誇り高きルディラント・第二話④ 何かが刻まれた左目
ルディラントの王宮は、レブレーベントの城とは違って、煌びやかというよりは生活感の感じる印象だ。回廊にはエントランスとは違って謎めいた窓がなかったが、光源の不明な柔らかい光が全体を優しく照らしている。
案内された広間は、王の住まう城というよりは、上流貴族の館と言った方がわりに合っていそうな、こじんまりとした食堂だった。それでも一般家庭のリビングに比べれば十分な広さだろうが、レブレーベントの絢爛な広間を見てきた総司からすれば意外でもあった。
「さて」
総司を椅子に腰かけさせて、サリアは真剣な表情で総司を見つめた。その目は探るように、総司の左目をくまなく観察している。総司は出来るだけ動揺を顔に出さないように意地を張ったが、なかなかうまくいかないものだ。
「……魔力は感じられませんし……害を為す呪いというわけでもない……失礼」
サリアは総司の顔にそっと手を当てて、更によく観察した。サリアには恐らく、総司やリシアには見えないものが見えているのだろう。
「確証はありませんが」
しばらくして、サリアが言った。
「これは何らかの印、魔法の刻印に近いものと思われます」
「刻印……」
「これ自体が魔法の結果ではなく、これから魔法が発動する。ですから、今すぐ解除するということは、少なくとも私にはできません。この刻印が為された状況を聞いても?」
総司がランセムにしたように、状況をかいつまんで説明した。サリアは興味深げに聞き入り、全て聞き終えた後は、顎に手を当てて考え込んだ。
「その水に何らかの役目を与えた術者がいると考えるのが筋です。つまり解除もその術者しか出来ない可能性がある」
「……近くにいたんだろうか?」
「それは何とも言えませんが、魔法的な罠を仕掛けていたということかも。しかしそれにしては、あまりにも害意を感じないので……目的がわかりませんね」
サリアはそこまで言った後で、思い直したように首を振った。
「そう、そもそもあの峠は、滅多に立ち入る者のいない秘境となっているはず。なおのこと、どうしてそんな魔法を仕込む必要があるのか、全く見当がつきません」
サリアが考え込む間、総司は別のことを考えていた。
似ている――――まだ会って間もなく、性格の一端すら知れていない間柄だ。容姿も通じるところはなく、せいぜいがサリアもまた類まれな美女である、という程度しか共通点はない。だがそれでも、似ていると感じる。
少し話すだけで感じる才覚や、他のヒトには見えない何かが見えているところ――――それでいて、それをひけらかすことなく、己の能力に甘んじることもなく、より深く思考を巡らせる。
レブレーベントの王女にとてもよく似ている。
「刻印を消す方法は必ずあります。ルディラントにしばらく滞在できるなら、何とかしてその方法を探し出しましょう」
「良いんですか? ただの旅人にそこまで……」
「ただの旅人ではないのでしょう?」
サリアはにこやかに笑って、
「並大抵でない気配を感じます……その神秘的な魔力には、少しだけ覚えがある」
と、意味深に言った。
「何より王があなたを気に入っていらっしゃる。となればこれは、私に与えられた勅命でありましょう。ご心配なく、これでも腕は立ちますので」
総司が礼を言おうとしたところで、部屋の扉が静かに開けられた。
そこにいたのは、最初に出会ったエルマ・ルディラントと、総司の相棒であるリシアだった。リシアは大荷物を抱えており、パンやら工芸品やらが袋の中に所せましと詰め込まれている。
「何だ何だ」
「いや、その……エルマ様と大通りを歩いていたら、あれよあれよと言う間にだな……」
「私は遠慮したのですが」
エルマは困ったように笑って、貴婦人よろしく頬に手を当てた。
「リシアさんも頑固な方で、私に持たせるわけにはいかないと……」
ルディラントにおける王族の人気に辟易としながらも、そこは騎士のプライドがあるらしい。どっさりと抱えた荷物を下ろし、リシアは小さく息をついた。ふと、リシアの目がサリアへ向けられる。リシアが何か言うよりも早く、サリアがかわいらしくお辞儀した。
「お初にお目にかかります。サリアと申します。今は遠き他国の騎士様とお見受けしますが」
「リシア・アリンティアスです。どうやら早速相方が世話になったようで、御手間を掛ける」
エルマからサリアのことを聞いていたらしいリシアはすぐに、総司を診てもらっていたと察したようだ。
「……左目はそのままか」
「力及ばず、申し訳ありません」
「あぁ、いえ、そういうつもりで言ったのでは!」
「害があるわけじゃねえってさ。それがわかっただけでも十分だ。それに何より、俺達は今、伝説の街のもてなしを受けてる。来てよかったろ?」
「気楽なものだな……しかしまあ、大事ないなら良い」
リシアがふと、部屋の入口へ目を向けた。何やら楽しげなランセム王が、たくわえたあごひげを無造作に弄びながら総司とリシアを見ていた。
すぐにランセムの地位を察したリシアが深く一礼し、ランセムは当然のように手を払い、頭を上げるよう促す。
「遠目に”見た”だけだったが、やはり美人だな、お前の道連れは」
「……そういえば」
ランセムと最初に出会い、王宮へ向かうまでの道中で交わした会話をにわかに思い出し、総司が探るような目を向けた。
「……抜けてんなぁ、峠を越えてきた瞬間もそうだが、なんで仲間がいるって知ってるのかってのも疑問に思いもしなかった」
「わし、こう見えて演技派なもんで」
「なんかムカつく」
「ま、推察通りよ」
ランセムはにやりと笑って、
「この街が千年、安泰に保たれてきている理由の一端というやつさ。王は全てオミトオシ」
「同じように」
エルマが少しだけ低い声でつぶやいた。
「わたくしには王のことが全てお見通しでございます。あまりやんちゃなことをなさいませぬよう」
「……へい」
隠すまでもなく、賭け事については既にエルマの知るところとなってしまったようだ。エルマの静かな怒気にランセムが縮こまる中、リシアは表情をこわばらせて、どこか咎めるように総司に言った。
「無礼である。慎め」
レブレーベントの女王に対しては相応の礼儀を尽くしてきていた。その姿を知るからこその叱責を含む声色だ。総司の言動は間違いなく、何も知らないリシアに誤解を与えるものだ。総司は慌てて、
「あぁ、いや、もちろんそれは――――」
「わしのたっての希望なのだ、騎士よ。お前さんももう少し気楽にせんか」
ランセムが言うと、リシアは苦笑しながら頭を下げた。ランセムはその姿をよく観察し、笑う。
王は全てお見通し。ランセムの言葉に嘘はない。王は見抜いているのだ。
リシアが総司ほどには、ここにいるルディラントの面々に気を許していないことを。
「お前さんたちの用件は理解しているが、焦ることはない。ひとまず落ち着かんとな。部屋を用意した。とりあえず今夜は泊まっていけ」
「夕食の前にお話しさせていただきたいのですが」
リシアが言うと、ランセムは首を振った。
「言ったろう、用件は理解していると。理解したうえで言っておるんだ、従え」
ランセムの顔に浮かぶ笑みは、何か悪だくみを思いついたときのような、童心にあふれた輝きをしていた。