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第三話

暖かい。


意識がゆっくりと浮上する中、初めに感じたのはじんわりとしたぬくもりだった。次に感じたのは、ちらちらと瞼越しに目を刺激する光。億劫な気分で少し深く息をしようとした瞬間、左の脇腹にひきつるような激痛を感じて強引に覚醒を促されることになった。


「ッ...!!」


半分ほど起こした上半身は、重みを感じて動きを止める。いぶかし気に自分の体を見ると、毛布とともに人間が一人乗っかっているのが分かった。


「おい...おいッ」


ぎりぎり傷口に触らない体勢でいてくれたのはありがたいが、重いものは重い。

最初は遠慮がちに、二回目は傷口に(さわ)らない程度に本気で少女の体を揺さぶる。


「う...」


いかにも迷惑そうな顔つきで起き上がった少女は、しばらく目を細めながらあたりを見回していたが、自分を起こした原因に目を向けると少し気まずい顔になった。


「お、起きたんですのね」


「ああ、おかげさまでな」


皮肉も込めてそう答えてやると、一瞬でカッと上気し何か言いかけるも、思い直して口を閉じる少女。思った通り、自尊心の高そうな娘だが頭は多少回るようだ。


「で、お前はなんでここにいるんだ?」


そう問われたときの顔は、まさに鳩が豆鉄砲を食らったときのような顔で、少し面白かった。


「な、何でって...どういう意図の質問ですの?」


しばらく考えてもわからなかったようで、素直にそう聞き返してくる。


「お前、自分が追われてる身なのは理解してるんだよな?んで、俺はお前に逃げろって言ったよな?なんでここでのんびりしてるんだ?」


「...ッ!!!な、な、な.....!!!!」


あまりの激情に耳まで真っ赤にした少女は口をパクパクさせながら俺に指を突き付けてくる。

俺が何をしたっていうんだ、俺が。


「なんという恩知らずなのですか、あなたは!!わたくしが傷を治さなければ、あなたはあの場所で犬のように死んでいたところでしたのよ!?それを言うにこと欠いてなんでわたくしが、の、のんびりしているなどと....!!!」


まだまだ続きそうなその怒涛(どとう)の文句に俺は一つ聞き逃せない部分があったので手振りで黙れと合図する。それが一層怒りを助長したようで、いよいよ本当に血管が切れるんじゃないかという色になるが、爆発する前に今度はこちらが口を開いた。


「お前が傷を治した?どういうことだ?てっきりお前が猟師に助けでも求めて手当てしてくれたもんだと思っていたんだが違うのか?」


粗末なつくりのいかにも山小屋といったここには、俺が寝ている寝床の他には乱雑にまとめられた狩猟道具のほかには大したものはない。俺が逃げ込むように言った猟師小屋ではあるようだが、確かに先ほどから俺たち二人以外の人の気配がない。


そっと自分の脇腹を確認してみると、殆どの血はどうやら乾いており、驚いたことに肝心の傷は赤い線を残すばかりで、傷口は既にふさがっているようだった。


俺が傷を確認し、驚いているのを尻目に、少女は先ほどまでの勢いが嘘のように黙りこくっている。

どこか青白いように見える顔は、今日の心労ばかりが原因ではなさそうだ。


「まさか、お前...魔女なのか...?」


半信半疑で口にした言葉に少女は再び激高しようとし、そのまま蒸気が抜けていくようにうなだれてしまう。


魔女。それは人の身で人ならざる現象を引き起こす者。

ここアナトリア王国や近隣諸国で国教となっている聖教では、魔女とは悪魔と契約して魔の力を行使しするもの、あるいは悪魔そのものとされており、人を堕落させ人の世を滅亡に導こうとする邪悪だと説く。僻地では時折手足が多く生まれたり、何か()()()()()(もく)されたものは村を追放され、ひどいときは生まれてすぐ殺されたりするという。もう少し都会になっても状況はそう変わらず、あの女は魔女でうちの主人を誘惑した、などという告発が裁判とは名ばかりの公開処刑に発展することも少なくない。内戦でそれどころではなかったアナトリア王国ではそこまで状況は悪くなかったが、異教徒との境界き狩りや魔女狩りによって線を持つ国では、悪魔憑(あくまつ)聖教の教えの正しさを主張しようという動きが盛んらしい。


