誇り高きルディラント・第九話① 国想う愛の果て
ルベルの街を疾走する二人を、多くの民が笑いながら見送った。住宅の窓から顔を出し、道行く人々は足を止めて笑顔でエールを送り、時々二人に続いて駆け出す人もいた。
二人は誰の呼びかけにも答えず、大通りを駆け抜けた。一直線に向かうのは、王都ルベルの中心にして王の住まう場所、時を刻む丘ルベルの象徴たる時計塔である。
広場に駆け込むと同時に、総司はリバース・オーダーを抜き放っていた。
時計塔の前で仁王立ちし、待ち構えるのは、王ランセム。傍らには相変わらずの柔和な笑みを浮かべて、エルマが静かに佇んでいる。
広場の中にまで住民たちが入ってくることはなかった。時計塔とその広場を取り囲む家に皆が詰めかけて、総司とリシア、そしてランセムとエルマを見守っている。
「戻ったか」
深く響く、迫力のある声だった。いつものフランクでユニークな雰囲気は、どこかへ忘れてきてしまったようだ。
目の前に立つ王の気迫は総司とリシアの想像を超えるそれで、二人は覚悟を決めていたはずなのに、気圧された。
「答えを得たか、ソウシよ。得た答えがお前さんを、剣を構えるよう突き動かすか」
「はい」
総司が答えた。王の覇気に気圧されながら、それでも力強く。
今目の前にいる男を、いつもの王だと思ってはならない。ともすれば危険とすら感じる、異常な気配が醸し出されている。だが、ひるむわけにはいかない。
「これが俺たちの出した答えです、王ランセム。どうやら俺は、あなたを斬らなければならないらしい」
「“らぁしぃいぃ”だぁ?」
王がぐーっと眉を吊り上げて、気に入らなさそうに言った。
「この期に及んでなぁにをたわけたことを抜かしとるんだ、青二才が!」
王の裂帛、凄まじい気迫。広場の空気がびりびりと震えた。
「一国の王に刃を向けるとは、これすなわち“反逆”である! 処刑も免れ得ぬ大罪だ! それほどの行いをしておきながら、何が“らしい”だ! 半端な覚悟で我が前に立つな、殺すぞ!!」
「ッ……! 失礼致しました――――あなたを斬らなければならないと、結論を出しました、王ランセム!」
「リシアァ! お前さんも同じ意見で相違ないな!」
まさに鬼の形相である。甘えを許さぬ王直々の怒号に対し、リシアもひるまなかった。
「はい――――私たちは“終わらせる”ことを選びました。覚悟は決まっています」
完成された一国の王の気迫は、レブレーベントで対峙した、怒り狂ったアレインのそれとはまた別種のものだった。王から発散される正体不明の力は、魔法でも何でもない。単なる気迫であり、王がその生涯を通して獲得した「強さ」だ。強い魔力を感じるわけでもなく、魔法の力がそこにあるわけでもないのに、圧倒的な力を持つ総司をただ覇気だけで震え上がらせる。
「良かろう」
びりびりと底知れぬ気迫を纏ったままで、ランセムが重々しく言う。
「真実に至ったのはリシア、お前さんだろう。聞かせてもらおう、お前さんが辿り着いた答えを!」
ズンと重く響く声。ランセムは一言一言を、二人へと叩きつけるように響かせる。秀でた才と稀有な力があろうとも、ランセムにとっては所詮子供である。
リシアが一歩前へ進み出る。
その横顔に刻まれるのは、確かな決意と、わずかな悲愴。ランセムの燃える瞳にひるむことなく、強く見つめ返して、リシアが口を開いた。
「ルディラントは千年前、ロアダークによって滅ぼされました」
「誰が史実を辿れと言った。わかりきったことだ、それで終いか!」
「はい、言葉通りです」
ランセムが目を細める。エルマの笑顔がわずかに陰り、ランセムと同じくリシアを見つめる。リシアは大きく深呼吸して、告げた。
「千年前に滅び、王の仰る通り“それで終い”だったのです。そこから先の歴史はない」
「……お前さんも所詮青二才よ。そこのつまらん男と同じだ」
ランセムは呆れたようにため息をつき、再びがっと強い目をして怒鳴った。
「今この時に至ってなお、何を迷っとるか、愚か者!!」
リシアがびくっと肩をすくませた。
「結末は知らんが事実は変わらん! 誰よりお前さん自身がわかっとるだろうが!」
「リシア!」
総司が叫ぶ。
