別れ惜しむハルヴァンベント 第五話⑥ リスティリアに刻む呪い
リシアを見送り、総司がスヴェンの「問いかけ」に素直な気持ちで答えた後、総司とスヴェンは連れ立って列車に向かい、スヴェンの足は列車の入口にほとんどかかりかけたところだった。総司はせっかくだからレヴァンチェスカに最期に声を掛けていこうかと、スヴェンより少し間を置いて乗り込むつもりでいた。
だが、レヴァンチェスカは総司の方を見ていなかった。
列車の扉の前に辿り着いたスヴェンの背中を、女神の静寂な視線が追いかけていた。
「……どうかしたのか?」
総司が聞いても、レヴァンチェスカの視線はブレない。
「……ダメだな」
スヴェンの足が止まった。ふらりと踵を返して、スヴェンは総司に向き直る。レヴァンチェスカとは対照的に、スヴェンはレヴァンチェスカに目もくれない。
「何がだ?」
「お前もリシアも、俺のことを買い被り過ぎだっていう話さ」
がりがりと天然パーマの頭を掻いて、スヴェンが下らなさそうに答えた。
「どうあっても俺を“善人”だと思いたい。リシアは俺に情があり過ぎるだかなんだか、うすら寒い勘違いもしてたな。悪いが、俺はお前が思ってるほど出来た人間じゃあない」
「今更何を言いだすんだよ」
総司が少し笑いながら言った。スヴェンは総司の反応を無視した。
「そもそも俺のことを美化し過ぎなんだよ。ルディラントでの思い出が強すぎるから“ついでに”俺も――――あの国の連中と同じように、気の良い人間なんだろうと思い込んでる。まあ、“同郷”ってのが特別に感じられるのはわかるさ。なんと言っても外国どころの話じゃねえ、異世界だからな。その気持ちは俺にもある。が、それにつけても勘違いが過ぎる」
スヴェンの笑みを見て、総司の笑顔が引っ込んだ。
凄惨な笑み、親しみを感じられない『笑顔に見えるだけで笑っていない』顔。総司は見ていたわけではないが、それはリシアとの対決の際に見せたような、“最後の敵”としての表情に近かった。
「気に入らねえ」
あまりにも率直で幼稚な、スヴェンの正直な心境の吐露。端的で、誤解のしようがないまっすぐな言葉。リシアが“帰って”から以降のスヴェンの言葉には、一片の偽りもない。
「結局レヴァンチェスカの一人勝ちだ。お前は死んでここまで。リシアはお前に言いくるめられて、アイツの憎悪の矛先がレヴァンチェスカに向くこともなさそうだ。一度は向きかけたのにな、お前が変に悟ってるせいで台無しだよ」
「……それこそホントに、何を今更って話だろ?」
「いいや、間に合うね」
危険だ。総司は直感的にそう思った。
気配が違う。先ほどまでの――――望んだ決着かはさておき全てを“終えて”、ある意味晴れ晴れとした様子のスヴェンとはかけ離れている。
「もう少し下がってろ」
知れず、総司の声も真剣みを帯びた。彼の言葉はレヴァンチェスカに向けられていたがしかし、レヴァンチェスカはやはり総司を見ていなかったし、総司の言葉を聞いていなかった。聞こえているだろうに、全く無視していた。
「さっきの話、お前も聞いてたよな」
コツ、と一歩、スヴェンが踏み出す。
列車の方へではなく、総司の方へ――――いや、レヴァンチェスカと総司の間へ、一歩だけ歩みを進めた。
「“今の俺達”はとても曖昧な存在だ。“向こう”にいた頃には想像もしなかった状況にある。あの世とこの世の狭間で、生と死の境にいる。まあそれもさっき言った通り、“向こう”でも一旦こうなるのかどうか、俺達にはわからねえが」
警戒したところでどれほどの意味があるかは不明だ。
スヴェンの言う通り、総司もスヴェンも“完全には死んでいない”状態だと言うなら、今なおスヴェンには女神を害するだけの余力がある、という仮定も出来なくはない。とは言え、ここにいる女神は単なる「端末」。スヴェンにリシアと渡り合った時のような力が残っていたとしても何も出来ない――――はずだ。
何かをしようとしている。総司は当然、スヴェンの手札の全てを知らない。リスティリアにおける全能に王手をかけた男が、今わの際に至ってまだ見せていない“何か”。
