眩きレブレーベント・終話① 母と娘/女王と王女
王都シルヴェンスには、罪人を捕らえ投獄するための「牢屋」が二種類ある。といっても、そのうちの一つは長らく使用されることはなかった。
魔法騎士団が管理する一般の牢屋ではなく、城の敷地内に設けられた、「かつて牢屋だった場所」。自然の岩場と、謎めいた水晶をそのまま切り出し、加工して作られた、天然の牢獄だ。
女王エイレーンも、この牢獄を訪れるのは久しぶりだった。城と同じ敷地内にあるとはいえ、そもそも使用されていないので、ほとんど訪れることはなかった。若い頃、王として大成する前、一人になりたいときにここを訪れたきりだったと記憶している。
まさかこの場所に、自分の娘に会うために来ることとなるとは。女王は寂しげな笑みを浮かべ、牢屋にしてはよく日の光が入る、広々とした「水晶の間」に踏み入った。
結晶の格子の向こうに、アレインの姿が見える。
天然の岩場を切り出して創り出された無骨な椅子の上に腰かけ、うつむき、じっと佇むその姿。娘とは思えないほど、まだ18歳の少女とは思えないほどの貫録を感じさせる、えも言われぬ迫力。改めて、かつて警戒した娘は化け物じみた傑物であると思い知らされる。
「……大人しく入るとは思わなんだ」
女王は正直に言った。アレインは自由を奪われてはいない。この牢獄の基盤となる岩場と水晶は、魔力を無効化する性質を持っているが、その能力には限界がある。
この世の多くの生命から、魔法の能力を奪えるだろう。しかし、アレインは別格だ。
完全に回復してしまえば、壁にでも天井にでも風穴を開けることが出来るはずだ。それこそ、ゾルゾディアを召喚してしまえば、周囲をまとめて吹き飛ばし、城を蹂躙することも出来るだろう。
アレインはそうしない。うつむいたまま、ただそこに佇むのみだ。
「ご機嫌よう、母上。私を笑いに来たの?」
「まさか。話がしたくてな」
簡素な木の椅子を格子の前に用意する。女王が年寄りよろしくどっこいしょ、などと声を出して、ゆっくりと椅子に腰かける様を、アレインは静寂な瞳で見つめていた。
「……良い母ではなかったな、私は」
「“あなたに”反逆した覚えなんてないわ」
「知っておる」
女王は笑う。
「お前に疑いの目を向けた私をすら、お前は護ろうとしていた。ブライディルガ襲撃の時もそうだ。現場に出向いた私の護衛をすると言い張って、傍を離れようとしなかった」
「……世界の非常時に母上が折れれば、この国は終わり。当然の措置を取ったまで」
アレインがこともなげに言う。彼女の言葉には本当に、微塵も邪気がなかった。母親との確執など、娘の側は感じていなかった。
むしろ彼女はもっと高い視点にいたからだ。母も含めて、この国、この世界、全てを護ろうと覚悟を決めた彼女にとって、母を含む周囲の人間にあらぬ疑いをかけられていることなど、実に些末な問題だった。
英雄になりたい、なんて粗末で未熟な願望では、アレインのような強さを支えることは出来なかっただろう。彼女にあったのは願望ではなく、ただひたすらに「義務」と「責任」の重荷である。
「お前が何か、重大な秘密を抱えておることなど、前から知っておった」
女王は言う。
「そして私は対話もせず決めつけてしまった。お前は決して、私やビスティークを頼ろうとはしないだろうとな。何ともはや……我が目も老いたものよ」
「間違ってはいないわ」
母の言葉に、アレインは強い目と声で答えた。
「私は誰かを頼ろうとはしなかったはず。誰も信頼できなかったからね。母上もビスティークもカルザスも、味方である保証がなかった」
「何となればお前自身が、“悪しき者”の力と出会い、その力に取り込まれかけたからか」
「私になら制御できても、誰しもそうとは思えなかったしね。誰にあの災厄が降りかかっているのか、はた目にはわからないし」
気楽な調子だ。国を想い行動を起こした結果、力と力のぶつかり合いで敗北し投獄された身だというのに、彼女は実にあっけらかんとしていた。
力だけではない、その人格と精神性すら、傑出している。女神が選んだ天才の一人。もしも、彼女が女神の騎士を信頼しきっていたら、結末は違ったのかもしれない。