そこで(ひるがえ)って目の前の少女だが、こいつは果たして悪魔と契約し、邪悪な術を持って人を堕落させる存在なのだろうか。


「......」


いまだに俺の次の言葉を待ち、やがて来る痛みに耐えようと唇をかむ少女が。


「まぁ」


びくり、と俺の声に思わずといったように肩を震わせる少女。


「ありがとうよ」


「...え?」


きょとん、と、どこか肩透かしを食らったような様子の少女に、俺は何でもないという風に言葉を続ける。


「俺の傷を治してくれたのはお前なんだろう?あのままじゃ死んでたのは間違いなかったしな、感謝するぜ」


ひきつる脇腹で少し不格好になってしまったが、軽く頭を下げる俺の姿をみて、少女はまだ固まったままだった。


「?おい...」


どうしたんだ、と聞く間もなく、少女の目からは涙が流れ始めた。


「あー...」


きまり悪くなってぼりぼりと頭をかきつつも、おそらくこの少女が経験してきた苦難が今日のものだけではなかったことに何となく察しが付く。

今まで張りつめていた心の防波堤が決壊してしまったのか、なかなか泣き止まない少女にかける言葉など持ち合わせるはずもなく、俺は憮然(ぶぜん)とした表情で壁の木目なんかを数えていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「...おい、そろそろいいか?」


制御不能の号泣から、時折ひきつった嗚咽(おえつ)を漏らすぐらいになるまでずいぶんかかった気がする。

そして、その時間以上に俺は老けた気分だった。


ぢーむ、とどこから取り出したのか高そうな布切れで鼻をかみ、ぐちゃぐちゃになった顔をぐしぐしと拭くと、少女は再び姿勢を正した。


「失礼、少々取り乱しましたわ」


どうやらあの醜態を()()で済ませて会話を続けるらしい。

いや、お前それはねぇだろう、と突っ込むのを我慢し、それにおとなしく乗ってやる。


「お前が俺のことを治してくれたのはわかった、感謝もしてる。でもどうやって

俺の体をここまで運んだんだ?それと、追手は大丈夫なのか?」


そう、傷を治したのがこの少女だとしても、軽装とはいえ大の男をここまで運んでこれた道理がないのだ。それに、あの二人以外の追手の有無が気になる。今こうしている瞬間も追手がこちらを探しているかもしれないし、もしそうだとしたら森の小道に面したこの小屋など真っ先に捜索の手が及ぶ場所だ。可能であれば一刻も早くこの場を離れたいというのが本音だ。