迷いを断ち切ったつもりで、いざこの時が来てみればなんともろいことか。リシアは自嘲的に笑い、バチンと自分の頬を両手で叩いた。
そして再びランセムを見て、今度こそ、彼女が最も早く辿り着いた答えを告げる。
「このルディラントは“幻想の国”、かつて滅んだ国の幻影――――ランセム王が最後の魔法で以て創り上げた、かつてのルディラントの“再現”です」
何かがひび割れる音がした。
総司がぱっと空を見上げると、晴れ渡る青空に亀裂が走っていた。
千年前に滅んだはずの海上国家ルディラント。伝説の国の正体は、王ランセムが魔法によって創り上げた過去の“再現”。
ルディラントは千年前、ロアダークの侵攻によって確かに滅び、そして復興された事実はない。王ランセムは生涯最後の魔法で、滅びゆくルディラントを写し取り、住民の魂の残滓を捕らえ、この世界に楔として打ち込んだ。
王が、この国の中で起きるあらゆる出来事を把握できるのも当然だ。ルディラントという国そのものが、王ランセムを使い手とする規格外の規模の魔法なのだ。その中で起きていることを把握できても何ら不思議ではない。この国はまさに、使い手たるランセムの思い通りなのだから。
一千年もの間、王ランセムの魂は世界にとどまり、魔法を発動し続けた。二人がこの国を訪れなければ、世界そのものがいつか滅びるその時まで、ルディラントの幻はこの世界に在り続けたことだろう。
時間の流れから切り離され、世界の理から切り離された状態で、それこそ未来永劫、ルディラントはかつてのままで在り続けたかもしれない。
だが、そうはならなかった。救世主がやってきたことで、その未来は潰えたのだ。
「然り」
びりびりと二人に迫っていた気迫がふわりと消える。
ランセムは、鬼の形相はどこへやら、屈託のない笑顔を見せていた。
「よくぞ辿り着いた。存外、遅かったようにも思うが、恐らくそうではないな」
ランセムは優しくリシアに語り掛ける。
「お前さんはたいていのことにソウシほど甘くはないが、誰よりも “ソウシに甘い”。それ故に口をつぐんだのだ」
王は全てお見通し。そんなことをかつて、ランセムが言っていた。
「……甘いのは、私だけではない。そうでしょう」
リシアがか細い声で言う。
ランセムの総司に対する接し方は、彼を導かんとする指導者そのものだった。軽々に答えを口にすることなく、総司に対して道の方角だけを指し示し、彼が自らの手で答えをつかみ取るよう整えた。
それが甘さでなくて何だというのか。ランセムは痛いところをつかれた、とばかり苦笑する。
「……あの日」
ランセムは目を閉じ、過去の記憶を辿る。
「わしはどうしても……どうしても、受け入れられなくてなぁ」
しみじみと、そんなことを言う。
平和な日常が突如として粉砕された、狂気の日。
総司は今ようやく、とある出来事の意味を理解した。
”真実の聖域“を探索しようとした総司とリシアは、その前に王から子供のお遣いのような仕事をたくさん頼まれた。荷運びをして、接客をして、動物と触れ合い、工業に携わった。王の依頼を通じて、ルディラントの民と触れ合い、今、多くの人々に見守られているような関係性を築き上げた。
それはきっと、王ランセムの望みだった。ランセムは総司とリシアに――――ルディラントを終わらせる者たちに見て、覚えてほしかったのだ。ルディラントがかつてここにあったことを、かつてここにあった日常を。最早誰も訪れることのない幻の国にやってきた、最初にして最後の客人に、ランセム自慢の街と人々を刻み付けてほしかった。
「無意味なことよ。愚か者はわしの方だ。わかっとるとも」
生命の理から外れた、ただ繰り返されるだけの日常を内包する魔法の国。あまりにも無意味な悪あがき。誰も幸せになることのない、その権利を剥奪された後の残骸に意味はない。
しかし理屈ではないのだ。ルディラントにとって、女神と接続するあの聖域が存在意義の全てだというのなら、王ランセムにとってはルディラントという国そのものが、王としての存在意義全てである。王ランセムの所業は女神が与える運命への反逆。暴力的な手段で以て自らの野望を達成しようとするロアダークとは別格の、誇り高き反逆者である。