もしそんなものがあったとしたら、女神の心付けで肉体があったところで、既に女神の騎士の力を失った総司には止めようがない。最も確実な手段は、レヴァンチェスカにここから去ってもらうことだが、彼女にそのつもりはないようで――――
「……レヴァンチェスカ……?」
「最も言わなければならない言葉を、あなたに言っていなかったわ。こういうところがダメなのでしょうね」
総司の言葉の一切を相変わらず無視して、レヴァンチェスカはようやく総司を見つめ、言った。
「世界を救ってくれてありがとう。どんな形であれ、あなたは誓いを果たしてくれた。そして私も約束を果たした。ここから先はあなた達に任せる。私に止める資格はないから」
「殊勝な心掛けで結構なことだ」
スヴェンが笑った。憎しみのこもった目でレヴァンチェスカを見据え、目の笑わない笑顔のままで吐き捨てる。
「俺はスティーリアに固執し、リスティリアを呪う。最後の最後までだ。遺していってやるよ、レヴァンチェスカ。お前の愛するリスティリアに、消えない呪いってやつをな」
スヴェンの姿が素早く動いた。総司は身構えていたが、しかし反応できなかった。
想定していない動き。意味があるかはともかくとして、総司は「スヴェンが女神を攻撃する」と勝手に思い込んでいた。
スヴェンの狙いはまるで違った。彼はまっすぐ総司の懐に突っ込んできていた。微塵も気配を感じさせず、気取らせる暇を与えず、いつの間にかスヴェンの右手には“ネガゼノス”の赤黒い閃光が宿っていた。
“ディノマイト・ネガゼノス”が貫いたのは、女神を庇うように体を挟もうとした総司の胸元。与えられた肉体から血が噴き出した。
「ど、ういう……つもりで……!?」
「“一度死んでるけどまだ死んでない”。そんなよくわからねえ状態のお前をここで殺したら、一体何が起きるんだろうってな。安らかにあの世へ行くことも出来ず、その辺を彷徨うのかそれとも……どうだ、怖いか」
スヴェンが嘲るように言う。
総司は痛みを感じていなかった。だが間違いなく、何の因果か再び手にした「意識」がじわりと、薄れていくのを確かに感じ取っていた。
「下らねえ……俺がそんなもんで……」
薄れていく意識の中で――――悟る。
スヴェンのやろうとしていること。急に「偽悪的」に振る舞い始めた彼の真意を。
「スヴェン……! バカ、それじゃあむしろ、スヴェンがどう、なる……かっ……!」
総司の体がうつ伏せに倒れ伏した。これが“死”であるのかどうかはレヴァンチェスカをして定義できない状態ではあるが、少なくとも既に意識は飛ばしたようだ。
「……ギリギリで察しやがった……俺の演技は下手だったか?」
「あら、あなたが自分で言ったじゃない」
「あぁ?」
「あなたのことを善人だと信じ込んでいるのだから、悟ってもおかしくないでしょう」
「……フン。気に入らねえな、最後まで」
ピッと総司の血を払い、スヴェンが相変わらずの辛辣な声で言った。
「嘘を言った覚えはない。これは呪いだ。俺がお前に遺す牙、いずれお前を再び脅かす世界の癌。“ネガゼノス”と“イラファスケス”を『最悪な形』で置いていく。脅威に思うならここで芽を摘むのは勝手だ。お前はそうしないんだろうがな」
「……ええ。ありがとう」
「やめろ。虫唾が走ってしょうがねえ」
「けれど良いの?」
レヴァンチェスカが念のため、というように、何気なく聞いた。
「あなたがどうなってしまうか、本当にわからないのよ。前例なんてもちろんないし、あなた達の“力”は私の手を離れたところにあるんだもの……何事もなくマティアのところに逝けると信じているけれど……」
「だからやめろっつの。俺は俺のためにやるんだよ。リスティリアを呪うためにやるんだ」
「……“イラファスケス”が総司にとって呪いにならないのは、あなただって“見ていた”でしょう」
「“ネガゼノス”とセットにしたらどうなるかはわからねえだろ」
「……ごめんなさい。これ以上は言わないわ」
「そうしろ」