「そのどちらの質問も、一気に答えることが出来ますわ。でもそのためには口で説明するより見てもらった方が早いので...あなた、立ち上がることはできまして?」


おいおい、こっちはさっきまで死にかけてたんだぜ、と苦笑しながら体を少し動かしてみると、驚いたことに多少のひきつり、こわばり以外はほとんど異常がなかった。

いったいどういう方法かは知らないが、ほとんど完璧に治療がなされているようだ。


「こちらですわ」


歩けることに驚いている様子の俺をみて安心したように少し笑い、小屋のドアを開けて俺を待つように少し止まる。


子ども扱いされているような感じで少し面白くはなかったが、一応命の恩人なのでおとなしくついていく。

そして小屋の裏手に回ったとき、俺は思わず戦慄(せんりつ)した。


「な、何でこいつら!?」


そこに転がっていたのは、確かに俺がとどめを刺したはずの刺客の二人だった。


「...なっ!?」


そして次の瞬間、俺は背中に氷の柱でも突っ込まれたかのような寒気を覚えた。


明らかにこと切れている二人、いや、()()()()()が、ゆっくりと立ち上がったのだ。


まずい、俺の長剣は寝床の横に置いたままだ、と舌をうち、同時に斬って死なない相手なんてどうすればいいんだと途方に暮れるような気持になる。


「慌てなくても大丈夫ですわよ、ほら」


そういうふうに慌てる俺が、まるで状況を理解できていない子供であったかのように、少女は優しい口調でそういいながら前に出た。


「あ、おい、馬鹿!」


化け物にすっと近づく動きがあまりにも自然だったので反応が遅れてしまったが、明確に何をすればいいかもわからないままに自分も数歩前に出る。


と、そこで違和感に気が付いた。


「おい、そいつら、止まってないか?」


そう、二つの死体は起き上がったまま、うつろで勝手な方向を向いている目玉を時たま動かしながら前後にふらふらと揺れながらも、()()()()だった。

そして少女はそのうちの一体に近づくと、ぽん、と気軽に肩を叩く。

すると、どちゃ、と音を立てながら()()は糸の切れた操り人形のように地面に倒れ、元の死体に戻る。

少女はもう一体に同じことをし、こちらを振り返る。

もう分かったでしょう、というように。


「お前、死人を操れるのか...?」


目の前の状況に理解が追い付かないままに呆然とそう口にすると、少女は悲しそうに首を振る。


「いいえ、正確に言うと血、ですわ。あなたの傷をふさいだのもこの力。この二人を動かしていたのも、中の血によるもの。この二人にあなたを運んでもらう間は、地面にできるだけ血を垂らさないようにしてきましたわ。それに、あの場所はもともとわたくしが乗っていた馬車を止めた場所から少し離れています。だから追手からしてみれば、どこで姿を消したのか、手掛かりが全くない状態で森の中をさまようしかないはずです」


そう淡々と説明する少女は、夜の闇に浮かぶ白い亡霊、いや、まさしく魔女のようで、俺は思わず気圧されてしまう。


「改めて名乗りましょう。わたくしの名はセシリア=フォン=ローゼンブルグ。いえ...実の親に命を狙われる今、家名を名乗る意味もありませんわね...」


そう自嘲気味に笑う少女。


「セシリア、ただセシリアと呼んでいただければいいですわ」


そういって、手のひらを差し出してきた。


そこからしばらくの沈黙を挟んだのち、少女、いや、セシリアの何かを待っているような様子にようやく気が付く。

これを受けて俺が名乗り返し、この手のひらを取ってしまえば、俺が当初想像していたような悠々とした旅は、いるかもわからない追手から逃げ回るような逃避行に早変わりするだろう。それにもしセシリアが魔女だとしたら、これが実は全部罠で人の世を破滅させる遠謀(えんぼう)な計画の一部かもしれない。

そういえば聖教の街角(まちかど)説法では、悪魔は甘い言葉で契約を差し出してくるが、魂を代償にとられるから決してその手を握るなと―――――――――


「カイエンだ。姓はない」


気づけばその細い手を握っていた。

炊事洗濯で荒れた町女の手とは違う、滑らかな手だったが、今はとても冷たく、そして握って初めて気が付いたが細かく震えていた。


手を差し出すのに勇気が必要だったのは、セシリアのほうだったのかもしれない。

俺が熱心な聖教徒じゃないのは小屋での問答から推察できたとしても、やはり異形の力を持つ自分の味方になってくれる公算は高いはずもない。


何せ俺自身、なぜセシリアについていってもいいかと判断したのか説明できないくらいだ。


「...ど、どうかされまして?」


おどおどとしたその言葉に、俺は自分が気付かぬうちに笑みを浮かべていたことに気が付き、顔をひと撫でする。


「いや、この道を進めばな、()()が見つかる気がしたんだよ...ただの勘だがな」


その言葉になぞかけでも食らったかのように目を白黒させるセシリアは、再び笑い出した俺を見て、からかわれたのだと思ったのだろう。また顔を赤くして文句を言い始めた。それを適当にいなしつつ、俺は今までになかった、何かすっきりとした気分を楽しむように笑い続けた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「さて、それじゃあ状況整理と行こうか」


ひとしきりじゃれあった後、俺たちは再び小屋の中で顔を突き合わせて話をしていた。

小屋が狭いせいでどうしてもこうなってしまうのだが、改めてみるとセシリアはなかなか整った顔立ちをしている。


「ちょ、ちょっと、何を考えていますの?」


ちらっと見ただけで何かを勘違いしたらしいセシリアは、ボロボロになった衣服をかき集め、肌の露出面積をできるだけ抑えようとする。


「いや、鳥が住みやすそうな髪をしてるなぁと思ってな」


そんな憎まれ口をつい口にしてしまうが、セシリアは怒るよりも先にはっと自分の髪に手櫛を入れ、しゅんとしている。普段はさぞや自慢の髪だったのだろう。


「まあそんなことはどうでもいいんだが、とりあえずお前は親父のローゼンブルグ伯爵に狙われてるって話だったよな?なんでそんなことになったのか教えてくれないか?」


とりあえずの追手の心配がなくなった今、まずはなぜセシリアがこの状況に置かれているのか気になった。十中八九セシリアの力に起因するものだと予想はできるが...


