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月夜のアコーディオン

作者: 満月倶楽部

月灯りのふんわりと輝く夜

冬の終わりをつげるような

仄かな温風がガラス戸のすき間から部屋に流れこんできた。

煎餅布団の上にひとり横ばいになっていた男は、

なまめかしい月の吐息に頬をさらされて

めずらしく、ふいに人恋しい気持ちになった。

「町に出てみようか」

本棚の上に放り置かれた、古い小倉織のコインケースを手に取って開けて見ると、中には百二十六円きりしか入っていなかった。

男は押し入れを開けて、くたびれたアコーディオンをひっぱり出すと、

木造アパートのペンキの剥がれ落ちた階段をカツンカツンと急ぎ足で駆け降りていった。

アパートの窓々からは、頭上に浮かぶ月灯りもよそに、まばゆい光がこぼれ出していた。

「ニッポン、ニッポン」「USA、USA」

スポーツの実況中継か、はたまた近頃、飛び火するように広まりはじめた防衛戦争とやらの実況中継か、判然とはしないけたたましい音が漏れ聞こえてきた。

また、30たぶんの独身女性が住んでいる下の階からは、宇多田ヒカルの歌がもっと大きな音で鳴り響いていた。

「女ってのは本当に宇多田ヒカルが好きだよなぁ」

背中ごしにそんなことを思いながら男は、女は戦争を嫌い平和を望みながらも、武器を手に戦場で血を流さない理由を知ったような気がした。


夜でも町は黒山の人だかりだった。

開催を危ぶまれさえした大阪万博の歴史的な活況のせいだ。

目玉はJAXAが月の鉱物を採取しようとして偶然発見した、

「月のウサギのフン」だ。

初めてカメラが月のウサギの姿を捉えた時、巨大モニターの前に座っていた研究員たちは、全員がかつて青春を捧げた高専ロボットコンテスト以来のような興奮状態に包み込まれた。

UFOキャッチャーのようなロボットアームがガチャガチャとうねるのを器用によけながら、ウサギたちはクレーターの縁の掘られた洞穴に入ったまま出てこなくなった。

アメリカ人の学者が言うには、おそらく冬眠状態に入ってしまって、次出てくるのは2600年くらい先だという。


日本経済は回復したと言われながらも、急激な物価高騰はとどまるところを知らず、まだ若い者たちまでも路上で暮らす様相を呈していた。

人々は先行きの見えない不穏な世の中で、何とか人生を謳歌しようと必死だった。

「お月見団子はいらんかね」

「保護ウサギのカフェはこちらだよ」

男は喧騒の波間を縫うようにして歩きながら、少し離れた道端にたどり着いた。

路上では、学生服に丸い黒縁眼鏡をかけた男が絵を売っていた。

見ると油絵で描かれた雀の絵ばかりが並べられている。

ミミズをついばんでいるのやら電線に並んでとまっているのやら。

「今ならウサギの方が売れるでしょう」

烟草にマッチで火をつけながら声をかけると、学生帽のつばをつまんでむすとした声で「僕は雀しかやらんです」と答えた。

男は学生の顔つきを見て、いつの日か見た無言館の自画像を思い出した。

それから何も言わず隣に座ってアコーディオンを弾く準備をはじめた。

お互いに人と言葉を交わしたのが久しぶりだったから、変に気遣わしさを感じることもなかった。


いくど目かの恋

形を変えて繰り返される運命の恋

月夜の晩の帰り道 君の横顔を見ている時

僕の耳元に鏡でよく見た道化師が、

揶揄うように囁いた。

ニセモノなんかじゃない

そう言い返したけど

ホントウは、僕の瞳の奥に映るのは

君の笑顔じゃなく

僕自身の幼い泣き顔だったのかもしれない。

だからまた満たされることもなく、アルバムの中で色褪せていく

顔も思い出せなくなるくらいに。


60年代のフォークに影響を受けたオリジナルソングが悲しそうに響いた。

人々は足を止めることもなく、歌は雑踏にかき消されてた。

気づいた時には、隣の画学生も居なくなっていた。

置き手紙があった。

「憐れみの屈辱よりも傷つくことの恐れの方が、まだ美しく死ねると思います。僕は物乞いにはなりたくありません」


夜店で売られていたカップ酒に抗精神薬を溶かしたのをひと息に呑み干した。

紫の月が嗤っている。

夢現の中で、十八番の山月記の歌を弾き鳴らしたはじめた。

歌いながら、考えた。

「李陵の奴は虎だったが、俺はウサギだったんだ。弱っちい白くてマシマロみたいな。

だから、臆病な自尊心と尊大な羞恥心みたいなカッコのいいやつじゃなかった。そんなに頭がいいのじゃなくて、もっと普通の、最近よくある思春期をこじらせたプライドみたいなやつだった。

それで働くのが恐かっただけなんだ。」


雑踏の中から顔を突き出した犬がワンッと吠えた。

僕はびくっとして目を覚ますと、慌ててアコーディオンを持ち直した。

そして、リクエストに応えるようにして「犬のおまわりさん」を演奏しはじめた。





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