眩きレブレーベント・第七話⑤ 決戦
アレイン・レブレーベントは、生まれながらに天才だった。
女神は二物どころか、いくつもの才能を彼女に与えていた。端正な容姿、単純な運動能力、思考能力の高い頭脳、並ぶ者のない魔法の才覚、王族としてのカリスマ性。ざっくり言ってしまえば、「個人として必要なもの全て」だ。
唯一、女神が彼女に与えなかったもの。それは、個人ではどうにもならない存在。
彼女には理解者がいなかった。
ただ一人で、一個の知性ある生命としてあまりにも強い彼女は、並び立つ者の必要性を感じていなかった。
寄り添う者の価値も、彼女を愛する者の価値も。
愛されることを望んでいないくせに、彼女は愛する側の人間だった。人一倍責任感の強い彼女は、王族に生まれた自分が類まれな力を持っていると、物心づいた時に自覚したその瞬間から、民を護る王としての矜持を人格の芯とした。
彼女にとって、レブレーベントに帰属する全てのヒトは護るべき対象。
女神がリスティリアの生命を「愛すべき我が世界の住人」と称するように、彼女から見れば、レブレーベントの臣民は全て「愛すべき我が国の住人」だ。
それはともすれば、遥か高みから全てをいつくしむ女神の視点に通じるところがあり、それ故に彼女は孤高。
そんな彼女が、リスティリアの危機をただ座して見ているだけでいられるはずがなかった。
リシアがかつて総司に語った、リスティリアの民が抱える漠然とした不安。
女神が「この世界を見渡せる場所」にいない、世界がゆっくりと破滅に向かっているという、どうしようもない不安が確信に変わったのは、あの漆黒の結晶を偶然発見した時だ。
活性化した魔獣も、ブライディルガほどの強さでなければ、アレインの敵ではなかった。その敵を討ち果たした時にあの結晶を獲得し、そして悟る。
世界の敵、その真相、そして――――どうすれば、世界を救えるのか。
六年前、“気づき”を得てしまったアレインは、即座に行動を起こした。
母を頼ることも、ビスティークを頼ることも、カルザスを頼ることもしなかった。
誰が敵か、わかったものではなかったからだ。彼女は決してお人よしではない。愛すべき者たちの中にも、その愛に応えてくれない者がいるとわかっていた。カトレアやディオウのように、リスティリアを救おうとする意志とは真逆の方向性を見出している者が必ずいる。それは、すぐ身近にいる人物かもしれない。
警戒しながら仕方なく頼るぐらいならば、己一人で事を為せばいい。アレインには、それが出来るだけの強さがあった。
“悪しき者”の力を獲得し、制御しても、命を削る結果は変えられないとわかっていた。それでも、その力がなければ、「選ばれていない」アレインでは、神域に辿り着くことすら出来ないという事実もまた理解していた。
ならば、アレインがその選択を躊躇う理由もなかったのだ。
王家の魔法“クロノクス”の多くを体得し、着々と準備を進めた。魔獣狩りに度々参戦しては、自分の力が増していることを確かめ、そして――――
彼女は、“クロノクス”の魔法の原点に辿り着いた。今や外法と成り果てたその魔法の名は、「ゾルゾディア」。
シルヴェリアという国が、レブレーベントと名を改めた時から、大禁呪として封印された王家最強の魔法。
かつてゼルレイン・シルヴェリアが切り札として用いたとされる、絶対的な力を持つ破滅の魔法である。
「ゼルレイン・シルヴェリアによるゾルゾディアの『召喚』は、カイオディウム事変の最終決戦を彩った」
女神のやわらかな声が響く。
「懐かしいものね……けれど」