「ええ、そうですわね。そのためにはまずわたくしのお母さまの話からしないといけませんわね―――――」


そういってセシリアがしてくれた話はまるでおとぎ話のようで、彼女の力を目の当たりにしていなければ信じるのが難しいようなものだった。


まず、彼女の父親のローゼンブルグ伯爵は多くの森が茂り、あまり耕地のない、どちらかと言えば肥沃ではない土地をおさめている貴族だという。政治としては圧政をしくでもなく、かといって納税はきっちりとさせる平凡な領主だった。だがそこで、そろそろ妻をめとる年齢か、といったときに、たまたま山で狩りをしていたところでお付きの者たちとはぐれ、遭難していたところを小さな集落にいた部族に助けられた。


体力を回復させている途中で、その族長の娘に一目ぼれをした領主は熱烈な求婚を行い、周囲の反対を押し切って結局結婚してしまった。名も知れない集落出身の娘に対しての反応は当然最初から良かったはずもなく、中には口さがないうわさ話をするものもいたらしいが、見目もよく器量もよかった娘はやがて周囲に受け入れられていき、やがてセシリアが生まれた。そこから10年ほど平和な生活が続いたが、つい6年ほど前に病で彼女は死んでしまったという。その数年後、再婚をするはこびとなったのだが、その再婚相手が熱烈な聖教徒の名家の出身で、セシリアの母とその集落、ひいては継子(けいし)のセシリアを目の敵にしていたらしい。


どうやらその集落というのは聖教がこの地に広まる遥か昔から独自の教えを守っていた集落であったらしく、聖教こそが唯一絶対と信じる者からすれば異端者の集まりであるらしかった。その妻に気圧される形で領主はセシリアの待遇に口を出せなくなり、セシリア自身は針の(むしろ)に座らされるような生活を、今は亡き母親との思い出にすがって耐えていたという。


あからさまに追い出されたりしないのは父親としての情が多少は残っていた証なのかもしれないが、ここ最近の出来事がそれを大きく変えてしまった。


国王派と反国王派諸侯の講和である。

国王派は熱心な聖教徒が多い中、反国王派は自分たちの領地に含まれる僻地の土着の教え、聖教からしてみれば異端者たちに寛大な領主が多かった。しかし資金力で劣る反国王派が半ば折れる形で国王派と講和を結ぶ以上、形だけでも異端者には厳しく出なければならない。国王ににらまれたり、異端の言いがかりで領地の取り上げなどされてしまえば、たまったものではないからだ。


そこでセシリアの父親は、ひとまずセシリアを聖教がまだあまり広まっていない遠方の地へと送り、半ば勘当のような形にすることで保身を図ることにしたらしい。


「うん?勘当して遠方の地へ送るだけっていうのと、刺客を差し向けるとじゃずいぶん話が違うじゃねぇか」


話の腰を折りつつそう聞くと、セシリアは苦笑いをしながらうなずいた。


「お父様はもともとそんなに大それた決断をすることが出来る性格ではありませんわ。大方()()()が独断で差し向けた者たちでしょうね」


頑なに継母のことを名前で呼ばず、あの人と呼ぶのは、自分との距離を最大限に離しておきたいという心の働きなのだろうか。

そんなことを思いつつも、これでようやく事態が大まかに把握できてきた気がする。


なるほど、血はつながっていないとはいえ自分の子供が異端者とつながりがあるとなれば、生きているだけで危険な存在とみなされても仕方がない。小心者揃いの貴族たちは、常に自分たちの競争相手の足を引っ張るための噂話を探している。そしてそういった貴族の屋敷で働く下っ端の使用人は、主人に何か異変があると真っ先にそれを数枚の銀貨と引き換えに誰かに洗いざらい喋ってしまうものが少なくない。彼らにとってはちょっとした小遣い稼ぎのつもりなのだろうが、傭兵団でも度々そういった使用人たちから聞いた情報が儲け話につながったことがあるため、あながち馬鹿にはできない。

そんなわけで噂はどこから漏れるともしれず、更に聖教の勢力が強まりこれから異端への抑圧が進みそうな今の時世、セシリアのような危険の芽は早めに摘むべきという結論に至ったということなんだろう。


