道中ころされそうになったり
時は少し遡る
視察で巡っている時の事だ
旅のついでにこの機会に一見広大に見える土地がどこまで続いているのか、全体を見てみようと思った
我は人通りの無いところに出ると、誰も見ていない事を確認し、宙に浮かび遠くの方まで眺めやる。すると、この陸地の限界、すなわち海に面する地形が見える。我はその海岸線まで一気に飛ぶ
既に二回滅びたこの世界は、前回には全てが海に沈んだ
そこに新たな土地を作った。これは物理的には大きいように見えるが、実際には中つ国よりも密度が希薄であるが故できる体験は小さいのだ
海岸に着くと、そこは切り立った崖で、誰も海には近づけない。土地も岩だらけで、食用になりそうな植物も生えていない。上手く出来ている。これならば滅多に海に出るものもいないだろう
水平線はあるが、人々はその向こうへ興味を持たぬ。とてもいい感じだ。やるな、宇宙の奴。まあ、元は我の降ろした知恵なのだが…
それでも人が海の外へ漕ぎ出そうとするなら抵抗が生じて嵐が起きる。だが人の望みを妨げないという鉄則があるので、真に新天地を目指そうとする者がいたならば、その時はその時だ。既にある土地のコピーを作って、行く先に敷いてやる。その分新しい土地には何らかの不完全が生じ、体験は希薄になるが、またそれが何かを生み出すかも知れぬ。それでも人々が新しい土地を求め続け、限界を超えたら、土地の拡大が叶わぬ事をどうやって解決する?ふうむ。球かな…。だがそれはまだ当分先の話だ。宇宙はこういうカラクリを考え出すのが得意と見えるから、このまま任せておけば良いだろう
試しに崖の下まで落下の速度を調整しながら降りてみる。そこには僅かだが砂浜があり、上から見ると全く何も無いと思われたところに、カニやら貝やら生息しているのもわかった。だがこんな何も足がかりのない所へ降りるような命知らずもあるまい。そう思って降りて来た崖の岩壁を振り返ると、波に削られたと思しきところに、洞窟がある。洞窟か。何か動物が棲んでいるかも知れないな
そんな事を考えながら、洞窟の入り口にある杭の様なものに気付いた。それは五つ等間隔で丸く並び、それを更に綱で渡してある
何だっけ、この並び方の紋様。嫌な予感がするな…
その時だ
我の本能とも言うべき警戒心が急速に高まり、思う間も無く、我は高く飛び退った。つい先程まで我が居た場所を残光が走っていた
舌打ちが聞こえる。この気配は…
「ネシか」
姫君と似た感じの女が鋭利で長い刃物を持って、恨めしげに我を見上げている。似ているのは背格好だけで、顔付きは全く違う
「わかりましたか、流石は愛しい大君。避けずとも構いませんのに」
この女はネシだ。忌まわしい事に、姫君と同じ言葉づかいで話す。同じ記憶もある程度持っている。仕方ない。姫君から派生した一種の分身だからな。会うのは何度目だ?三度、いや五度目か?初めて会った時には一瞬でバラバラにされてしまったから、その辺り記憶が曖昧だ。何しろ気づいた時には死んでいたからな。当時は我をころせるものなど存在する筈もないので、警戒などしたこともなかった。姫君の声色で誘い込まれたし。肉体が命の寿命によらずに死ぬと言うのは新鮮な体験だったが、そうも再三味わいたいものではない
「我は大君ではない。人違いだ」
「そのような他愛ない嘘を。匂いでわかりますわ。降りてきて素直に我が愛を受けていただけませんか」
我はぞおっと寒気がして身震いする。この我に恐れを抱かせるとは…
我はため息をつく
だが飛んでいる限りは安全だ。彼女は見えない鎖に繋がれている。行動範囲はごく狭い
「悪いが、我には他に愛する者がいる。それは其方ではない」
我は冷や汗を流しがなら、距離をとる。というか、腰が引けて、無意識に後退してしまう。
彼女は姫君の狂気の人格だ。遥か昔、その人格が暴走する前に、姫君は自分から生み出された狂気を切り離し封印した。そうしなければその人格は(我もろとも)人々を消滅させる危険性があった。人々に直接の報復をすることは我らの役ではなく、理と愛がすることだ。人格が姫君の力を一部供えているが故にその力も強大で、封印するにも姫君は一定量の力を消耗し続け、心の一部を失った。五つの杭の紋様は封じに使ったものだ
また、恐ろしいことに、彼女は我に執着する。我をバラバラにしてコレクションすることが最愛であると勘違いしている。想像するも悍ましいが、ネシの部屋には我の身体から剥いだ皮で作ったソファーや骨で作った椅子がある…。ぶるぶる、これ以上は考えたくない。
あの刃物も我が骨から作ったものだ
「貴方が私にした事を返して差し上げるのです」
しまった、心の声を口にしていたのか
“風よ、あの女に声を運ばなくとも良いのだぞ。なぜあれの言うことを聞く”
すると精霊が答える。風の理を管理する精霊だ
”姫君ではないのですか?”
”違う、全く違う。見ればわかるだろう”
”見てもわかりませぬ。…我はその見た目を見えませぬ”
精霊は戸惑っていた。彼らは物理的な見た目で判断していないからな
”何で区別すれば良いのですか?”
”我が恐怖を抱くかどうかだ。以後彼女の命令を聞かぬように”
”御意”
精霊は答える
確かに民衆はあの時姫君の命の大元のエネルギーを要求し、姫はそれに逆らえなかった。結果姫君は身体を解体され実験に使われ、危うく全てが消滅するところだった。だがそれが何故我のした事なのだ。身に覚えが無い
我はその地を後にした。いやはや、危なかった
風を通じて宇宙に呼びかける
「宇宙、なぜあそこにネシを住まわせるのだ」
宇宙からの返答があった
「あそこならば誰も来ないからです」
我はため息をつく
まあ、地の果てを見てみようと思ったのは我だからな