誇り高きルディラント・第一話② 異常の左
正体不明の水の柱に、おそるおそる近づいてみる。
「止せ。脅威は感じないが、何が起きるかわからんぞ」
リシアが厳しく言った。総司はじりじりと近寄るのをやめて、困ったように笑う。
「そ、そうだな。悪い、つい――――」
一瞬の出来事だった。
虹の光を包みながら、あくまでも透明だったはずの水が青白く輝くと、生き物のように動き出し、一瞬で総司を呑み込んだ。
「うっ!?」
「なっ……! 動くな、ソウシ!」
リシアがレブレーベントの”オリジン”、レヴァンクロスを抜き放ち、動き出した水に斬りかかるが、効果はない。どうしたものかと慌てたリシアだったが、水中にいる総司を見て呆気にとられた。
「……苦しくないのか?」
リシアの問いかけに総司が頷く。呼吸が出来ないはずだが、総司は全く平気そうで、水に包まれたままその感触を確かめている。
「一体なんだと言うんだ……?」
リシアが思案していると、いつの間にかリシアの周囲にも動く水が迫っていて、取り囲まれた。
総司が反応できないのもわかる。全く敵意のないまま、脅威を感じさせないまま、動くとなれば驚くほどの速さで動き出すのだ。リシアも瞬時に捕まってしまった。
「くっ……!」
抵抗する暇もなかったが、その必要もないらしかった。水は二人を連れて再び柱を形成すると――――そこからまた目を見張る速さで、中央の穴へギュン、と吸い込まれた。
二人が水の中で声にならない叫びを上げる。
本格的なウォータースライダーもびっくりの、とんでもないスピードで、二人は虹の鉱石の中を滑り落とされた。
そして、その最中――――
走馬灯のような、幻想的な風景を見る。
鳥のように空を飛んでいる視点から、凄惨な光景を見下ろしていた。
夕暮れの紅蓮がよく映える透き通るような海の上に、憎悪と殺意のこもった無数の光が見える。それらは丘を滑るように並べられた家々を蹂躙し、世界遺産もかくやという美しい街並みをことごとく破壊していく。
時を刻む丘・ルベル。ルディラントの王都であり、小国であるルディラントの全てとも言える伝説の街。象徴とも言える中央の巨大な時計塔を総司が見つけた途端、禍々しい光が直撃して、時計塔は崩れ落ちた。
声が響く。壮年の男の声だ。野太く、力強く、それでいて泣きそうなほど絶望しながら、それでも折れることのない魂の叫びが、とぎれとぎれに――――
「―――しはぜっ――――こをうご――――ぞ!」
幻想が終わり、二人はぐん、と角度を変えて勢いよく峠の崖から放り出された。水と一緒に投げ出された二人は、何とか空中で態勢を立て直し、まだはっきりしない頭を叩き起こして着地する。総司が着地に失敗して、ずざーっと砂の斜面を滑り降りながら息を吐いた。
「はぁっ……!」
「何だ、今のは……! あれは……まさか……!」
息を切らし、ぼんやりした目を手で拭い、リシアは近くの砂に埋もれている虹の鉱石に触れた。
「魔力ではなく……記憶を……光景を保存できるのか……?」
おぼろげな景色しか見えていなくとも、二人とも直感的に思った。
今目にした光景はまさに、ルディラントの最後なのではないか。蹂躙される街並みと、魔法の光、それに最後に聞こえたあの声は――――
「づっ!」
「どうした!?」
左目に激痛が走り、総司がその場にうずくまった。リシアが慌てて彼の肩を抱き、懸命に声を掛ける。
「しっかりしろ、一体何が――――えっ……」
目が潰れそうな激痛を越え、総司がふと目を開ける。
リシアはその左目を見て言葉を失った。ヒトであれば本来白いはずの部分が濁った黒の強い灰色に変色し、黒いはずの部分が青白く不気味な輝きを放っている。
「ど、どうかなってる?」
「あ、ああ……何と言っていいのか……」
先ほど水に飲まれた時か? と、リシアは訝しむものの、原因不明だ。
どうやら総司は、激痛を感じたのは一瞬に過ぎず、今は何ともないらしい。見えている景色がリシアと違うということもないようだ。
リシアが腰に下げたポーチから手鏡を取り出し、総司に渡す。総司は自分の左目を見てしかめっ面をした。
「なんじゃこりゃ……」
「わからない……あの砂浜が青く見えたりもしないんだな?」
「視界は今までと変わらないんだけどな」
しばらく総司は、左目に魔力を集中させてみたり、ぐーっと瞼を閉じてぱっと開けてみたり、この左目に何か変わったところはないのかと実験してみたのだが、やはり変化はない。
見た目が大きく変わってしまった以外には何も影響がないのだ。リシアもいろいろと考えを巡らせたものの、解決策は思い浮かばなかった。
水の中に得体の知れない細菌でもいて、奇病を発症したという可能性も全くないわけではないが、それにしては変化が急激すぎるし、見た目が大きく変わった割にはそれ以外に何事も起こっていない。何とも奇妙な現象だったが、総司は頭を振ってよし、と手を打った。
「考えても仕方ねえな!」
「いやまあそうなんだが、気楽なものだな」
リシアが呆れたように言うが、総司は気にも留めなかった。
「呪いの類かもしれん。メルズベルムに戻って、その道の専門家に見てもらおう。今は大丈夫でも後々どうなるかわかったものではない」
「まあまあ、今のところは何ともないし、そもそも俺の体はそういうのには強いらしいし」
「だからこそ、そこまで明確な影響を与えた何かしらが恐ろしいんだ」
総司の肉体は、リスティリアに生きる他の生命とは一線を画す強度を誇っているはずだ。女神の試練を乗り越え、女神を救うべく加護を与えられた特別な存在だ。
レブレーベント王女、天才アレインが操る稲妻の魔法を幾度となく受けても、ほとんどものともしていなかった無敵の肉体に、一瞬で回避しようのない影響を与えたその力が得体の知れないものとくれば、リシアの心配も当然だ。だが、本人にはそこまでの危機感がない。
「せっかくここまで来たんだ。せめて海岸までは行ってから戻ろうぜ」
「……わかった。何か異常があれば連れて帰るからな」
「わかってるって」
無視しがたいアクシデントが起こってしまったものの、ひとまずは当初の目的を果たすことにした。なだらかな峠の斜面を下り、背の低い木々の森を抜けて、ルディラントがあったはずの海岸線へ。
リシアは注意深く総司の様子を観察していたが、本人の申告通り左目にも問題はなさそうだ。驚くほどの見た目の変化は決して放置できない要因ではあるし、治るかどうかも定かではないが、今そのことばかり焦っていても仕方がない。総司もリシアも、病気や魔法的な身体異常の専門家というわけではない。
見渡す限り続く白銀の砂浜に辿り着いた時、総司は再び両手を広げた。
穏やかな海風が心地よく、気温も少し暑い程度のもの。泳ぐには肌寒いかもしれないが、大自然を眺めるには絶好の気象条件だ。
遮るもののない水平線と白銀の砂浜は絶景と呼ぶにふさわしく、いつまででも眺めていたい美しい光景だった。
突然のアクシデントで少しピリピリしていたリシアも、この大自然を前にしては、ほうっと息をつかずにはいられない。