だがそうしなかった。信じるに値しないと断じた。そう出来るだけの強さがあったからだ。
結果的には、間違いではなかったにせよ、誰もが理想とするエンディングからは少しだけ外れてしまった。
「私が得た情報を話すわ。彼に伝えて」
「あいわかった」
無駄話はここまでとばかり、アレインがぴしゃりと、女王の望む本題へ話題を切り替えた。女王もすぐさま応じて、背筋を正す。
「伝説は伝承と読み替えて良い。彼が進もうとしている道の方向自体は間違っていない。六つの国に散らばった“オリジンアーツ”を収集すること。その先に神域はある」
「だがお前は、レヴァンクロス一つ手に入れて、逃げもせず神殿へ向かった」
「あの“力”を持っている私なら、一つあれば事足りたのよ。“導かれた”とでも言うのかしらね。神域を既に掌握している“悪しき者”と共鳴する力があれば、オリジンアーツは一つでも十分だった」
「……なるほど……自分の力がただ、自分の元へ帰ってくるだけのことだと。それだけで随分と手間が省けるものよな……」
「アイツは絶対にその力を得ることは出来ない。理由までは正直私もわからないけど、“悪しき者”の目は完全にアイツに向けられてる」
アレインは女王の目をまっすぐに見て、「必ず伝えるように」と目で訴えていた。
「既に“ヤツ”は救世主を捉えている」
「お前は辿り着いておるのか? “悪しき者”の正体に」
アレインは肩を竦めた。
「正体……それが“名前を知っているのか”とか、“姿を知っているのか”という意味なら、“辿り着いていない”かな」
「深遠な物言いをする」
「上手く表現できないのよ。もう少し力に同調していれば、マシな答えも出せたと思うんだけどね。六年程度では、染まるのには短すぎるみたい」
「喜ばしいことよ」
「ただ……カイオディウム事変がきっかけになっているのは、間違いないと思う」
「やはりそこか……」
「神殿で少しだけ女神と話せたものでね。でも女神も詳しくは語らなかった。恐らくこの真相には、彼の力で辿り着くべきだと思っているんじゃない? 私に話せば、“こうなった”時に伝わっちゃうからね」
アレインは少し険しい表情をして、
「アイツに対する女神の秘密主義も、どうかと思うけど……って、これは私が言えたものじゃないか」
と、自虐的に言った。
「……ソウシのこと、少しは認めたか?」
「人間、そう簡単には変わらないわ。アイツも、私もね」
女王の問いに、アレインは正直に答えた。
「敗北した以上、止めることなんて出来ない。それだけよ」
「そうか」
女王はくすくす笑って、ゆっくりと立ち上がる。
「しばらく反省してもらうぞ。勝手な行いを。まあ……しばし休め。ここ数年、疲れたろう」
女王にそう言われるまでもなく、アレインはさっさと牢屋の中を移動して、整えられた岩肌に、少しばかり弾力性のあるシートを広げただけの寝床へ、どさっと身を投げた。
たった一人で、巨悪に立ち向かおうと研鑽を重ねた数年。まだ年若いアレインにしてみれば、実に物心ついてからの人生の大半を、世界を救うための準備に充てたのだ。
その時間を、異世界からやってきただけの男に無駄にされても、アレインは恨み言のひとつも言わない。総司に対する信頼はまだなくとも、彼を否定するようなことは決して口にしない。敗北したからにはそうするべきだと言わんばかりだ。
「そうさせてもらうわ。母上以外が入ってきたら容赦なく撃つから、それだけ騎士団の連中に伝えといてくれる?」
「リシアは?」
「あの子は母上より先に来たわ。もうお腹いっぱいよ。あの子もダメ。許可するまではね。リシアにはさっきの話はしていないから。あの子も聞いて来なかったし」
「ん? では何の話をしたのだ?」
「知らないわよ。好きな食べ物とか、クロノクスの魔法のこととか……あれ? そう言えば何でここに来たのあの子」
「……ふふっ」
女王はまた笑った。アレインはその笑いの意味がわからなかったが、女王が特に語ることもないので、気にしないことにした。
「お休み、アレイン」
「ええ、またね」