誇り高きルディラント・第八話④ 最後の戦いへ
やがて三人は、小高い丘の上にあるあの塔へとたどり着く。
破壊される前の、在りし日の姿のままで佇む塔を登り、大きく開いた窓がある場所に辿り着いた。天井には王宮のある時計塔を描いた絵があり、なぜか部屋の中央には、お茶を楽しめるティーセットとテーブルが置かれていて、まるで誰か高貴な人物の居住スペースのようだった。
「……あれ……?」
白を基調としたセンスのいいテーブルと椅子のセット。それにティーカップにも、なぜか総司には見覚えがあった。レブレーベントで見たのでもない、ルディラントの王宮で見たわけでもない。このデザインを見たのは、もっと前――――
気づいて、総司は声を上げる。
「レヴァンチェスカ……!?」
一番最初、女神レヴァンチェスカに導かれて辿り着いた、あの謎めいた空間で。
総司はこの椅子に座り、このティーカップを使って、女神と初めてお茶をしていた。
「女神さまの……?」
「スヴェン、ここは――――!」
窓の外、遥か彼方に、天空に浮かぶ巨大な都市が見えた。
朧気にしか見えないが、美しい街並みだった。整然と整えられた、「盾」のような形をした空中都市。先ほどまでいた神殿と同じように周囲に白い石柱が並び、最奥には神殿にも教会にも見える巨大な建造物が見えるが、誰かがいるとまではわからない。遥か彼方の巨大な空中都市に圧倒され、総司とリシアは言葉を失っていた。
「女神の領域“ハルヴァンベント”。お前が最後に辿り着くべき伝説の地だ。壮観だろ」
「なっ……!」
「あれが……!」
「昔はここから見えていたのさ。千年前はな」
「そ、んなことが……!」
島を外から見たところで、あの都市が見える気配は微塵もなかった。しかし、彼方におぼろげに、確かに街が見える。
「女神は今ほど伝説の存在じゃなかったんだ。六つの大国それぞれに、女神の領域と接続できる聖域があった。気まぐれな女神と会うのは別の意味で苦労するが、ふとした拍子にここへきては、敬虔な巡礼者たちを相手にテキトーこいてたのさ」
「……あの文章は、レヴァンチェスカの……」
「そうだ。“今日は気分じゃねえらしい”な」
衝撃的な事実だった。かつて、下界と女神の距離はもっと近く、女神は身近な存在だったのだ。しかもルディラントのこの場所だけではなく、それぞれの国に似たような場所があり、女神の気が向いた時には会うことが出来た。
レブレーベントでは王族と重要な役職の者にしか知らされない女神の領域も、たとえ女神に会えなくとも視認できるほど近い場所にあった。“真実の聖域”とは、単に神聖なる場所、ウェルステリオスの住処ではなく――――女神の領域と接続するための、重要な場所だったのだ。
ランセムが言った「ルディラントの存在意義全て」の意味がようやくわかった。ルディラントにおいて最も重要な場所であったに違いない。
そしてこの場所は――――
スヴェンが指を鳴らした。窓の外が黒い風に覆われて、塔は途端にくすみ、崩れ落ちた廃墟となる。あたたかな日の光は消え失せ、最初の探索で見た時と同じ、物寂しいがれきの山へと変貌した。
「ロアダークの目的、世界と女神を切り離すってのは、つまりこういうことだ」
「女神と会える聖域を破壊して、この世界の住人が女神と出会えないように……女神に干渉されないようにするためだった……」
それ故に“解放者”。かつての名“スティーリア”、厳密には破壊の行われた時期には“ストーリア”と名を改めていたこの世界を、女神の気まぐれな支配から解放するために、ロアダークは反逆者となって女神に挑んだ。
「千年前の反逆以来、あの女神は世界に存在するハルヴァンベントへの道を全て閉ざした。誰もが女神の領域へと接続できる環境を維持するのは危険だと、その時にようやく気付いたからだ」
リスティリアの各国は千年前の事件をきっかけとして分断され、他国同士が必要以上の干渉をしない。それ故に文明の発展は緩やかで、国々によって全くその発展の仕方が違い、まるで独立したそれぞれの世界を確立しているかのよう――――だから、総司も失念していたのだ。
たとえ文明の発展が緩やかであろうと、千年前の世界と今の世界が、全く同じ常識のもとで動いているはずがない。千年前は、女神に気軽に会えることが「常識」で、当時の人々からすれば今の伝説的な女神の存在が信じられないことだろう。
「ロアダークにとって、ここを攻め滅ぼすまでは順調だった」
スヴェンは窓枠に腰掛けて、静かな声で語り続ける。
「首尾よくルディラントを攻め落とし、聖域を蹂躙し、ヤツの第一の目的は滞りなく達成された。ま、俺の主観だが、それで図に乗ったんだろうな。カイオディウムと国境を接していたシルヴェリアよりも先に、海上都市であり地形的には攻めにくいはずのルディラントを第一の標的にしたのはどうしてだったのか、ヤツ自身もわかっていただろうに」
「……ゼルレイン・シルヴェリア」
千年前ロアダークを打ち倒し、世界を平和に導いたものの、世界再建の最も重要なタイミングで姿を消した伝説の王女。
