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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき


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別れ惜しむハルヴァンベント 第五話⑤ どこかで何かを間違わなければ

 飛行艇から「壁」の上へと降りてきたリシアが、白銀の上着を羽織っているのを見た時、ヴィクターは全てを察した。


 隣に控えていたアンジュの表情も、穏やかで優しげなものからみるみると変わり、しかしそれをリシアに見せまいと気丈に押し殺して、余計に奇妙な様相になってしまっていた。


 飛行艇はリシアだけを下ろし、ゆっくりと格納庫の方へ去っていく。


 降りて来るはずのもう一人がいないことは、誰の目にも明らかだった。


 持ち帰ってきたレヴァンクロスと、各国の“オリジン”、そしてレブレーベントの国宝であるジャケット。“女神の領域”に渡る前に置いてきたはずの、ローグタリアで借りた剣も腰にある。


 借り受けたものを余すところなく持ち帰ってきたリシアだったが――――縁を繋いだ人々が心待ちにしているのはもちろん、それらの返還ではなかった。


「……皇帝陛下――――」

「よい」


 ヴィクターの目の前に進み、事の顛末を報告しようとするリシアへ、ヴィクターが鋭く、そして優しく言った。


 リシアの声色、表情、醸し出す雰囲気。


 それらの全てが――――例えば、異世界の民である総司がリスティリアへの帰還を果たさず、元いた世界に戻った、というような希望的観測を潰している。


 彼は死んだのだと、リシアが言葉にせずともわかる。


「体と心を休めねばならん。大浴場を貴様のために解放しよう。ゆっくりと湯に浸かってこい。その間に、以前貴様が寝泊まりした部屋に食事を運ばせておく。誰にも邪魔はさせん。一人で静かに摂り、そしてもう休め。今日の内は顔を出さんで良い」

「そういう、わけには」

「皇帝の命令である。黙って従え。わかったな」

「……お言葉に甘えます、陛下」

「ハッ。明日までに調子を戻しておけよ。貴様に“陛下”などと呼ばれるのはむずがゆくてかなわん」


 重い足取りだが、ふらついてはいない。体力や魔力の面で言えば、致命的な損耗はないらしい。


 それらと比べ物にならない大事なものを失ってしまったが、それでもリシアは気丈だった。


 ゆっくりと『歯車の檻』に消えていくリシアを見送り、その姿が見えなくなって――――ヴィクターは大きく息を吐きながら、言った。


「明日も引き続き耐えるのだぞ、アンジュ」


 総司が戻って来ていない事実と、リシアの心境を思い遂に堪え切れず、アンジュが涙を流したが、ヴィクターの言葉を受けて慌てて目元を隠した。


「リシアの前で泣くことは許さん。ヤツが我らの前で涙を流さぬ限り、絶対にだ」

「心得ております……!」

「ありったけの肉も無駄になってしまったわ。ソウシがおらんのでは食べ切れんな。今宵は騒がしくするのも憚られる。明日にでも兵に振る舞うよう手配しておこう」

「……ソウシさんの追悼はいかがしましょうか。兵の中にも――――せめて形だけでも彼を……きちんと送り出したいと思う者が数多くいるでしょう。我が国における功績のみですら、彼はそれだけのことを……」

「明日リシアと話してからだ。戻って来ておらん以上、リスティリアにおけるソウシの扱いはリシアが決めること――――リシア以外の誰も、口を出してはならんことだ。ヤツが否と言えばそれまでよ。飛行艇の連中にも今しばし、騒がぬよう押さえておけ」

「……はい」








 肌が焼けるほど熱い湯を浴びた。


 指先から急激に感覚が戻ってくる。現実感のない空間から戻り、自覚していなかった疲労感をようやく感じ取る。


 総司と二人で入った時は、さすがのリシアも素っ裸では気恥ずかしいのでアンジュから湯着を借りていた。今はそれもない。全身で湯を浴び、広がる熱さに身を任せる。


 ヴィクターの計らいでリシアのため貸切となった大浴場に、延々と水音だけが響いていた。


 夢幻の如き「最後の異空間」にて光の扉に吸い込まれた先で、リシアの意識は飛んだ。


 目覚めた時、リシアはフォルタ島の砂浜にいた。半身が波に打たれる格好で、一人きりで。


 傍らには各国の為政者から託された“オリジン”が散らばっていた。総司の亡骸と共に置いてきたはずの、ヴィクターから借り受けた剣もあった。


 目覚めてから二時間ばかり、リシアは波打ち際から微動だにしなかった。現実感がなく、未だ思考がまとまらなかった。まとめる気にもならなかった。何も考えたくなかった。


 ローグタリアでの一大決戦を経て聞き慣れた飛行艇の風切り音を聞きつけて、リシアはようやく重い体を起こし、落胆を隠しきれない兵士たちと共にヴィクターの元へと戻ったのだった。


