誇り高きルディラント・第四話① シュライヴ村長
サリア峠を超えた白亜の海岸の、ちょうど反対側。果てしない海が広がるルディラントの国の端には、ルディラントを構成する小さな村の一つ、ガーミシュが存在する。
ガーミシュは、まだあまり発展性を見せていないルディラントの機械文明を何とか支えている工業の村。魔法の力を道具に落とし込む工法で、生活の利便性を下支えする重要な拠点だ。
その村の村長は、名をシュライヴ。ランセムよりも年上で、齢は70を超える老人だが。
「……初めまして、総司と言いますが」
「聞いておる。よう来た」
聞いていた話で勝手に想像した老人の姿などどこにもない。そこにいるのは、背丈三メートルを超え、背筋も曲がっておらず、筋肉も少しも衰えていない、拳一つで魔獣の一匹や二匹打ちのめしてしまいそうな、屈強な老戦士だった。顔にはいくつもの古傷が見られ、歴戦の猛者であることが一目でわかる。
「なんじゃい、バカでかい剣を背負う異国の騎士の端くれが行くとあの小童は言っておったが」
ランセム王のことを小童呼ばわりである。
「こんなひょろっちいチビが来るとは思っておらなんだ。最近の騎士とやらは貧弱じゃ! ちゃんと物を食っとるのか、おん!?」
「いや、多分あなたがデカすぎるんだと思う……っていうか種族が違う気がする……」
「バカ言え、わしもヒトの族、亜人でもなんでもないわい! サーリアァ、こんな細っこい軟弱者をあの島へ送り込もうとは、見ない間に酷な女になったのう、おん!?」
「無礼が過ぎます、シュライヴ村長。この方はあなたの見立てよりも遥かに強い」
「はん、ならば魔法に自信ありか。それこそ軟弱者の印よ」
「シュライヴ」
「うるさい。わしも年長者、わざわざ死にに行くような若造を『おう、勝手に死んで来い』と送り出すほど落ちぶれちゃおらん。出直せ。あの小童には、村長に追い返されたと言っておけば良い」
「まあ、そうもいかねえし……なら、試してみますか」
「言うたな、チビガキ。お主が煽ったのだ、後悔するなよ」
村長がパキポキと指を鳴らす。総司はゆっくりと歩み出た。
「馬鹿者、売り言葉に買い言葉で下らん真似をするな」
「受けるだけだ。買っちゃいねえ」
リシアが鋭く小声で警告し、総司は冷静に答えた。リシアの目が総司の横顔を捉え、しばらく逡巡したが、やがて頷く。
「何をごちゃごちゃ言うとるんじゃ!」
シュライヴの拳が総司の顔面を捉えた。
総司はその場から身じろぎひとつせず、拳を受け、そして止める。シュライヴの目が見開かれた。
「ほーぉ。お主」
片腕でシュライヴの拳を止めて、ぎりぎりとゆっくり、押し返していく。
思っていた以上に重く強烈な一撃。総司の最高峰の身体能力をもってしても、わずかに押されるほどの強さ、そして気迫。躊躇いのなさまで含めて、シュライヴ村長がこれまで培ってきた歴戦の記憶がうかがい知れるというものだ。
「なかなかどうして、鍛えておるな。魔力にも頼らずその力、気に入った」
あっさりと総司を認めて、村長は拳を引く。あまりにもあっけらかんとした結末に、リシアはほっとするとともに拍子抜けした思いだった。
「がっはっは! 無礼を許せ。思った以上に貧弱そうな若造がきおったのでな、少々怒ってしまったわい」
総司の身長は180㎝を超えており、リスティリア世界でも小柄な部類ではないのだが、シュライヴにしてみればたいていのヒトはチビで貧弱そうに見えるだろう。
「構いませんよ。あなたから見れば誰だってそうでしょうからね」
「はん、若造め、その不慣れな気持ちの悪い言葉遣いをやめろ。育ちの良いボンボンどもの話し方じゃ。つまり、わしの嫌いな連中の言葉遣いということじゃ」
