夏祭りまで一ヶ月
私の地元大阪市平野区は中世の環濠集落で栄えた平野郷からその区名がついています
遡れば桓武天皇の平安時代に征夷大将軍となった坂上田村麻呂の子あるいは孫である広野麻呂がこの地を領土とし開発したところから平野と名付けられたと言われています
坂上広野麻呂の居住した跡も墓もこの地にあります
平野郷はこの地の住民により戦国時代も独立した自治を行い戦乱の世をくぐり抜けてきました
豊臣秀吉が天下人となり豪商を誇った平野郷の商家に、大阪城の城下町へ移住するように指示が出ると、平野郷はそのままを保てるように工夫しながらその指示に従いました
その移住先が今の大阪市中央区平野町という辺りであり平野という地名が残っています
また、広野麻呂の子孫は七名家と称され代々平野郷の各地域の庄屋として継続し、中でも七名家筆頭の末吉家は大阪市内に末吉橋をかけた名家でもあります
この平野郷には融通念仏宗総本山の大念仏寺を始め寺院がたくさんあります
また、坂上氏の氏神としてそして平野郷の氏神として杭全神社があります
この「杭全」という地名は難読漢字としても有名な所で「くまた」と読みます
杭全神社は元熊野権現社でしたが、広野麻呂が牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請し、祇園社として第一本殿を創建したのが最初と伝えられているようです
京都の祇園社であります八坂神社の夏祭りで全国的に有名な京都三大祭の一つの祇園祭は7月に行われますが、この平野の杭全神社の夏祭りも7月に行われるため同じ素戔嗚尊を祀る祇園祭と同じなのではないか?と考えています
平野郷の夏祭りは7月11日~14日まで行われます
11日と14日は神輿と布団太鼓台が平野郷の町内を練り歩きます
そして12日と13日には9台の地車が町内を練り歩き13日に宮入りを行いクライマックスの大盛りあがりを見せます
この9台の地車は七名家がある各地域にあるのですが、筆頭の末吉家が住む地域は北、東、南と3つに別れて3台の地車があります
この9台の地車が毎年順番を繰り上げながら宮入りを行います
また、宮入り一番町の地域が布団太鼓台の担当をし、同二番町の地域が神輿の担当をします
6月に入り地車の車庫の扉が開けられ集まった誰もが笑顔で地車のメンテナンスをしている姿も見かけるようになりましたし、もうすぐ試験曳きが始まります
杭全神社の大鳥居は大阪市から三重県四日市市を結ぶ幹線道路である国道25号線に面して建っています
普段から交通量の多い道路なのですが、この宮入りの日は夕方から深夜まで通行止めとなります
何も知らずにここを通り掛かってしまった車は迂回路まで大渋滞でほんと悲惨以外の何ものでもありません
7月12日~13日、特に宮入りの13日はこの辺りを車で通られないことをお薦めいたします
私も小学生の時は学校から帰ってくると地車を曳きに行きました
支援してくださる各地域内の家があり、その前で休憩と称してアイスキャンデーやらジュースをいただきました
その頃はまだ夏祭りと言っても地元の住民やここで生まれ育っていまは違うところで生活している人達が帰ってきて騒いでいたので、地車のすぐ近くまで寄ることができました
ところが今はあまりに有名になりすぎて多くの観光客の方がお見えになり人が溢れてしまい安全面から地車に近づけなくなりました
子供の頃からこの祭りを知っているものとしては、そこが寂しいところなのです
実は人が増えすぎたので国道25号線も通行止めになってしまった経緯があります
12日は午前9時頃より各地域をそれぞれの地車が練り歩きます
そして午後9時45分より南港通に9台の地車が集結して合同曳行と称してパフォーマンスを繰り広げます
これは私が子供の頃はなかったのですが、やはりエスカレートしてきている所以です
13日は午後11時頃より前日と同じように練り歩きます
そしていよいよ午後7時より宮入りが始まります
大鳥居の前の国道25号線上で各地車が30分かけて宮入りをします
大鳥居をくぐってしまうともう外へ戻ってこられないので、入ると見せかけて手前で寸止めしたり、舞舞と称した地車が回転するパフォーマンスが繰り広げられます
これが9台で行われるのですから4時間半かかります
大阪市内の地車祭りとしては保有台数が一番多く盛大な祭りです
何よりこの祭りに来るととても元気をもらえるのです
個人主義が当たり前になり、誰とも関わりたくない風潮が広がっていますが、この各地域の老若男女の住民が結束して力を合わせ地車を曳行して最高のパフォーマンスを繰り広げている姿を見るとやはり人は群れてこそ最高の笑顔になれるんだ!と実感しています
祭りが終わると
「よしまた来年だ!」
と一年が始まるのです