや、大丈夫だ。続けてくれ」
少しの気まずい沈黙の後、手ほどきは再開する。
「今わたくしの右手から、カイエンの左手へ。カイエンの右手から、わたくしの左手へ、水の流れのようなものがあると想像してみてください」
なるほど、つないでいる手を円環のように見立てるというわけか。
「できたぞ、次はどうすればいい?」
「わたくしはこれから手を放しますけれど、流れを途切れさせることなく、今度はご自分の両手を合わせて自分の中で循環していると想像してみてください」
水のようなものがぐるぐると回っているのを想像していると、セシリアがゆっくりと手を放す。
心地よいぬくもりから解放された手が少し寂しく感じられるが、それを振り切るように今度は自分の両掌を合わせて流れを想像し続ける。
「では、これからいう言葉をわたくしに続いて繰り返してくださいね」
「ああ、分かった」
それからセシリアが発した言葉は、俺が今まで聞いたどこの地方の言葉とも似ておらず、意味のある言葉というよりは、まるで原始的な歌や拍子のようにも聞こえるものだった。とても書きとれるように思えない発音もところどころあったが、何度もセシリアがゆっくりと繰り返してくれたので最終的につっかえながらも一息に繰り返すことに成功する。
「と、ここまでが最初のおまじないですわ」
「随分簡単なんだな」
以外にあっさりと終了してしまったそのおまじないは、とても今日のような出来事を引き起こすような力があるようには思えなかったので少し拍子抜けする。
「ええ、そうですわね。ちなみに今日使ったときはカイエンの傷に私の両手を当てて、同じ言葉を繰り返しながら傷がふさがるようにと必死に念じていました。そういえばわたくしがお母さまにこれを教わったときはまだ10にも満たないころのことでしたけど、大きくなったら他のおまじないも教えてくれるといっていましたわ」
母との思い出を語るセシリアの表情はいつも優しげで、でも隠し切れない悲しみが漂っていた。
「その他のおまじないとやらは何だったんだ?」
「実をいうと、ある時をきっかけにお母さまともおまじないの話をすることはなくなってしまいましたの。おまじないを教わってすぐのころ、中庭で怪我をして飛べなくなった鳥さんを見つけたことがありましたの。早速おまじないを使ったら元気になってくれたので、うれしくてお母さまにそのお話をしたら、絶対にこのことは他の人にしてはいけないと強く言われたことを覚えていますわ。その時のお母さまの顔は、見たこともないくらい怖くて...あんな顔のお母さまを見たのは後にも先にもその一度きりだけだったので、おまじないに関する話題は避けるようになりましたの」
「ふーん、そうか...」
話を聞く限り、このようなおまじないは複数あったのだろう。しかしセシリアが小鳥のけがを治したという話を聞いた母親は、それ以降一切おまじないについて話すことを禁じた。
異端のそしりを受けかねない行為を軽々に子供に教えてしまったことを後悔したのだろうか?それとも....
「あふ...!」
セシリアは慌てて口を押えたが、どうやらもうだいぶ眠気も限界らしい。
今度こそ本当に寝ることにし、囲炉裏の火を適当に崩して光量を落とすと、その日は休むことにしたのだった。