「……誰もかれも、気さくなこったな」
「ついて来い。あの島に案内する前に、お主らには仕事を頼んで良いと聞いておる」
「……そなの?」
総司がサリアに聞くと、サリアはぶんぶんと首を振って、
「いえ、そのような話は私も聞いておりませんでしたが!」
「タダで何でももらえると思うなよぉ若造。ほれ、さっさとこんかい」
工業の村ガーミシュで与えられた仕事は、金属の加工に必要な炎を維持するための石炭運びだった。魔法を落とし込むための特殊な鉄は、外界の魔法に非常に鋭敏だ。それ故に炎を魔法で維持すると、金属に影響し、必要な魔法を落とし込む際に邪魔になる。それ故に、加工の段階では全て人力で作業を行うのである。
「あぁっつい!」
「軟弱者め、この程度でへばっておる場合か!」
「へばっちゃいねえ、暑いだけだ!」
ガラガラと石炭を溶鉱炉へくべながら、総司が叫び返した。
ガーミシュの巨大な工房では、エルマの工房とは比べ物にならないぐらいの大量の魔法道具を見ることとなった。しかしどれも、この場所では効果を発揮していない。作業する人々は皆、総司が元いた世界で言えばはるか昔の伝統的な作業に従事し、ひとつひとつを丁寧に、手作業で創り上げている。
「足りねえ! 石炭もっとくれよ!」
「馬鹿者め、火を強め過ぎれば逆に作業がしにくくなるわい! 適量を運んでおるのだ、火を見ながら火力を整えろい!」
「いやド素人なんだけど! そんな達人みたいな調整できるか!」
「若造がぁ、口答えが過ぎるとその火の中に放り込むぞぉ!」
「小一時間でずいぶんと仲良くなったな……」
「シュライヴはたぶん、ソウシのような若者が好きですからね……それにしても暑い。ガーミシュの皆さんは毎日よく働かれるものです……」
「慣れじゃよぉ、お二人さん。まあ女の子が働く場所ではないかもしれんけどねぇ」
冷たい水を用意して、シュライヴの妻レミウが笑う。老婆のはずだが、シュライヴと同じくみなぎる生命力を感じ、工房の暑さに辟易しているリシアやサリアとは対照的に汗一つかいていない。
「やべえスコップごと投げ入れちまった!」
「お主本物の馬鹿じゃな! そらこれ使えい!」
「すまねえとは思うけど投げつけんな! 三本もいらねえよ!」
「また投げ入れかねんじゃろうがお主は! 脇に置いとけ!」
「あの子はよく働くねえ」
「我々も手伝うと言ったのですが」
「いやいや、良いじゃないか。時代が変わってもああいうのは男の仕事さぁ。意地があるんじゃろ、好きにさせてやりな」
「レミウ?」
サリアがひっそりと聞くと、レミウがにっこりと振り向いた。
「はいはい、なんじゃね」
「王から仕事を依頼していいなんてお話は、本当はなかったのですよね」
「……おや」
レミウの笑みが引いた。サリアがじっと見つめると、老婆は観念したように首を振った。
「さすがにわかるかい」
「村長は恐らく……」
「……老いぼれのわがままに付き合わせて済まないがね」
レミウは小声で言った。
「少しだけ、好きにさせてやってくれんかの」
「……はい」
午前中働きとおした総司は、シュライヴの許しを得て休憩する頃にはぐったりとしていた。無尽蔵のスタミナがあるが、暑さに参ってしまったようだ。
リシアが総司を寝かせ、氷を包んだ袋を額に当ててやると、総司はふーっと息を漏らした。
「死ぬ……」
「一人で意地を張るからだ。私たちにも仕事を振れば良いのに……」
「フン。その様子じゃあ、午後の仕事は無理だな」
シュライヴはくだらなさそうに言った。
「空き家を一つ貸してやる。好きに使え。あの島には、明日にでも行けば良かろう」