湖底を突き破り、地上に姿を現す、荒ぶる雷の化身。全身が金色の雷を纏うその姿は、禍々しくも美しい、龍と獣の凶悪な融合。ブライディルガすら小柄に思える巨大な体躯は、恐らく触れるだけで、大抵の生命が消し飛ぶだろう。
雷神“ゾルゾディア”。王家に伝わるクロノクスの最終兵器。
「やはり天才ね。これほどの使い手が、千年の時を超えて、再びシルヴェリアの系譜に生まれるとは」
アレインの体は、ゾルゾディアの体に取り込まれ、その頭部から半身だけが出ていた。金色の雷を纏う彼女はまさに「稲妻の魔女」。いくつもの魔力のラインでゾルゾディアと結合し、荒ぶる神に力を与えている。
「けれど、『あの時』と違うのは――――」
蹴散らされた湖の底、ゾルゾディアの破壊によって開けられた大穴のすぐ近くから、湖底の岩盤を突き破って飛び出してくる二つの影。
リバース・オーダーで土と水を振り払い、飛沫を上げながら舞い上がったのは、リシアを抱えた総司だった。
「此度相対するのは“我が騎士”だということ――――さて」
ダン、と土を踏み締める総司を、遥か高みからアレインが睨み下ろす。ゾルゾディアの危険な双眸もまた、神に抗うに等しい所業をしようとする二人の勇者を捉えていた。
「正念場よ、二人とも。私の前に――――彼女を救ってあげて」
圧倒的な力を前にして、リシアが何とか自分を保てているのは、握りしめているレヴァンクロスの、女神の加護のおかげかもしれない。
それほどに、リシアは目の前の存在を畏怖した。
その巨体もさることながら、何よりも、叩き付けてくるような存在感が半端なものではない。ともすれば邪悪にも見える見た目は、その存在感で以て神秘的なものに思えた。
この力は、凄すぎる。
アレイン・レブレーベントは、一国の王女、一国の王に収まる器ではないのかもしれない。彼女が力強く語ったように、彼女には「世界」を背負えるだけの器がある。
女神レヴァンチェスカは私が助ける――――その言葉の重みがわかる。彼女には力と覚悟があるのだ。
ゾルゾディアが吼えた。
木々が揺れ、大地が震え、天空に立ち込める暗雲が雷轟を唸らせる。びりびりと、全身に衝撃が走るのを感じ、リシアは思わず身を竦ませる。
この圧倒的な化け物を前にすれば、昨日相対したブライディルガがどれほど可愛らしかったか身に染みるというものだ。
「……すげえな」
総司が感嘆して呟いた。リシアは慌てて総司を見た。
「そ、そんな、のんきに感心している場合か!? こんなもの、戦いにすらならんぞ!」
「そう言われても、凄いもんは凄いし……そんなこと言ってる場合でもない」
「え……」
「戦うしかないだろ、アイツを止めたきゃ。俺はもう迷わない。逃げるつもりもない。あの化け物ぶった斬ってアレインを止める。他に選択肢なんかねえよ」
極めて冷静で、淡々としていた。
アレインの命を削る切り札を前にして、尊敬と感嘆の念を隠すこともなく、しかし一切臆せずに、総司は剣を構えていた。
「手はある。俺も、コイツと素人剣術だけで女神を救えるなんて思っちゃいないし、レヴァンチェスカも同意見だった。だから俺に力を与えたんだ」
「……隠し玉があるんだな?」
「だが、アレインがあそこにいる状態じゃ撃てない」
総司の目を見て、リシアはすぐに理解した。
「至難の業だな」
「アレインを切り捨てる選択肢もないからな」
「言われるまでもない。わかっているとも――――私も行く。お前が持つべき剣だが、使わせてもらうぞ」
レヴァンクロスを、アレインに渡さないよう護るべき神器としてでなく、己の武器として、リシアがすらりと構えた。
「良く似合ってるよ」
「馬鹿言え、荷が重いにも程がある。が……恐らく、これなしではまともに立っていることもできん」
「正直だなぁ。まあ、いいや、とりあえず――――行くぞ!」