働いてたのにヴァカンス?
翌朝、紹介された倉庫へ出向くと事務所に一人の人族のお爺さんが入り口の奥にある事務机に座っていた。それ以外は誰もおらず、我はその人に声をかけた
「今日からここで働くことになったオーマです」
「おお、そうかえ。よく来なさった。さあ、こちらへお座りください」
そのお爺さんは立ち上がり、ここへ座れと言う。我はよくわからなかったが、取り敢えずそこへ座った
「それで何をすればいいのですか」
「社長じゃよ」
「社長?」
この会社は従業員が3000人位いるそうで、王都を中心に各都市を結ぶ配送業をやっているそうだ。
「何故我なのですか」
「パラキス将軍閣下に我の後釜を見つけて欲しいとお願いしておったら、適任が見つかったと連絡があってな。いやあんたが来てくれて良かったよ」
ちょっと待て。なんで我が社長なんだ。てっきり荷運び人かと思っていたが。パラキス謀ったのか
「パラキス将軍閣下から、あんたは社長に向いていないと言われてな。気乗りしない仕事を嫌々してはならんから、後釜を見つけると言って下さったのじゃ。いや、ありがいありがたい」
風に聞くと、我は社長か王のどちらかしか仕事がないという。それでは魔王と同じではないか
「それじゃ、あとは好きにしておくれ」
そう言うとお爺さんはスキップをしながら出ていった。我はそれを唖然として見つめていた
まもなく従業員と思われる人々が出勤してきた。何故か我がお爺さんがいた机に座っていても、誰も何も言わない代わりに、相談にやってくる
「社長、先日の件はどのように対処しますか?」
そんなことを急に言われてもわかる訳ないだろ。我はその先日にはいなかったのだぞ
仕方がないので風にきく
「それは先方に請求書を送れ。我が手紙を書くからそれを付けるように」
「わかりました」
こんな感じで次々人がやってきては聞いてくる。我はその度に風に聞いては対処していく。午前中はとても忙しかったが、午後になると人が来なくなった。すると秘書と思われる人がやってきて
「すごいですね、社長。ずっと先送りされた案件が全て片付きました」
目をキラキラさせながら言ってくる。我は単に風に聞いただけだ
「そんな事はない。風に聞けば誰にでもできるようになる」
秘書だけでなく、重役達もその方法を教えてくれて言ってくる。仕方がないので、パラキスに指導できる人材を送って欲しいと風に伝えると、何故かパラキスがやって来た
「パラキス、お前が来て魔王軍の方は大丈夫なのか?」
「魔王、いえオーマ様の要請を私が受けない道理はありません。直ぐに使える人材に作り替えますので、しばしお待ちくださいませ」
何か不安な言葉を聞いたように思ったのだが、パラキスに任せることにした。
パラキスが来てから、従業員の我を見る目が変わった。何か偉大な人を崇めるような感じで接してくる。どうしたものかと思っていたのだが、暫く様子を見ることにした。
我は各地にある倉庫も気になったので、そちらへ出向く事にした。まさか我の目の届かないところで魔王国の住民に被害が出たりしていなか心配だったことと、人族の中でも差別的な扱いを受けている人がいないかが気になったからだ。我は密かに各地の倉庫へ空を飛んでは、お忍び視察に出向いた
結論から言えばそれは杞憂だった。各地の倉庫は我がいる倉庫同様、皆何故か生き生きと仕事をしている。街や市場での人々の話を聞いていると、ここ最近、倉庫で働けることが一種のステータスになっているようで、そこに勤めていると周囲から羨望の眼差しを向けられるらしい
「あの倉庫で働けるなんて羨ましいよ」
我がある地の食堂で、隣の席にいた二人組の青年の会話が聞こえてくる
「ああ、俺も誇らしいよ。なにせ風神のパラキス将軍閣下様が直接指導している倉庫だからな」
「そうなのか?」
「王都にある本社に常駐されているそうだ。何でも風の声を聞こえるように重役の人を指導されたそうだぞ」
「それは羨ましい」
「だろ?俺ももっと出世して王都の本社へ行けるように仕事に気合を入れる」
パラキスは人族の間で有名なのは知っているが、人族の隅々まで有名なのには驚いた
「ところで社長が交代したと聞いたが?」
「ああ、そうらしい。一見普通のおじさんだけどパラキス様が崇めているお方で恩人だと本社で話題になったそうだぞ」
「崇める?」
「パラキス様がこの方こそ生き神様だと」
「へぇー。普通のおじさんなのに?」
我は今は魔王であって神ではない。一体パラキスは何を言っているのか。一度きっちり話をつける必要があるようだ
我はため息しか出なかった
それからなんだかんだ10年も社長業をやってしまった。会社はますます大きくなり、人族の国々を繋ぐネットワークが構築された。もはや一国の企業ではなく、多国籍企業になってしまった。
人族の中にはこの企業を使って戦争を起こそうと目論む者まで出て来たのだが、愛がそれを許すはずもなく、全て潰されてしまった。
それが各国の指導者に絶対的な信頼感をもたらし、今やどこの国もこの会社に手をつけようとするのはご法度になった。要するに人族界の中立企業だ
国同士が戦争中だろうとこの会社に手を出すものはいないので、援助物資の運搬や怪我人の輸送を担うという、人道的な役割?を担う、我にとってなんとも言えないことまでするようになった
我はいい加減飽きて来たので、他の者に社長を譲ろうと思ったのだが、適任者がいない
「パラキス、我は飽きたので社長を誰かに譲りたいのだが、誰か居らぬか?」
「では牛殿では如何でしょう?」
「能力的に適任だが、人族が牛の指導に従うはずがないだろう」
「それもそうですね」
仕方がないので、愛に尋ねるとイナ国の前国王コインが適任だという。我は風でコインに話をすると、引き受けると返事がきた
数日後、コインが本社のある倉庫にやってきた。我を見て笑顔を見せるが、少し白髪が増えていた
「魔王殿、ご活躍のようでございますな」
久し振りに会えてコインは嬉しそうだ。だがそれ以上に、第一線に戻れる事を喜んでいるように見える。これなら再び若返るだろう
「やめてくれ。我は視察のつもりで社長をやっただけだ」
「人族の誇りとまで言われる企業ですぞ。我も魔王国の誇りに掛けて行いましょう」
「ここは人族の企業だぞ」
コインは笑って
「人族の真逆をやる、とても良い訓示となりましょう」
と胸を張った
やめてくれ
我はため息しか出なかった
久しぶりに魔王国の家に帰り寛いだ。やっぱり自分の家は良い。牛や山羊達が働いている姿を見ると心が和む
「魔王様、仕事が沢山溜まっているので、すぐに書類の決済をしてください」
「人が感慨に浸っている時に無粋な真似をすべきではないぞ」
我は牛に向かって文句を言う
「人族の社長を10年もやってヴァカンスを楽しまれたではありませんか。こちらはずっと働いています」
「遊んでいた訳ではない!」
と力説しようとしたら、牛は我の話を最後まで聞かず
「魔王様は魔王が仕事です。それ以外はヴァカンスです」
ときっぱり言い切った。我は自分の思いつきを、これ程後悔したことはなかった
それからウズ高く積まれた書類を決済し(我がいない間、この書類を待っている者達は何をしていたのか問い正したいと思ったが、「そんな時間はありません」と牛がそれを許してはくれなかった)、そのように滞っていた件を処理し続けて一年も経つ頃、やっと正常に戻った
ヴァカンス…vacances(仏)長期休暇、何もしない事。語源はラテン語Vuoto 空っぽの意味