誇り高きルディラント・第二話① 王ランセム
「申し訳ありません、陛下とは知らずに……」
「あー、構わん構わん。敬語も止せ。若いヤツにかしこまられるのは苦手でな。身近な者だけでお腹いっぱいだ」
「そういうわけにも……」
「せめてもうちょっと軽ーく構えろ。王が言っておる。言う通りにせんか」
王ランセムはにやりと笑って、総司の肩を小突いた。
本当に年不相応な、何とも無邪気でいたずらっ気に溢れる笑顔を見せる老紳士である。真正面から相対した時の言い知れぬ気迫は流石といったものを感じたが、隣に並んで歩いてみれば何とも親しみやすい王様だ。
総司はしばらく、うーんと難しい顔をしていたが、やがて諦めたように頭をかいて頷いた。総司も元いた世界での、体育会系の色が強い部活動の経験者だ。フランクに、と言われれば、相応の心得がないわけではない。一国の王を相手にしてそれが正しい振る舞いかはともかく、その王が望むのならば合わせるほかないのだろう。
「後で文句言うのはナシッスよ」
「もちろん。良いじゃないか、若い男らしさがようやく見えたわ」
家々に挟まれた裏路地をゆったりと歩きながら、王ランセムは陽気に言う。
「ところでお前さん、その左目はどうした。生まれつきのものでもあるまい。見たところ呪いの類でもなさそうだが」
「あぁ、これは……」
総司はざっくりと、サリア峠で起きたアクシデントの経緯を話した。ランセムは適度なリアクションを見せつつ総司の話に聞き入り、興味深げに息をついて、顎髭を撫でながら思案していた。
「ほぉう……そいつはまた何とも奇っ怪な……動く水に取り込まれてなぁ……」
「痛みも違和感も全くなくて、見た目だけこんなんになっちまって」
「まあ、とりあえずサリアに見せるか」
「……サリア?」
先ほど越えてきた峠の名を聞いて、総司が首を傾げる。ランセムは気楽な調子でオウ、と返事をして、
「王都ルベルの守護者よ。さっき言った“身近な若いヤツ”ってのがソイツのことだ。堅物だが出来る娘っ子よ」
「魔法に詳しい人ってこと?」
「ルディラントじゃ一番だろうな。音に伝え聞くシルヴェリア――――じゃなかった、レブレーベントの王女殿下より上かと言われると、わしには何とも言えんが」
途端に、サリアなる女性のイメージがアレインと重なったが、ランセムが続けた言葉でもう少しだけ和らいだイメージになった。
「少なくともあちらさんよりは苛烈じゃないな、多分。多分だぞ?」
「何でそんな念押しを……」
「あと堅物って言ったのはナイショだ。後が怖いからな」
朗らかに笑った後で、ランセムはふと真顔になり、総司を見やる。
「そうだもう一つ。仲間がおったろ。あの子はどうした?」
「迎えに来られたエルマ様と一緒に王宮に向かってるかと。俺はちょっと我慢できなくて、飛び出してきちゃったんで」
「なるほど、あの子も苦労しとると見える」
「いやむしろ、伝説の街を目の前にして平静そのものなアイツの方がおかしいと思うんですよね、俺は」
「ま、男はロマンを前にするとみんなガキになるもんだ。捕まって連れ戻されなかっただけ、理解のある相棒で良かったじゃないか」
恐らくはランセムも「馬鹿な男」の側の性格をしている。総司の行動には共感できる部分もあるのだろう。
「しかしそうか、伝説の街ね。一千年も間が空けばそういう存在になるか」
「……聞いても?」
「おうよ」
「本当に千年もの間、誰の目に触れることもなく人知れず、ルディラントはこうやって……ルディラントの人々はこうやって、生活を続けて来たんですか? こうして目の当たりにしているとはいえ、俺はまだ信じ切れてない部分もある」
「はっはっは!」
総司の本音を聞いて、ランセムは快活に、大きな声で堪えきれない様子を見せながら笑い出した。
「何だ何だ、お前さんこそ思っていたより冷静じゃないか。ロマンのわからん男め」
「それは心外だ」
「失礼お若いの。ま、ご覧の通りよ。造作もないとまでは言わんがね、こうして今日も皆生きておる。それが答えだ」
階段が終わり、人々の往来が激しい大通りの片隅に出た。
丘の上から見たとおりの、活気に満ちた生活の気配が充満している。商店が並び、露店も出て、人々が行きかい、時折足を止める。レブレーベントの王都シルヴェンスでも、似た光景を目にした。国ごとに異なる文化が栄えているらしいリスティリアにおいても、総司が元いた世界においても似ている光景――――普通の生活が行われている、日常の1パート。
「案内したいところだが、ど真ん中を突っ切るとみんな声を掛けてくれるものでな。日が暮れるまで王宮に着けん。このまま裏路地を行くぞぉ」
「慕われてんだな……さっきの店でもそうだったけど」
「千年もこの島だけで一緒に暮らしていれば、嫌でも王家と民が近くなるものだ。ルベル以外の街はほとんど再建せずに今日まで過ごしているからな」
裏路地も石造りの階段と坂の連続だったが、先ほどまで通ってきた通路に比べると少し足場が悪かった。より生活感に溢れる道、という印象を受ける。ランセムは慣れた調子でひょいひょいと段差を越えながら話を続けた。
「千年前の事件以来、リスティリアの国々は互いの不干渉をある種の了解としている。しかしいつの日か、女神の危機を救う英雄が来るであろうと、王家では語り継がれてきておった。その時には姿をさらすことになるだろうとな」
「千年も前から?」
「さて、いつの時点でそんな話が出ておったのか、詳細まではわしも知らんが、わしは少なくともその伝承を引き継いだし、それが眉唾物の話でなかったという証明は、今わしの目の前におる」
ランセムは少しいたずらっぽい、からかうような目で総司を見つめた。
「お前さんがサリア峠に足を踏み入れた時にはもう確信しておった。ついにこの時が来たのだとな」
もちろんタイプこそ明確に違うものの、総司には直感的に感じられる確かなことがあった。
それはランセムの、王として、人としての器、格。元いた世界も、リスティリアもひっくるめて、総司はこの王と同格と思える存在を一人しか知らない。
誰あろう、女王エイレーンだ。完成された為政者、上に立つ者の風格。ただ立ち上がっただけで気圧されるようなランセムの気配は、女王エイレーンとよく似ている。
だが、決定的に違うところがある。
あの女王をして、総司のことは謎めいた不思議な男としてしか映っておらず、彼の話を人伝いに聞いて、女神の騎士という不思議な事実を知ったに過ぎない。
ランセムは違う。常人ならざる気配を持つ総司と、王家に伝わる奇妙な話を結び付け、最初から世界を救う英雄と見なしている。
「ところで、だ。どこまで掴んでおる?」
「どこまで? 何を?」
「敵だよ、敵。お前さんが倒すべきもの。女神の怨敵。その正体のことだ」