閑話 薬草入りクッキー
その日は、珍しく用事が何も無い日だった。
いつもはアレクがリリアナや他の使用人にグレイがするべきことを言付ける。
しかし今日はアレクが政務で王都に出かけており、その言付けがない状態だったのだ。
「ひまだ……」
ベッドの上でゴロゴロと転がったグレイは、リリアナが浮かない顔をしていることに気がついた。
「どうしたの?」
「その……私には弟がいるんですが……最近、風邪を引いてしまったみたいで」
リリアナには大勢兄弟がおり、家族は王都に住んでいる。
そしてその家族を養うため、リリアナはエルドリッチに出稼ぎに来ているということを、グレイは以前聞いたことがある。
「熱自体は大したことはないみたいですが……お医者様から処方された薬を飲まないみたいで」
リリアナは悩ましげにため息を吐く。
「まあ、子供は嫌いだよね、薬」
グレイはリリアナの言葉に頷く。
薬屋を営んでいたグレイの元にも風邪を引いた子供は大勢やってきた。
しかしそのほとんどが、薬の独特な匂いを嫌がって飲まなかった。
どうやって子供に薬を飲ませるか、四苦八苦したものだ。
「……ふーん」
リリアナの話を聞いて、グレイの頭に浮かぶものがあった。
「よし」
ベッドから起き上がると、紙にさっとあるものを書き写し、とある場所へと向かう。
リリアナがグレイへと訪ねた。
「どこへ行かれるんですか?」
「厨房」
「厨房なんて、何を……」
「ちょっとね」
リリアナの質問に、グレイはニヤッと笑ってそう答えたのだった。
厨房にやって来たグレイとリリアナ。
テーブルの上には様ざまな薬草と、卵、小麦粉、バターなどが並べられていた。
腕まくりしていると、リリアナが質問してきた。
「グレイ様、何を作るんですか?」
「薬草入りクッキー」
「薬草入りクッキー?」
リリアナがキョトンとした表情を浮かべた。
材料と道具を用意したグレイは、手慣れた様子でクッキーを作っていく。
「母さんから教えてもらったレシピなんだけど、私も薬が飲めないとき、よく作ってもらったんだよな」
「えっ!? お薬が飲めないグレイ様、かわいい……!」
リリアナが嬉しそうな悲鳴を上げた。
なんでそうなる。
グレイは心のなかでそうツッコミながらクッキーを作り始めた。
そして約一時間後。
「はい、これで出来上がり」
「わぁ……!」
テーブルの上には焼き立てのクッキーが皿の上に並べられていた。
グレイはリリアナにクッキーを渡す。
これでも、グレイはリリアナに感謝している。
自分がもとは平民だと分かっているのに、専属メイドとして、仕えてくれているのだから。
これでちょっとは恩返しできたかな、と考えていると。
「グレイ様の手料理……感激です」
「いや、味見してよ」
グレイが突っ込むと、リリアナはようやく薬草入りのクッキーを食べ始めた。
クッキーを一口齧ったリリアナの目が、大きく見開かれる。
「お、美味しいです……!」
「それはよかった」
グレイも一つ手にとって齧ってみる。
クッキーを口の中にいれると、薬草の爽やかな苦味と、甘みが絶妙に調和し、まるでそよ風が吹く草原の中にいるような心地よさが広がった。
これならハーブクッキーと言って食べさせても気がつかないだろう。
その上味も香りもよく、その上薬草をてんこ盛りで入れているので、身体に良いことは保障されている。
「薬草独特の臭みも全然感じませんし、後味も清涼感があって……これなら弟も食べられると思います」
「良かった。じゃあレシピ、あげるよ」
グレイはレシピを記した紙をリリアナへと差し出す。
「えっ、頂いてよろしいんですか?」
「うん。元々そのために作ったし」
「でも、そんな物をいただくなんて……」
「いいのいいの」
グレイはレシピを押し付ける。
「こんな素晴らしいレシピをいただけるなんて……ありがとうございます」
リリアナは感激したようにグレイへとお礼を述べた。
グレイはもう一口クッキーをかじる。
(うん、美味しい。さすがは母さんのレシピだ)
久しぶりに作ったが、上手く出来ている。
この城の厨房の設備は、グレイの家とは比べ物にならないくらい素晴らしいので、それも関係しているのだろう。
自分でも上手くレシピを再現できたことに満足していると。
横から手が伸びてきて、皿の上のクッキーを一つ取っていった。
振り返るとそこにいたのは。
「アレク様」
アレクがそこには立っていた。
グレイが知らない内に政務から帰ってきたのだろう。
「ふむ、うまいな」
アレクはクッキーをひと齧りして、感想を述べた。
「また作れ」
そしてアレクはそう言い残して去っていった。
なんだったんだ、今のは……。
グレイがアレクの背中を見送っていると。
「良かったですねグレイ様!」
リリアナがグレイの手を握る。
その後、興奮した様子のリリアナから教えてもらったことによると、アレクは甘いものが苦手で、滅多に甘いものを食べないらしい。
だからこそ、アレクに「また作れ」と言われるのは、最上級の褒め言葉なのだそうだ。
どうやらこの甘すぎない薬草入りのクッキーはアレクのお気に召したらしい。
(褒めるならもっと分かりやすく褒めればいいのに)
リリアナはきゃあきゃあと盛り上がる傍ら、そんなことを考えていた。
それからたまに、アレクはグレイにクッキーを作ってもらうようになったのだった。