「……ふっ……!」


 油断すれば零れ落ちそうになる涙を流すまいと――――誰も見ていないのに意地を張って、熱い湯を手に溜めて顔にぶつける。


 誰も彼もがやり切ったような顔をして、納得していないのはリシアだけだ。


 正しさや善悪の枠を超えた領域で、彼らは勝手に納得し、彼はリシアを置き去りにした。


 元来生真面目な性格でなければ、リシアは後を追っていたかもしれない。彼が絶対に望まないとわかっていても――――縁を繋いだ人々に全てを伝えるという責務が残っていなければ、もしかしたら。それほどまでに憔悴しきった、危うい精神状態だった。


 一人きりになり、誰も邪魔しないとわかると、考えたくないのに考えてしまう。ゆっくりと湯船に向かい、足を入れながら――――この結末しかなかったのかと。


 自分はどこかで何かを間違えたのではないか。


 正解の見えない選択肢の「正答」は、後になってみれば結果論的に見えてくるものだ。だが、わからない。思考力が落ちているせいか、それとも、リシアには導き出せない「正答」なのか。


 長い旅路のどこで何をすれば――――違う選択を選び取っていたら“こうならなかった”のか、考えても考えても思い浮かばない。考えれば考えるほどに、最初からこの結末への道が丁寧に舗装されていたとしか――――


「……違う」


 リシアは一人呟いて、顔の半分まで湯に沈んだ。


 目を背けていただけで、わかっていた。総司生存の可能性を見出せる唯一のルート。選択。今となってはそうはならなかったIF。


 救世主の相棒がリシア・アリンティアスでさえなければ、その可能性はあったのだ。


 リシアでなければ、救世の旅路の完遂はできなかったかもしれない。総司は間違いなくそう確信してリシアに礼を言ったが、しかしそれは確定的ではない。


 他の誰かならもっとうまくやれたのかもしれない。総司に過剰な情を抱かず、抱かせず、絶妙な距離感で、粗野に見えて実はギリギリのバランスの上に成り立っている彼の精神をコントロールしながら、最後の戦いへ送り出せるようなヒトがいたかもしれない。


 レブレーベントで王女アレインとの決戦を終えた後、女王に命じられるまま救世の旅路に歩みを進めたあの選択が、致命的なまでに間違っていたのではないか――――


 そんなことを堂々巡りのように、何度も何度も同じ思考を辿っている間に、日が暮れかけていることに気づいた。頑丈な体だがのぼせる寸前だった。


「ダメだな……」


 総司に夢を託され、任せておけと謳っておきながら、帰ってきて考えることは情けないことばかりだ。


 一人きりで誰もいない大浴場にいる、という状況が良くないのだ、と無理やり思い直す。


 ヴィクターは気を遣ってくれたが、やはり今日のうちに全てを話してしまうべきだ。そうでなければリシアがもたない。これ以上、同じ思考を抱え続けたくなかった。恐らく一生涯逃れられない思考の牢獄だが、今は特に「直後」ということもあって、情けない思考が鮮明に脳裏に焼き付きすぎている。


 とにかく他のことをしよう。リシアはそう思い、立ち上がって、気付く。


「……なんだ……?」


 夕暮れと夜の空が入り混じる、見事な紅蓮のグラデーションの最中に、小さな星が見えた。


 それだけなら疑問を持つようなことでもない。光の強い一番星が早々に顔を覗かせただけ、珍しい光景ではない。


 だが、感じる。リシアが視界に捉えたその星の輝きの「増し方」は、夜の帳が世界を包み、徐々に星の光が強まるという自然な速度を大きく上回っている。


 何かが変だ。何かが――――


「ッ……!」


 リシアはばっと湯船から飛び出して、急いで脱衣所に駆け込んだ。


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