帰還、そして新たな問い
薄暗い夕焼けの中、リナは石の床にうつぶせで倒れていた。雨は降っていない。恐る恐る顔を上げると、そこは観光客がいるアゴラの遺跡らしき場所。あの「現代」の観光地そのものの光景が広がっている。
どうやら、もとの時代に戻ってきた……?
あたりには数名の観光客がいて、リナが突然地面に倒れこんだので驚いた様子だ。誰かが「大丈夫?」と英語まじりで声をかける。どうやら打撲もなく、身体は無事のようだ。
立ち上がり、まるで心ここにあらずの状態で周囲を見渡す。夏の夕暮れに、遺跡が茜色に染まっている。気がつけば手元には割れた石版の欠片が握られていた。中央からひび割れたようになっており、文字の一部が欠けている。
同時に、もう一つ小さな木簡のようなものが服のポケットに入っていた。木片の表面には、古代ギリシャ文字らしきものが走り書きされている。読み解こうとすると、どうやらソクラテスからの短いメッセージのようだ。
「よく問え、さすれば道は開かれる」
それは、ソクラテスがいつも繰り返していた言葉に通じる。リナは少しだけ笑みを浮かべた。それを見た近くにいた観光客が、「本当に大丈夫?」と心配そうに声をかけてくる。
「ええ、大丈夫です。ありがとう……」
リナは弱々しく手を振って、すこし離れた石段へ歩み寄った。頭の中では、シンポジオンで語り合った熱い夜、問いを突きつけてきたソクラテスの眼差し、プラトンやアリストテレスの笑顔が渦巻いている。まるで現実感がなく、夢だったのではないかと思えるほどだ。