“何か”の感触を確かめるように、スヴェンは自分の右手を開いて閉じて、かすかに頷いた。
「……“奪う”ことには奪えたが……実際そもそもやれんのかね?」
「知らないわ」
「オイふざけんな、テメェが散々促してきたんだろうがよ」
スヴェンが露骨に嫌そうな顔で厳しく言った。レヴァンチェスカは弱々しく首を振るばかりだ。
「言ったでしょう、前例なんてないし、私にもわからないし……でも、だってあなた――――どう見たって、悔いを残した顔をしていたんだもの」
「……この期に及んでコイツじゃなくて俺かよ。とことんまでズレやがって」
「あんまり言わないで。傷つくわ」
「まあいい。事情はどうあれなんにせよ、最期までお前の思い通りに動いてやるんだ。一つぐらい俺の望みを聞け」
「聞けることであれば、何でも」
「もしうまく事が運んだら、もう少しちゃんと話してやれ」
魔力を高めながら、スヴェンが静かに言う。レヴァンチェスカの瞳がわずかに揺れた。
「お前が酷に使い潰した“二人”にちゃんと、時間を取って。良いだろ別に、こっから先はそれこそ無限の時間があるんだから」
「……原因であるあなたがそれを言うのね」
「そりゃ好き放題言うさ。悪役だからな」
「そう言えばそうだった。……約束する」
「ならいい。じゃあな」
「ええ――――さようなら、スヴェン」
「お前が乗り込んでどうする」
「良い頃合いで降りるわ。残念だけどスヴェンは乗れないみたい」
「構わん。いつ終わるともしれん時間で、ヤツと話すことはそう多くなかった」
「……もしかしたら、何も起こらないのではないかと思ったのだけどね。別れの言葉が無駄になるかもしれないと」
「確かに道理には合わんな。ヤツの命は、間違いなく既に“通常生きていると呼べる状態”にはなかった。下界の定義で言えば死を迎えているに違いなかったはずだ。最終的にどうなったのかまでは最早見れんが……ここにいないということは、一応の成功を見たと。今わの際でなかなか興味深い現象だ。考察する時間が足りんがね」
「あなたの理屈は?」
「異界の民の権能とやらがどれほどのものか、お前に推し量れないのであれば誰にもわかるまい。しかしまあそうだな――――敢えて奴らの権能を“魔法の一つ”であると仮定すれば」
「近しいものではあるはずよ。出所は似ている。“私”もまた、根底にあるものは“彼らの世界”のものが大半を占めるはずだから」
「とすれば、そこには意思ある生命の想いそのものの強さが関連するとも考えられる。さて、その筋から組み立ててみると……ヤツは本気でお前を呪いたかったのかもしれん。その意思の強さが奇跡を起こした。千年もの下らん妄執の果てにせめて、何としてでも呪いを刻みたかった。お前も知ってのとおり、ヤツは清々しい性格とは言えんからな」
「最期まで恨まれっぱなしだったわ」
「ヤツの逆恨みに正当な理由などない。善悪など問うまでもない大罪人。聞き流しておけ。既に存在しない男の戯言だ」
「……あなたに後悔はないの?」
「あるとも」
「そうは見えないわ」
「そうか? そう見えるならそうなんだろう」
「どうしてそんな顔ができるの?」
「語るには時間がない。そろそろ降りろ。共にマティアのところに逝くつもりか? あの女が良い顔をするとは思えんな」
「……そうね」
レヴァンチェスカが列車の座席から立ち上がる。
向かい側に座るゼルレインは、足を組んで至極リラックスした様子だった。
レヴァンチェスカの言う通り――――どこか晴れやかで、平穏な心境を他者に悟らせる、彼女にしては珍しい表情だった。
「さようなら、ゼルレイン。あなたもスヴェンもきっと嫌がるでしょうけど……私はあなた達のことも、愛しているわ」
「……ああ。お前はそれで良い」
呆れているのか、本心からそう思っているのか。ゼルレインの不思議な言い回しを耳に遺しながら、レヴァンチェスカがふっと列車から消える。
やがてゆっくりと輪郭を失っていく列車の中で、ゼルレインはまどろむようにゆっくりと目を閉じた。