「なんというか、大変だったな」


貴族がいろいろと面倒なことは知っていたが、いざそれに巻き込まれるとなると多少なりとも思うところがある。


「もう、慣れましたから」


そう言って笑うセシリアは、年齢よりもずっと大人びていた。

大人にならないといけなかったのだろう。


「で、その集落はまだあるのか?その集落の者全員がその力を使えるとなると大分すごい話になってくるんだがな」


大方の話は分かった。ここからは何か使えるもの、利用できる要素、行く当てを今の話から探していく番だ。


「まだ集落自体はあるとは思いますが、場所まではわかりませんわ...山の集落とだけ呼ばれていたようです。この力に関してですが、基本的に族長の家系にのみ、たまに力を持つものが生まれるそうです。なぜか女性が多かったそうですが...その力といっても、擦りむいた傷でかさぶたを早く作ったり、その程度だったそうです」


そういいながら、どこか遠い目をしながら自分の膝をさするセシリア。

転んで擦りむいた膝を、見たこともないセシリアの母が治す光景が頭に浮かぶ。


「なぜわたくしの力がここまで強いのかはわかりませんわ。というより、この力自体あまり使わないようにと、お母様と約束していたものなので...先ほどあなたの怪我を治した時も、体を運ぶためにあの二人を使()()()のも、必死の中でやったことで...」


「なるほどな、ぶっつけで使ってみたら、たまたまうまくいったってところか」


つくづく運がいいな。もしセシリアの力が母親のようにかさぶたを早くふさぐ程度のものであれば、俺は間違いなく死んでいた。その幸運に感謝しつつも、この力は今後非常に役立つものであることを確信する。


「これから俺とお前は二人で旅をすることになるが、その際に明らかに元貴族だとわかるような恰好はまずい。というか、女が旅をしていること自体が要らない危険を呼び寄せることがある。できるだけ露出を避ける外套のようなものを着ていった方がいいな。で、その服だが...」


と、もとは綺麗な青色に染め上げられていたであろうドレス、少なくともその残骸を見る。


「服を含め、貴族だとばれるようなものは、足がつかないようにここで燃やしていった方がいいだろうな」


それをきいたセシリアは、悲しそうな顔をしながらも既に薄々覚悟をしていたようだった。


「あの、このくらいの大きさの物なら手元に残していてもよろしいかしら?」


おずおずとそう申し出たセシリアの手には、やや古びた銀のロケットが握られていた。この手の装飾品の中には自身にとって大切なものが保存されていることが多いが、その中に入っているのは母親の形見かそれに類するものだろうと想像がつく。


「ま、普段人に見せなければ、それくらいなら構わない」


そう聞くと、ほっと露骨に安堵した様子を見せるセシリア。


「で、ひとまず今夜はこの小屋で過ごすことになるだろうが、明朝は日の出とともに発つ。行き先はこのまま南の街道を進んだ先の小さな町だ。実をいうと俺がもともと立ち寄ろうと思っていた町なんだが...」


「そういえばカイエン...様は」


「カイエンでいい」


貴族生活の習慣なのだろうが、様などつけられたことなどない身からするとむず痒いだけだ。


「あの、カイエン、はもともと何をしていたのかしら?」


その質問に対し、俺は簡潔に所属していた傭兵団が解散し、当てのない旅に出るつもりだったと説明した。簡潔に過ぎたかとも思ったが、一応はそれで納得してくれたらしい。


「で、旅にかかわる物資なんだが、もともと一人分しかないから多少切り詰めつつ次の町で補給することになるだろう。旅の資金に関しては団が解散した際の報酬が残っているからな、しばらくは持つだろう。ただし、それが尽きる前に金を稼ぐ手段を考えておく必要がある。まず一つはこいつと―――」


ポンと剣を軽くたたき、次に目線をセシリアに向ける。


「な、何を考えてッ!?」


いらぬ方向に心配をさせてしまったようで、少し苦笑いしながら訂正してやる。


「いや、確かにあんたは器量もいいだろうが、そんなことよりもっと他の奴にない力があるだろうが」


と、そこまで言って、ようやくセシリアは勘違いに少し顔を赤くする。


「わたくしの力で、どうやってお金を...?」


「まあこれは半ば()()なんだがな、まず次の町についたらこういうもんを用意するんだ――――」


と、その夜はできるだけ直近の行動計画を立て、出立に備えて早めに寝ることにした。


ちなみに寝場所は俺が寝床を使い、セシリアが床に毛皮を敷いて寝ることになった。場所を替わろうという俺の申し出は、一応俺が怪我人だからという理由で頑固にも断られた。


甘やかされたお貴族様と思っていたが、意外な一面もあるのだな、と妙な関心をしながらその日は眠りについたのだった。

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