誇り高きルディラント・第二話③ 守護者サリア
広々とした公園の、二人が立つ足元から、淡い光が湧き上がる。その光景に総司が驚いていると、瞬く間に視界を奪われた。
閉じた瞼の裏に、巨大な時計が浮かび上がって、目を奪われたまま逃れることが出来ない。高速で動く時計の針が、やがて十二時の位置でぴたりと止まる。渦巻く光の奔流の中で示された時間と、脳に直接響いてくる荘厳な鐘の音。不自然に遠近感を失って、ぐるぐるとめぐる目の前の光景に思考を支配されかけた時、総司は、ぐいっと肩を掴まれる感覚と共に現実に引き戻された。
ハッと気づいた時には、柔らかな黄金色と紅の建物の中にいた。巨大で壮大な佇まいは、総司の記憶にある中では、ドイツのバロック調の大聖堂に似た――――しかし、宗教的な象徴たるそれらよりも少しばかり、贅を凝らした造りだ。
フラッシュバックするのは、かつて女神と共に長い時間を過ごした際に拠点となった、あの名も知らぬ大聖堂。王の住まう城に相応しいエントランスだが、どこか祈りを捧げる大聖堂よりも生活感を感じられる、気品と柔らかさを兼ね備えた場所だった。
外から見た限り、時計塔には「窓」らしきものはなかったはずだ。だが不思議なことに、エントランスの奥にはガラスがはめこまれ、優しい日光を存分に取り入れている。
「う、お……」
豪華絢爛とは言わないが、その場所が持つ雰囲気にはただ圧倒されるばかりだった。総司の肩に手を置いたランセムは、不思議そうな、そして心配そうな顔で総司に問いかける。
「おい、大丈夫か?」
「い、いえ……結構、劇的な入り方なんスね……」
「劇的?」
ランセムは、はて、と首を傾げて、
「古より受け継がれる魔法ではあるがな、この空間移動は……しかし劇的と言うほどでもあるまい」
「でも、こう、時計がばーっと……!」
「時計ィ?」
顎に手を当てて、何が何やらわかっていない顔のランセムを見つめ、総司はようやく気付いた。
あの光景はルディラントの王宮に入るときの、「通常の現象」ではないことに。
思い当るのは、左目。あまりにも違和感がなさ過ぎて忘れかけていたが、自分の左目は今、普段のそれとはかけ離れている。
光の奔流の中で覚えたあの「遠近感の狂った」感覚はまさか、左目だけにしか見えていなかったからではないか――――?
「大事ないなら良いが。それよりサリアだ。おるといいんだが――――」
「無論おります、王よ。そして少しお話が」
「……何だ、オイ、寒気がするんだが」
ピリッと張りつめた空気を感じたのは、ランセムだけではなく総司も同じだ。吹き抜けとなったエントランスの階段をゆっくりと降りながら、白に近い金色の髪――――見事なミルキーブロンドを肩までの長さで揃えた、総司とそう歳の変わらない少女がランセムを睨んでいた。
レブレーベントで絶世の美女と讃えられたアレインにも見劣りしない、しかしランセムの言う通り、彼女よりは「鋭さ」を感じさせない――――まだ幼さの残る端正な顔立ちの乙女は、総司には一瞥も寄越さず、王を睨んで逃がさない。白を基調としてノースリーブ、少々丈も短く、露出が多く動きやすそうな軽装。恐らくは魔法に卓越し、魔法的な防御に頼ることのできる、「戦う者」の戦装束だ。
総司が直感でそう思えたのは、彼女が発散する魔力が尋常なものではなかったからだ。前面に押し出しているわけではないが、魔法の気配に特に鋭敏な総司にはそれだけで十分。更に言えば、普段はアイドル性を秘めているであろうぱっちりとしたコバルトブルーの瞳が今はすうっと細められており、その眼光を見れば彼女がただものでないことはよくわかる。ランセムは何故かそそくさと、総司の後ろに隠れるように回った。総司も背丈は大きく、鍛えられた体もあって大柄の部類だが、それを更に超えるランセムの体躯は隠しきれるものではない。
「何故、出歩かれる時に一言お言葉がなかったのでしょう。私の役目をご存知でしょうか。それとも取るに足りぬ侍女に過ぎず、何を言う必要もないとお考えでしょうか」
「いやぁ、まあ落ち着かんか。客の前だサリア。な?」
「あなたが私を振り切りたい理由は多くはないのでしょう」
「サリア? 聞いとるかなぁ、サリアちゃん?」
「マレットさまのお店で誰と、何に興じられていましたか」
「……んぇ~」
「まさかよもや、賭け事など。なさいませんよね。一国の王であらせられるあなたですもの」
「いやいやいや! まーさかそんな! あり得んことだ、なあソウシ!」
「えっ!? あ……」
そう言えば――――「なるほどね。おう、君ら、今日はわしの勝ちで良いな」「はいはい。負け越しだねこれで」「強すぎるんだよなぁ、この人は」――――そういう会話が、なかったわけではない。
「旅のヒト? でしょうか」
「はいっ!」
「何もありませんでしたか?」
にこり、と笑って、サリアなる少女が問いかける。目が笑っていない。れっきとした美少女のはずだが、驚くほど怖かった。キレているアレインとどちらが怖いか、甲乙つけがたい氷の微笑である。
「……あった、かもしれません」
「ソウシ!?」
「かもしれない」
サリアが鋭く繰り返した。とても語気が強かった。総司は途端に言い直した。
「ありました」
「おい!」
「結構」
「貴様ソウシ、まさかこのわずかな時間で裏切るとは――――!」
「まさか、これもまさかとは思いますけれど、旅のヒトまで巻き込んではいませんね」
「それは大丈夫です。終わっていたので」
「終わっていた」
サリアがまた言葉を繰り返した。冷たい空気が流れるのを感じ、総司は知れず、一歩後ずさりしていた。
「エルマに報告しても良いのですね」
「それだけは!」
王ランセムはひどく狼狽し、懇願するような表情でサリアを拝み倒している。サリアはしばらく冷たい眼差しでランセムを睨んでいたが、やがてため息をついて頭を振った。
「ただでさえ平穏ではないのです。遊ぶために不用心に出歩かれては困ります」
「おぉわかっとるとも。すまん」
ランセムは大きく息をついた後で、総司の背中をバン、と叩いた。
「お前ぇ、忘れんからな……」
「いやいやいや、嘘は良くない嘘は」
「うるさいわい」
ランセムは仏頂面で恨み言を言ってから苦笑して、サリアに向かって言った。
「もてなしの準備をせねばならん。レブレーベントよりの賓客でもあるからな、一応」
「では厨房に行ってきます」
「いや、わしが行く。お前にはこいつを診てもらいたくてな」
サリアが首を傾げた。
「事情はこいつに聞いてもらうとして、ようは左目だ。おかしなことになっとるだろ」
「あぁ……生まれつきではないのですね。しかし、魔眼の類でもなさそうですが……」
「まあ、広間でゆっくり診てやってくれ」
「かしこまりました」
ランセムが「後で会おう」と言って王宮のどこかへ消えていくと、サリアは総司に歩み寄り、そっとその手を取った。
類まれな美女である。総司は思わずどきりとしたが、何のことはない、サリアは総司を心配しているのだ。
「左目は見えているのですか? 良ければ……」
総司の左目が見えていないのではないかと心配して、サポートしようということだった。
「あぁいや、大丈夫! 視界は全然、いつも通りなんで」
総司が慌てて言って、サリアの手を優しく取り払う。
「そうですか。ではこちらへ。食事を待ちながら少し事情をお聞かせください」