「ヤツは勢いそのままゼルレイン率いる世界連合軍に真っ向から挑み、フツーに負けた。だせぇヤローだ。ゼルレインによってロアダークは討伐され、世界はルディラントの犠牲のみで何とか平和になりましたとさ。めでたしめでたし」
「めでたいものか!」
リシアが叫ぶ。スヴェンは優しいまなざしでリシアを見た。
「何が……!」
「……俺は“あの日”、間に合わなかった」
スヴェンは声をひそめ、聞き取れないほどの小声で、そう呟いた。
自分自身の罪を、懺悔するかのように。
「女神も何もしなかった。俺も何もできなかった。誰も――――誰も、ルディラントを護ることが出来なかった」
「だからってスヴェンのせいじゃない!」
総司が叫んだ。スヴェンは首を振って、言った。
「自分のせいにしなきゃやってられねえんだよ。じゃなきゃ、俺は誰を恨めばいい」
「ッ……」
言葉に詰まり、何も言えない。リシアがそのあとを引き取る。
「スヴェン?」
「ん?」
「我々が“終わらせた”ら、本当にもう会えなくなる。貴殿ならばもう理解していることだとはわかっているが、私は……やはり……」
「……リシア」
スヴェンはふっと笑って立ち上がると、そっとリシアの頬に触れた。
「ルディラントを、頼んだぞ」
「……私にはわからない。そうじゃないはずだ! どうして貴殿がそこで、“サリアを頼む”と言えないのか、私には……私には全くわからないっ……!」
「余計なお世話だバカヤロー。でも、ありがとよ。モテる男はきっとそう言うんだろうな。あ、だからモテなかったのか俺は」
「こんな時まで茶化して……!」
「最後の最後に情に絆されんじゃねえぞ、お前ら」
リシアから少し離れて、スヴェンが真剣な口調で言った。
「“真実の聖域”の試練はこれにて終わりだ。でももうわかってるな。“本番はこれから”だ。お前らが挑むのは、千年の時を超える神秘、一国の王がその命を賭して発動した、恐らくリスティリア史上最大の魔法だ」
「わかってる」
「半端な覚悟では飲まれかねない。お前も十分に格の違いを見せつけられているはずだ。それでもお前は打ち勝つしかねえ。いけるな!」
「任せろ!」
総司が力強く答えた。リシアは既に涙目になっていて、スヴェンの檄にまともに応じれる状態ではない。
「……ひとつだけ、頼みがある」
スヴェンは総司に近づくと、その肩にポン、と手を置いた。
「今度あのクソッタレな女神に会ったら、俺からだと言って一発ぶんなぐっといてくれるか」
「……奇遇だな」
総司はにやりと笑った。
「俺もちょっと、平手打ちぐらいはかましたい気分だった」
「はっはっは! 情けねえ話だあのダ女神め、テメェの飼い犬に嫌われてちゃ世話ねえな! 聞いてんのかオイ、ざまあみやがれ!」
黒い風の向こうへと中指を立てて、スヴェンが大笑いしながら叫んだ。
千年前、下界と女神が近かった時代に、ルディラントは滅ぼされた。女神はきっと、干渉しようと思えばいくらでもできたはずだ。ロアダークを滅ぼさずとも、戦いが始まらないよう動くことは、どのタイミングででも可能だった。
しかしそうしなかった。運命の流れるままに、下界に生きる生命の選択を、悪しきも含めて全て良しとした。スヴェンはそれを許していなかったのだ。あの石の本を殴りつけた時のように、スヴェンの目の奥に宿るのは、行き場のない憤激だった。
「さーて、俺の予想通りなら、多分サリアも、最後に立ちはだかるはずだ」
「かもしれねえな」
「迷いなく斬れ。わかってるな」
「わかってる。大丈夫だ」
「本当にぃ? 不安だなぁ、お前は最後の最後で躊躇って負けそうな危うさがある。でもお前が負けたら終わりだ。何もかもがな」
「……俺が甘いのはわかってるけど」
総司は強い目でスヴェンの目を見つめ返した。
「サリアのことを思えばこそ、斬らなきゃならない。そうだろ?」
「あーそうとも。わかってんなら、それでいい」
スヴェンはそっと総司から離れて、再び窓枠に――――今度は腰掛けるではなく、足を掛けた。
「そんじゃ、そろそろ行くわ。いろいろ悪かったな。試すような真似して」
「いいさ。必要なことだったんだ」
「ハッ、ガキがわかったような口を利きやがる。負けんじゃねえぞお二人さん! 自信持っていけ、お前らがやろうとしていることは、“間違ってない”んだからな!」
スヴェンはそう言い残し、窓枠を蹴った。
スヴェンの体が黒い風の中へ消えていく。二人は思わず窓へ駆け寄り、翻るスヴェンの外套をつかもうとしていた。
だが、その手は届かない。スヴェンの体はもう、黒い風の中に溶け込み、見えなくなっていた。
そしてしばらく、二人はその場から動けなかった。
「……さあ、気合入れてけ、リシア」
「……ソウシ……」
「最後の戦いだ。言っとくが俺は斬る。何が何でも、終わらせてやる」
「……もちろんだ。行こう!」
二人は一瞬だけ顔を見合わせて、お互いに頷き合い、そして――――廃墟と化した巡礼者の道を、一目散に駆け降りた。